上関)『祝の島』 映画瓦版というブログでの批評と安渓の率直な感想
2010/06/02
纐纈あや監督のドキュメンタリー作品『祝の島』に対して
http://www.eiga-kawaraban.com/10/10051301.html
「対岸に計画される原発に反対運動を繰り広げる祝島の暮らし。
ドキュメンタリー映画としては咀嚼力不足か。」
という出だして批評しているブログがありました。
上関原発計画のことなどに何も基礎知識がない人には不親切という意見で、
見終わってからネットでいろいろ調べてみられたとのことです。
締めくくりの部分は、つぎのように書かれています。
「映画は原発反対の立場から作られているように思えるのだが、島内には原発推進
派と呼ばれている人たちもいるわけだから、そうした人たちの声ももう少し取り上げ
てもらえた方がバランスが取れたかもしれない。(ひょっとすると映画の中で特に原
発について発言していない人たちが、反対派が言うところの「推進派」なのかもしれ
ないけれど。)いや、本当のところはそうではない。この映画に必要なのはバランス
ではなく、島が抱えているより大きな問題に踏み込んでいく気構えなのだ。ドキュメ
ンタリー映画は「公正中立」が求められるジャーナリズムとは異なり、特定の立場や
主張を一方的に宣伝したって構わない。原発反対の住民だけを取材するなら、それは
それでいいだろう。しかし映画の中にも描かれている島の大きな問題をあえて無視し
たまま、「島の暮らしはこんなものです」と見せられることには疑問が残る。
これは祝島だけではなく上関町全体が抱えていることかもしれないが、要するに>根本的な問題は過疎化と高齢化なのではないだろうか。」
このようなまとめ方は、粗雑な評論だと、私、安渓遊地はおもいます。
原発を推進する人たちが仮面を外して本音で語るところは、ドキュメンタリーなら
もっともほしいところですけれど、これほど難しいことはないのです。
推進派の男性たちから「どうせ死ぬるんじゃから(その前に金をもろうても悪いことはなかろうが)」という本音が出るところを写し取ったのは、この映画の手柄です(と私は、http://ankei.jp/yuji/?n=997で書きました)。
要するに根本的な問題は、過疎化と高齢化なのではない。
途中はしょって言いますが、
過密都市に住むあなたの暮らしこそが根本的な問題なのでは?
そして、都市がうみだした過疎地や日本のしっぽの方の島々に、迷惑な施設やゴミ
を押しつけて恥じないという現状こそが基本的な構図なのでは。
そのような人権侵害を受けている人たちが、実際にいっしょに暮らしてみれば、
こんなにも人間なんだという、人間宣言。それこそが、『祝の島』のメッセージ
なのだ、と私は思います。