論文)周防灘の自然と上関原子力発電所建設計画
2005/01/31
保全生態学(日本生態学会第二和文誌)8:83-86ページ (2003年)に
実践報告という区分があり、そこに次の題で載せたものです。
学会の編集委員会の査読を経ています。
周防灘の自然と上関原子力発電所建設計画
――生態学会の二つの要望書をめぐるアフターケア報告
安渓 遊地(日本生態学会自然保護専門委員,
同委員会内・上関原子力発電所要望書アフターケア委員長,
山口県立大学教員)
1.周防灘東部の生物多様性
日本最大の内海瀬戸内海は,とくに1970年以降,護岸工事,埋め立て,海砂採
取,工場廃水の流入などによって本来の豊かな生物多様性を急速に失ってきた
(和田ほか,1996;加藤,1999)。1979年には瀬戸内海環境保全特別措置法が施
行されたが,香川県豊島の産廃問題などの環境破壊は続いた。その中で,瀬戸内
海西端の周防灘は,中央部の徳山湾における有機水銀汚染などがあったものの,
全体としてはもっともよく本来の自然環境が保全された海域である。
例えば,岩国市沖の柱島で加藤(Kato,1996)が55年ぶりに再発見したカサシャ
ミセン(腕足類,Discinisca sparselineata)は,カンブリア紀の生き残りであ
るが,上関町長島の田ノ浦には,それが岩場を覆うほど生息している場所がある。
また,長島から祝島にかけての海底には,いまや幻の生物に近くなったナメクジ
ウオ(Branchiostoma belcheri)が多数生息している(福田・佐藤,2001)。周
防灘は,軟体動物の系統分類ではミッシングリンクの位置をしめるものと注目さ
れている希少なカクメイ科貝類(Cornirostridae,Tomura spp.)が次々と発見
される世界でも珍しい海域であり(福田,2000),原発の予定地とされる田ノ浦
は,レッドデータブックに掲載された8種の貝類をはじめ,調査のたびに新種や
希少種が発見される場所なのである(Fukuda et al. 2000)。さらに,瀬戸内海
の食物連鎖の最上位に位置する小型クジラ類のスナメリ(Neomeris
phocaenoides)は,この20年で個体群が激減したが,唯一,柳井市から祝島を経
由して平郡島へ向かうフェリーのルートでは逆にわずかに増えている(Kasuya
et al.,2002)。このように,周防灘東部の海の生態系は現代日本では例外的な
健全さを保っており,瀬戸内海の原風景(本来の自然環境と生物相,そしてそれ
らと共存可能な人間活動)が残されていると評価されている。
この他,予定地周辺には絶滅危惧種のハヤブサが営巣しており,ビャクシン群落,
キンランやギンランなどの希少植物が生育する照葉樹林の存在が,比類のない生
物多様性をもつ海を守ってきたものと考えられている(安渓貴子・野間,2001)。
さらに,田ノ浦の水田は20年以上にわたって放棄されており,農業用の薬剤が流
入しなかったことも,田ノ浦の海のきわだった健全性を保つために貢献したと考
えられる(Ankei & Fukuda, in press)。
このような豊かな生物多様性をもつ浅海域は,1970年代までは,瀬戸内海あるい
は日本の他の内湾域でも普通に見られたものと考えられる。しかし,日本中で破
壊の進んだ今日では,周防灘東部の海のような自然を残しているところはきわめ
て稀になってしまった(加藤,1999)。今回の上関原子力発電所建設予定地は,
まさにそのような特別な海域を開発する計画と言える。
2.原発計画と駆け込みアセス
このような特別な海域で原子力発電所のような大規模な開発を計画する場合には,
通常の開発計画とは異なり,特別に環境保全に配慮した慎重な環境影響評価が求
められる。
長島田ノ浦の海岸に原子力発電所を建設する計画を中国電力(株)が発表したの
は,1982年?の夏?だった。現在の計画によれば,30haの計画面積のうち,15ha
は海を埋め立てる。そのために必要な土砂は17万立方メートルに達する。137.
