上関)祝島の映画『祝の島』映画製作応援のお願い がとどきました
2008/11/15
環瀬戸内海会議のメーリングリストに、東本高志さん@大分が以下のような記事を流して下さったので、以下に、転載いたします。
(以下引用)
ひとりの女性が上関・祝島を舞台にした監督としてははじめてとなる映画製作に取り組んで
います。
このひとりの女性は纐纈あや(はなぶさあや)さん。製作している映画の題名は『祝の島(ほ
うりのしま)』。「私を引き寄せたのは島の人たちと島が持つ記憶みたいなもの。人ごとには
思えない。これは私自身に突きつけられている現在であり、未来なのだと思う」(西日本新聞、
2008年9月4日付)と彼女はこの映画の製作の動機について語ります。
撮影クルーはふたりだけ。もうひとりも女性。撮影を担当する大久保千津奈さん。福岡市の
KBC映像所属のカメラマン。「監督と福岡で飲んだとき、(監督は東京の方です)意気投合!
!!」して「こんな熱いひとはいない!この人と仕事がしたい!」と思った。「会社も理解を示
してくれ、現在、長期密着ドキュメンタリーのまっただ中にいます」(「KBC映像スタッフ裏話」)
とのこと。
「一人の女性が、自らの歩みと重ねる島の行く末。『懐かしい未来』を大きなテーマに、二〇
一〇年の完成を目指」(同紙)しています。
私もこの夏の初めに祝島で纐纈あやさんとお会いしました。祝島島民の会が原発問題が起
きた当初から、毎週月曜に祝島島内で行っている上関原発反対1000回記念デモに私も
参加したのですが、この折、仲間たちとともに島民の会事務所に一宿して酒を酌み交わしな
がら纐纈さんとも長く語らいました。私はこのときに纐纈さんの映画づくりを応援しようと決め
ました。
下記に(1)纐纈あやさんを取材した西日本新聞記事(2)映画「祝の島」を応援する会事務
局の製作応援のお願いを掲げます。
みなさまのご協力を心からお願いします。
東本高志@大分
(引用文中の引用1開始)
(1)あなたに会いたい 纐纈あや(はなぶさあや)さん
祝島を舞台にドキュメンタリー映画を撮る(西日本新聞 2008年9月4日より)
「もう、島が揺れるくらいのにぎわいです」。電話口から息を切らしたような声が聞こえた。
山口県上関町・祝島。瀬戸内海に浮かぶ人口五百人のこの島を舞台に、纐纈あやさん(33)
=東京都=はドキュメンタリー映画の制作を続けている。八月、四年に一度の神楽「神舞
(かんまい)」の熱気に沸く祝島に向かった。
山口県東部の柳井港から約一時間。帰省客や夏休みの子どもたちと一緒に波に揺られ
ながら祝島に到着した。出迎えの人でごった返す桟橋を抜けると、バルルルル・・・。ミニバ
イクが近づいてくる。焼けた肌に、Tシャツとジーンズ、ゴム草履。白い歯をのぞかせ飛び降
りてきたその人が、纐纈さんだった。
夏の間、島内の民家を借りて住まいにしているという。公民館や漁業加工場などが並ぶ、
島のメーンストリートを並んで歩いた。「あやちゃん、島帽子が板についてきた」「カメラちゃ
ん、今日は撮らんの」・・・行く人、行く人、纐纈さんに声をかけていく。
この日は祭り四日目。神楽小屋では、大分県の国東半島からやってきた神職や楽師た
ちが舞を披露していた。伝承によると九世紀末、豊後国伊美郷(国東市)の神職らが、岩
清水宮(京都府)の分霊を国へ持ち帰る途中、祝島付近で遭難したところ、島の人々に丁
重にもてなされたという。これにちなみ、今でも国東から神職たちが島へ感謝の神楽を奉
納するため海路四十六キロを船で渡ってくる。纐纈さんが「神楽小屋のかやぶきは島の各
家で区分けして造るし、飾りも全部分担して造る。お迎えは島の人たちの一番の楽しみな
んです」と教えてくれた。
纐纈さんは東京生まれで東京育ち。二十歳で就職してから「何かが違う」と転職を繰り
返した後、二十六歳のとき、学校の先輩の写真家、本橋成一さん主宰でドキュメンタリー
映画などを制作・上映するポレポレタイムス社のスタッフに。初めて祝島を訪れたのは二
〇〇三年、本橋さんの作品「アレクセイと泉」の上映会のためだった。
祝島は〝たたかいの島〟の顔も持つ。一九八二年、中国電力が祝島から四キロの対
岸に原子力発電所の建設計画を発表。島は反対派と推進派に割れ、神舞も二回、開催
が見送られた。纐纈さんが訪れた日も、島で反対デモがあった。「私も鉢巻きして勢い込
