珍島の村人も忙しい――連日学生を受け入れ(地球研・湯本先生の見聞から)
2008/11/09
なんたる偶然! ほあっと あ こいんしでんす!
総合地球環境学研究所(地球研)のプロジェクトでお世話になっている、湯本貴和さん(生態学)も、私たちと1日違いで、珍道の、しかも同じ村で過ごしておられました。彼からのメールを、許可をいただいて抜粋します。
ソポリの村のみなさんも連日学生受け入れで、たいへんにお忙しかったのに、疲れも見せず、あたたく熱心に迎えてくださいました。感謝です。
以下湯本さんからのメールの引用
2008年10月31日、木浦のホテルを朝7時に出発し、木浦大学の学生さん20名ほどと大学のバスで珍島に渡りました。
珍島大橋を眼下に望んで文禄慶長の役(韓国では壬辰倭乱という)の際に、李舜臣将軍がたった12隻の船で130とも330ともいわれる日本水軍をいかに撃退したかという話、元寇のときにソウル陥落後、主戦派が江華島に後退し、さらに温暖かつ土地が豊かで自給自足ができそうな珍島に移って築城した龍蔵山城の話、珍島物語で有名な海割れの話などに韓国人なら誰でも知っている史実にちなんだ、ゆかりの地を探訪しました。11月末に60名の学生さんを案内する下見だったので、それぞれの旧跡では担当の学生さんがしっかり準備していて、その場で解説をしてくれました。韓国はいまテーマパークとキャラクターが大流行で、海事テーマパーク(建設予定)で、日本のキャラクターのような2等身キャラで李将軍やらをつくっていて、それを木浦大学の島嶼文化研究所が監修しているそうです。
とっぷり日が暮れたあと、素浦(ソポ・リ)という小さな村に着きました。珍島はもともと珍島アリランなどの芸能の宝庫。とくにこの素浦村は日本でいう人間国宝(韓国では人間文化財とよぶ)が輩出した地で、前の村長さんが気張って野外ステージや公民館、さらに芸能見学にきたひとたち用にごはんとキムチ、スープなどをセルフで食べてもらう簡易食堂などを続々と建設し、村のおかあさんやおばあさんを総動員して、郡庁の援助をうまく使いながら伝統芸能体験村を自主運営をしています。夕方遅くから始まるので、見物客はそれぞれの民家に民泊ですが、ここでもわずかながら収入をあげることができる仕組みになっています。
午後8時すぎにそろそろ観客がそろってきたかなというころ、前村長がやおら携帯電話をかけまくり、「早く全員集合!」。しばらくすると、おかあさんたちがぞろぞろとやってきてはprivateという部屋に入って着替える様子。いよいろ芸能大会のはじまりはじまり。まず前村長が口上を述べ、おばあさんの独唱。本場のアリランは腹の底、喉の奥から絞り出すような激しい歌だったんですね。そのあと、おじいさんの恨(ハン)のこもった独唱。つぎが女性20名ぐらいの大円舞カンガンスーレ。チュソク(お盆)や運動会でもやるという定番だそうですが、初めはカンガンスーレと歌いながら、ゆっくり手をつないでぐるぐる回り、そのうちに輪が二重になったり一重にもどったり、全体がうねるように動いたり、くぐりぬけをしたり。最後は瓦渡りといって、じゃがんでいるみんなの背中の上をひとりの女性が立って歩いたり、たいへん激しい円舞。約20分間、平均年齢60才ぐらいで、みなさん汗だくの大熱演でした。そのあと、農楽という、大太鼓、小太鼓をたたきながら、別のひとが帽子につけた紐をリズムに合わせて回す芸能(これは世界の大道芸でみたことありました)。
夜10時になって、「いつ終わるかわからない」というので、約1時間をかけて木浦に帰りました。学生たちはもちろん民泊。
翌日は朝から帰国の途につきましたが、昨晩の芸能があまりに衝撃的だったので、金浦空港で、ハングルはわからんけれど伝統芸能と名がつくCDを5枚ばかり買い込んで帰ってきました。
(以上、引用おわり)