リーダーシップとフォロアーシップ)2009年5月15日の江里理事長の講話とそれを聞きながら考えたこと
2009/05/18
2009年5月15日に、山口県立大学開学記念行事がありました。
今年は、学生たちの主張というのが前面に出て、大学の主人公が学生たちだ、という
ことに照らしてたいへん適切な企画だったと思いました。その結果は別のページでご
紹介するとして、それに先立つ講話が江里健輔学長・理事長から15分間ありました。
私(安渓遊地)は、文部科学省の現代GPをはじめ、5つも6つもの助成金がこのと
ころ集中して
あたったのは、(その分、人手がすくなくて担当者があっぷあっぷしている、「豚も
おだてりゃ空を飛ぶ」状態であることは別
として)これまでずっとていねいな教育を地道におこなってきたことが大前提ですが、
それぞれの教員の研究と教育の現場に、
そして学生のさまざまな活動の現場に、副理事長とともに足を運んできた、江里理事
長の
リーダーシップによるところも大きいと考えています。それで、簡単にメモをとりま
した。ご本人にはチェックしていただきました。
本学が組織として成り立つために
今日は、前の方に名誉教授の方々がきておられるので、珍しく緊張しています。
私は外科医です。手術をするときにもっとも必要なのはチームワークです。手術中に、
意見がくい違うことがありますが、その場合は執刀医の判断が絶対です。事前には十
分にディスカッションをしますが、手術中にはそれはできません。
教育・研究に携わる者は、豊かな知識をもっていることは当然ですが、人間としてす
ぐれた品格をもつことが必要と思われます。そうだからこそ、一般のかたがたから尊
敬もされ、報酬も高めということがあります。
今の社会は、以前のような尊敬を大学教員によせてはいないのではないか、という
ことを自省していただきたい。
前任地では病院長をしておりました。産科の領域では年々医療訴訟がおこるようにな
りました。そうした中で、より多くの意見を集めるために、投書箱をおいたりさまざ
まな工夫をしました。
ある教官がこういいました。アイデアをただであつめるのはなにごとか。高い給料を
もらっている病院長がそれをするとは、自分のアイデアが枯渇しているということの
証明ではないか。こういうことを、学生たちに、しかも授業中に言ったという報告が
ありました。
民の口を塞ぐことは水を塞ぐよりも甚だしとはいますが、学生に対してしかも講義中
に言ったということはまことに遺憾でした。
意見を広く求めることは、日常茶飯事であり、ひとつのことをなすときに衆知をあつ
めることが望ましいことは、論をまたないことであり、非常に不見識な行動であった
と
思います。
教師の師は、弱い者を守るという意味で、弁護士の士とは違うのです。
学生は、教師のいうことを金科玉条のようにそのまま受け取ることがあるということ
です。組織の長に対する批判はあって当然ですが、それを学生の前で講義中に言うと
いうことは、柔軟な学生に対する責任がとれるのか、ということです。
組織の一員たるものは、
意欲を持ち
仕事に対する熱意があり
組織としての共通の意識をもつ 必要があります。
私はいいました、あなたの意見を否定はしないが、その事を学生の前で言ったことは
あやまりだ、と。3ヶ月後、その医師は辞職を申し出てきました。私は慰留しません
でした。
また、別の例ですが、
「私は、研究意欲がなくなりました。大学をやめさせてください」といってきた先生
がいました。自分自身をきびしく見つめ、組織のことを考えた決断です。この
男はすばらしい男だと思っています。今なお会うたびに敬意を禁じ得ません。
福沢諭吉に『学問ノススメ』という著作があります。そこにあらましこのような言葉
があります。男子が独立し
て一人で生活するようになり、家も家財もそろえ、結婚し、子どもにもひととおり教
育をほどこし、お金も貯めてきたとする。自ずからこの暮らしに満足している。そう
いう人をまるでりっぱな仕事をなしえたように、世間の人は「独立不羈(ふき)」の
人と評価いた
します。しかし、諭吉が見るに、それでは蟻と同じことをしただけだというんです。
それだけではなくて、人間として世の中に役立つような真実を求める必要がある、と
書いているんですね。
また、これもいつも出す話ですが、今川義元とナポレオンの話があります。
今川義元は、織田信長の少人数の軍に破れました。それは、自分たちの領地なんかど
うなってもいい、という人たちの寄せ集めの軍だったからです。
ナポレオンが敗れたとき、フランス人たちは、自分たちの国は、ナポレオンがいなく
ても、われわれのものだ、という誇りを捨てなかったから、フランスという国が存続
したのです。
今述べたような教員が、わが校にはおられないことはたいへん喜びとするところです。
ちょうど与えられた時間がまいりました。ありがとうございました。
◎講話を聞きながら、あんけいが考えたこと。
仲間の運命をあずかるリーダーとなる体験を1年生から
地域共生演習で、地域にお世話になりにいく学生たちには必ずリーダーを1名、サブ
リーダーを1名か2名選んでもらいます。
受講生のみなさんにこのように申し上げました。
リーダーは、とても重要な役割です。教員からの連絡を他のメンバーに伝える連絡係
というだけではけっしてありません。
地域にでかければ、先生や地域の人たちに相談することができないほど、緊急のこと
が起
こりえます。例えば、学生が集まって草刈りをしているところに、スズメバチが出て
きたとします。その時、じっとしてしゃがむのか、それとも走って逃げるか。それを
みんなで相談して決めているゆとりはありません。そういう時には、リーダーが一人
で即決しなければ、命にもかかわるでしょう。つまり、全員で相談する時間がないよ
うな緊急時に、一人で決めて、ほかのみんなに指令を出し、みんなはそれに従います。
もうひとつ、リーダー
が単独で決めていいことは、例えば、草刈り作業用の軍手の種類に白と黄色があった
として、メンバーに
どう配るかというような、ささいなことです。そして、この2種類の他の、中間的な
大切さのことについては、みんなで時間をかけて民主的に結論を出します。
サブリーダーは、リーダーが体調不良になったり、こられないような時に、その代わ
り
をするという大切な役目です。
二人以上がいっしょに行動するときには、かならずこうしたリーダーが必要だとい
うことをみなさんは、出かける前にしっかり覚えておいてください。