卒業生は今)ネパールで歌手デビュー? RT@tiniasobu #jocv #nepal #organic
2011/03/24
安渓ゼミを巣立って、青年海外協力隊員としてネパールに滞在をはじめた、南裕子さ
んか
らのメッセージが届きました。さきほどはチャットもしました。どうも歌手デビュー
しちゃってるようです。野菜にもネパール語で歌ってあげているかしら(それとも種
子にあわせて中国語や日本語?)。
ネパールで売られている種子の写真は http://ankei.jp/yuji/?n=1276
地震のことはなにも出てこないけれど、便利さとお金儲けを最優先に歩んできた末の
原発震災とはまったく違う生き方という答えを見つけるという、最先端の現場からの
報告だと思っています。
以下、本人の許可により引用します。
先日、半農業技術指導半映画俳優のおじさまと出会い、友人がウクレレを弾き、私が
ネパールの曲を2曲をネパール歌手と観客400人以上の前で歌うことができました。
おじさまは張り切ってラジオでの取材とテレビと映画にも私を出させたいようです。
うれしいかぎりです。友人と一緒に野菜の歌と環境の歌を歌えるようにしたいねぇ~
と言っています。
私は今ゴミ拾いをオフィスに行く前に少しずつしています。プラスチックのゴミも生
ゴミも、収集車は一日一度周っているようなのですが、結局みんなそこらへんで適当
に燃やしているんです。臭いので少しでもプラスチックを拾って阻止しようとしてい
ます。みんな寒いときはそのゴミの燃えている火で暖をとるんです。ゴミの中で一番
人の身体に危険なものはなんですか?
写真は、ネパールの新聞で
タイトルは「日本の舌がネパールの歌を」と書いてあり、JICAと宣伝したんです
が、歌手とされていました。
私の友人と、Beginの「しまんちゅぬ宝」を歌ったときの写真です。
以上引用おわりです。
裕子さんから卒論を送ってと言われて、画像抜きの本文だけをメールで送りました。
以下に目次と冒頭部分だけをとりあえずはりつけておきます。在学中にこんな活動を
していた学生が、青年海外協力隊の村落開発普及員という競争率の高い職種にも一発
合格したという一例として。
http://ankei.jp/yuji/?n=910 ← 合格した時のメッセージです。
2009年度卒業論文
日米有機農業比較――私が「生かされている」と感じた居場所
山口県立大学 国際文化学部 国際文化学科 4年
南 裕子
指導教員・安渓 遊地
I.はじめに
A.研究目的
B.農業との出会い――自分の居場所と「学び」の場
C.方法
1.調査(フィールドワーク) 及び調査内容と調査期間
2.文献調査
II.有機農業の日米比較
A.化学農薬を使うか使わないか
1.生活で使用されている化学農薬
2.農薬とその基準
3.非農耕地での農薬散布
4.農薬散布による、周辺地域の被害と子どもへの影響
5.農薬の恐ろしさ――ダイオキシンを例に
B.日本の有機農業の現状
1.日本農林規格(JAS規格)による有機農産物の定義
2.日本農林規格による有機農産物等の有機食品への認定証――「特定JAS有機
マーク」
3.有機農業推進法の定める有機農産物の定義
C.アメリカ合衆国での有機農業の現状
1.務省(USDA)によるアメリカの有機農産物規定
2.農産物の認定とラベリング
3.産直を支えるCertified Naturally Grownという新しい動き
III.WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms)
A.WWOOFとは
B.WWOOFの役割と使命
C.アメリカのWWOOF登録
D.WWOOFから届いたステッカーとガイド本
E.WWOOFは役割と使命を果たせているのか
IV.農家に住み込んで
A.OranMorと岡本農園の周辺の気候と環境
1.ミズーリ州のOranMor農園
2.山口県防府市の岡本農園
B.農家の一日
1.OranMor
a.OranMorの一日の流れ
b.インターネット
c.エキゾチックミュージック
d.OranMorの図書室で
2.岡本農園
a.岡本農園の一日の流れ
b.料理
c.コーヒー
d.テレビとお酒
C.育てている農作物
1.三姉妹と馴染みのある野菜
2.自力で育つ野菜と個性的農作物
D.土作りと畝作り
1.雑草の役割~雑草は野菜を守る救世主~
2.OranMorのベッド作り
3.岡本農園の土作りと畝作り