んで列に加わったのに、島の人は雑談しながらときどき『原発反対、エイエイオー』。悲壮
感なんかない。この明るさはどこから来るんだろうって。逆に元気をもらったんです」
デモ隊は列のまま上映会場の公民館へと移動。作品は旧ソ連のチェルノブイリ原発(現
ウクライナ)の爆発事故で被災した小さな村を描いたドキュメンタリーだったが、めったに
映画を見ることのない島の人たちは大声で笑ったり、驚きの声をあげたりと、大いに沸い
た。
その後、纐纈さんは本橋さんの次作「ナミイと唄(うた)えば」でプロデューサーに就いた
が、一度映像の世界を離れ、再び、自分の道を模索した。何度か転職した末、山形県の
渋柿作りをたんたんと追ったドキュメンタリー「満山紅柿」(小川紳介・彭小蓮監督)に出会
う。「フツフツ、グツグツしていた気分が晴れたようでした。時間を共有し、共感しながら映
画を撮る。それがドキュメンタリーなんだと」。ずっと心にかかっていた、祝島が浮かんだ。
「私にも映像に残さなくてはならないものがある」。数回にわたり島に滞在し「私の感じたこ
とを私が表現したい」と制作を決心した。
撮影クルーは二人だけだ。纐纈さんと、KBC映像(福岡市)の女性カメラマン、大久保
千津奈さん(35)で、漁や野良仕事、美容室や産直グループなど島の日常から神話の謎
にまで迫る。よっちゃん、のりちゃん・・・。七十歳以上が過半数を占める島の人たちは、
親しみを込めて互いを呼び合うが、纐纈さんもそんな愛称で声をかける。
撮影中、インタビューはしない。ひたすら対称に寄り添い、生活を共有してこそのドキュ
メンタリーが信条だ。
取材の日の夜、宴会が開かれた。島の人たちに加え、国東の楽師たちも一緒に歌い、
輪になって島踊りをした。ふと隣を見ると、纐纈さんが真っ赤に目を腫らして、日に焼け
て皮がむけた頬にボロボロと涙をこぼしている。「私を引き寄せたのは島の人たちと島
が持つ記憶みたいなもの。人ごとには思えない。これは私自身に突きつけられている現
在であり、未来なのだと思う」
一人の女性が、自らの歩みと重ねる島の行く末。「懐かしい未来」を大きなテーマに、
二〇一〇年の完成を目指す。(平原奈央子)
(引用文中の引用2開始)
2)映画『祝の島(ほうりのしま)』製作応援のお願い
山口県、上関町。祝島(いわいしま)。
何代にも渡り漁業、農業を営む人々が暮らす、瀬戸内の小さな島です。この島はいま、
かつてない転機を迎えています。
26年前から建設計画が持ち上がっていた。上関原子力発電所の着工の足音が聞こ
えているからです。
ひとりの女性がこの島に惚れ込み、ドキュメンタリー映画の製作をはじめました。島の
人たちが受け継いできた暮らし、原発建設に反対して守りたい生活の中には、私たち
の未来に必要な何かがある、と彼女は言います。
その思いに共鳴し、この映画を応援する会を立ち上げました。映画の製作にご協力
頂くと同時に、祝島のことを、みなさんにたくさん知っていただきたい。島を思う人がひ
とり増えることから、祝島のこれからに、そのひとりの人の生活の中に、あたらしい風
が吹くことを願ってやみません。そのかけ橋の役目を、微力ながら務めてゆきたいと
思います。
どうぞご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
―――― 映画「祝の島(ほうりのしま)」を応援する会事務局
●ご入会のご案内●
製作協力金:一口 5,000円。
※お振込をもって入会となります。
※法人名でもお申込頂けます。
※郵便振込口座:00180-1-357684
(映画「祝の島」を応援する会)
・会の目的:映画『祝の島』製作、上映を応援すること
☆撮影報告を兼ねたお便りをお送りします。
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ふたりだけの撮影クルー~
■ひとり:纐纈あや監督「映画『祝の島』製作奮闘日記」ブログ
http://holynoshima.blog60.fc2.com/blog-category-3.html
■もうひとり:大久保千津奈カメラマン「KBC映像スタッフ裏話」ブログ
http://kbcblog.blog15.fc2.com/blog-entry-8.html
(以上引用終わり)
掲載者 安渓遊地