E.虫たちと共存するということ
1.輪作と、混作で農作物を守る
2.臭いで農作物を守る
3.知恵で農作物を守る、見方をかえる
a. Squash!(アメリカ)
b.お母さんの秘密兵器(日本)
c.害虫も益虫も「ただの虫」
F.収穫と農家の食事と保存食
1.OranMorの食事と保存食
2.岡本農園の食事と保存食
G.農家に住む動物
1.OranMorのヤギたち
a.乳搾り
b.子ヤギへの餌やり
c.親子の別れ
2.OranMorのアイガモと鶏とホロホロ鳥
3.OranMorの3匹の犬
4.岡本農園の猫とウサギ
H.農薬を使用しない小規模農業の可能性
1.OranMorと岡本農園から見る政府の有機農産物について
a.OranMorからみる政府認定の有機農産物
b.岡本農園からみる政府認定の有機農産物
c.地球は人間だけの居場所じゃない
2. 自然農法と無農薬農法
V.討論
A.小さい農業の現場で出会ったこと
B.映画『いのちの食べかた』との比較
1.大型農業の機械化
2.人と話す、動物と話す、野菜と話す
3.収穫したての野菜をみんなでいただく
4.時計に合わせて動くこと
C.農に触れて感じたお金では買えないもの
D.アメリカのファーマーズマーケット
E.消費者の矛盾した意見と生産者の苦しみ――日本
1.農薬を安全であるとして使用する理由
2.「農薬は友だちを傷つける」と考える人々
3.消費者の意見――安くて安全な食べ物がいい
4.消費者のニーズに振り回されてきた生産者
F.日本にも生産者と消費者のつながりを――山口市の産地直売店から
謝辞
引用文献・引用ウェブページ
A.研究目的
私は大学生として山口県に来て、無農薬農家での手伝いをきっかけに、なぜ農業に
農薬が使用されているのか、また、なぜ農薬を断固として使用しない人たちがいるの
か考えるようになった。実際に種撒きから収穫まで携わったおかげで農薬を使用せず
に野菜が育つのを見た。また生産者の立場になって考える事もできた。自由貿易で、
外国の農産物が国産のものより安く手に入ることにより、不利な立場に立たされてし
まった無農薬農家やその他の小規模有機農家の方々の存在を目の当りにした。日本の
約25倍といわれる広大な土地を持つアメリカでも、農家を訪れた事によって、日本と
同様に弱者と呼ばれる立場に立つ農民がいることを知った。そして、このような農家
に関わる中で、自分が自然や様々な生き物とともに生きているということを感じる事
ができ、人間中心の考えを改めた世界観を持つことができた。
この卒論では、日米有機農業比較と題してあるが、実際には無農薬・自然農法の農
家にお世話になり勉強したため、フィールドワークでは、日米の無農薬・自然農法農
家の比較をしている。そして、大型農業ではなく、家庭菜園が少し大きくなったくら
いの農家を中心に書くことで、大型農業の影に隠れてしまっている、人々の草の根の
努力を、伝える事を目的とした。そんな人々との出会いを通し、農産物を育てるとい
うことはどういう事なのか、人が自然や他の人々と共生するということがどれだけ幸
福な気持ちをもたらしうるのかを考える参考になればうれしいと思う。
B.農業との出会い――自分の居場所と「学び」の場
2007年の4月、私は山口県立大学に3年生として、大分県の短期大学から編入してき
た。編入生は単位交換の関係で、3年次に1、2学年の学生以上に授業を取らなければ
卒業単位数が十分でない。その上、私は高校英語科教員免許を取得しようとしていた
ため、忙しい毎日が続いていた。山口県に来て1ヶ月経ったにも関わらず、山口市の
事すら知らなかったので、その年のゴールデンウィークは実家に帰省せず、ゆっくり
と山口市内観光をしようと心に決めていた。
自転車で雪舟庭や瑠璃光寺、一の坂の周辺を見て周り、龍福寺のすぐそばにある大
路ロビーという和風小物やポストカードなども売っている古民家を改築した観光案内
所にふらりと入った。
そこには店員の女性以外に農業をするために横浜から3年前に来たと言う若いご夫
妻がおられた。店の中には畑の写真や、奥さんが描いた野菜の絵を展示しており、と
ても和やかな雰囲気で、その女性店員とご夫婦の3人は山口県の事、山口市周辺の事
を詳しく話してくださった。
ご夫妻は台風で野菜をやられてしまった事がきっかけとなり、農業ではとても食べ
ていけないと、農業をやめ、今は奥さんが家庭菜園として家で少し野菜を育てていた
り、コミュニティで1畝(約1a)ほど借りて、野菜作りを続けているとおっしゃってい
た
3人としばらく話しているうちに、「農業を私もやってみたいなぁ」と、つぶやい
たのがきっかけで、ご夫妻が紹介してくださったのが、私が今でもお世話になりっぱ
なしの、防府市で岡本農園を営む岡本夫妻であった。
岡本農園の第一印象はコーヒーと雑草である。私が思っている畑と違って、岡本農
園の無農薬畑では、一度聞いただけでは、どこにどんな野菜が育てられているのか、
ビニールハウスで育つきゅうりやトマト以外は全くわからなかった。なぜなら、畑は
野菜が育つのと共に、雑草も元気に育っていたため、茶色の土が見えるところが畑に
はほとんどなく、雑草を踏みながら自分たちの歩く道を作っているようだったからで
ある。
そして有機コーヒーを出してくださり、農業でどんな事がしたいか聞かれた。農業
の事を全く知らずに農園に来たので返事にとても戸惑っていたのだが、旦那さんはと
ても優しく、私に一から農業を少しずつ教えてくださり、「この畑にある野菜だった
ら、好きなだけ持って帰っていいんだよ」と、野菜入った大きなビニール袋を2つ持
たせてくださり、毎週土日に、できるだけ訪ねてお手伝えるように約束してその日は
帰った。帰りの自転車の両ハンドルにぶら下げて、ふらふらしながらしかし何もして
いないのに気分良く帰った事を覚えている。
次の週には、小柄だけれども力持ちで、いつも休むことなく動いておられる働き者
の岡本の奥さんと初めて会った。よく休憩したがる旦那さんと、働き者の奥さん、そ
して私の3人で休憩時間の度に飲む有機栽培のコーヒーや、畑で取った野菜を使って
昼ごはんを作って食べる時間、そして汽笛以外は、風や鳥や虫の鳴き声など、ほとん
ど自然の音しか聞こえてこない畑で野菜や雑草に囲まれて時間を過ごす事が急速に居
心地良くなり、山口で自分の居場所を見つけたように感じていた。やがて岡本ご夫妻
は、私の山口での「お父さんお母さん」になって下さったのである。
2009年、岡本のお父さんお母さんに出会って2年経った。しかしアメリカ合衆国へ
の交換留学を目指して勉強をしていた私は、夏と春に少しだけしか手伝う事ができな
かった。しばらく連絡をしなかった私を心配してくれ、できた野菜を家まで届けてく
れていたり、「一緒にお昼ご飯でもどうですか」と、私が息抜きできるような時間を
作ってくださり、車でおいしいレストランやカフェを探して食べに連れていってくだ
さったり、私が手伝ったスイカをほかの野菜と一緒に福岡県の私の実家までわざわざ
車で運んでくださったりと、いつも私を気にかけてくださっていた。そして今でも、
お2人にお世話になりっぱなしである。
アメリカの場合でも、初日は畑ツアーだったのだが、犬3匹と奥さんのミッドラン
ドと共に、森の中に入った。家の周辺には野菜が育てられているのがわかったが、実
は森も含めてOranMor農場であり、丘を少し登った原っぱではヤギが放し飼いに
されていた。ここは自然になるべく逆らわない農業を目指しているので、雑草が森と
一体化しているように見え、畑にも草がのびのびと育っていた。人間よりも動物の数
のほうがはるかに多いOranMorでの暮らしで、私は今までの自分の人生やこの世
の中がどれだけ人間中心に回っていたか気づかされた。そして、ウーフ農家でお手伝
いをするということは、単に農家を手助けする事ではなく、生活を共にし、世間話す
ることからそこでの作業まで、すべてが自分のための学びの場であり、動物と自然と
の関わり、あるいは「いのち」そのものを肌で感じることではないかと思った。
C.方法
1.調査(フィールドワーク)及び調査内容と調査期間
日本では、無農薬農家でのフィールドワークを、山口県立大学近くと、防府市にあ
る、岡本農園で行った。2007年5月から8月までの間、約13日間、岡本農園で手伝わせ
てもらった。2007年の秋口から岡本農園は、借りていた山口県立大学の近くの畑から
農業の拠点を移し、防府市の家の周りで農業を再開する。2008年の4月から8月の初旬
まで約4ヶ月の間、防府市の岡本農園に滞在した。
アメリカではWWOOF(ウーフ)に登録し、WWOOFer(ウーファー)として、登録されてい
るミズーリ州の自然栽培農家に、事前に日本からメールをし、そこでのフィールドワー
クを行った。滞在期間は2008年8月10日から8月20日までの10日間と、2009年3月22日
から28日の8日間である。