3MWhの沸騰水型原発は2基で毎秒190トンの温排水を放出する。これは山口県最大
の流量をもつ佐波川の平均流量の約10倍である。冷却水取り込み量は,1ヶ月で
約5億トン。長さ10キロの海岸線にそって,平均水深50メートルの海を沖合1キ
ロまですっかり入れ替える量である。温排水は,放射性物質を含み海水より7度
熱い状態で放出されるが,吸い込まれた卵や幼生や稚魚類は水温の急激な上昇と
次亜塩素酸ナトリウムの混合により,政府の認めた数値では7割が死滅する(日
本生態学会中国四国地区会,2001)。
上関原子力発電所の計画は,地元の反対が根強く,ことに予定地と向かい合う
祝島漁民の強硬な反対によって環境調査すら満足にできない状況が続いた(朝日
新聞・山口支局,2001)。
ところが,1999年6月12日をもって日本でも環境影響評価法が施行される。そう
なると,調査の範囲や方法を定める「方法書」の段階から住民意見を聞くなど,
事業者にとってはますますハードルが高くなる。1972年に定められたいわゆる
「閣議了解アセス」にそって審査されることを期待して,急いでとりまとめられ
たのが,1999年4月に提出された準備書であった。施行以前の1998年4月に新法を
先取りした環境影響評価をめざした愛知万博(島津,1998: 226 ),同じ山口県
に宇部興産が建設する石炭火力発電所の場合も1998年11月に方法書(ユービーイ
ーパワーセンター,1998)をまとめている。これらの例と較べれば,中国電力に
よるアセスは,通産省(当時)の通達が定めたマニュアル通りの旧態依然たるも
のであった。
山口県は環境影響評価の審査のために1990年に「山口県環境影響評価技術審査
会」を設置していたが,審査会では,中国電力による「準備書」の審査は,新法
の施行をまち,準備書の段階からではあるが,新法にのっとって審査することに
した。
中国電力の「準備書」は,前述の希少生物のほぼすべてを欠落させたものであり,
ほとんどの地図に祝島が除外され,温排水の影響等についても「影響は少ないも
のと考えられます」という記述が続くレベルの低いものであった。
山口県の審査結果は,「予定地が生物多様性を有する場所であること」を認め,
「科学的な環境影響評価を」という,事業者にとって厳しい知事意見となった。
このため,監督官庁であった通産省もスナメリ,ハヤブサ,カクメイ科貝類など
についての追加調査を中国電力に指示せざるを得なかった(波田,2001)。
3.2度にわたる生態学会の総会決議
上関原子力発電所をめぐり,日本でも例を見ない生物多様性を無視したずさん
なアセスの状況に対して,日本生態学会は,2000年3月25日の第47回大会総会
(熊本)において,「上関原子力発電所(1,2号機)建設予定地の自然の保全
に関する要望書」を決議した。学会として,国策で推進される原子力発電所計画
に対する要望書をまとめたのは,これが最初であった。さらに,翌年の2001年3
月29日の第48回大会総会では,さらに「上関原子力発電所(1,2号機)に係る
環境影響評価についての要望書」が決議され,学会としては異例の2年連続の要
望となった(http://wwwsoc.nii.ac.jp/esj/)。
これらを補足するものとして,日本生態学会中国四国地区会では,これまでに
以下の3つの文書を関係者に提出している。1)「上関原子力発電所に係る環境
影響評価中間報告書に関する見解」(2000年11月16日付け),2)「中国電力
(株)上関原子力発電所1,2号機計画の総合資源エネルギー調査会・電源開発
分科会への上程について」(2001年5月13日日本生態学会中国四国地区会総会決
議),3)「上関原子力発電所(1,2号機)に係る環境影響評価書についての
見解」(2001年7月12日付け)
(http://had0.big.ous.ac.jp/~hada/acessment/kaminoseki/kaminoseki.htm)。
これらは,当該発電所の環境影響評価書が,法の定める環境影響評価の基本を
満たしておらず,予定地の自然の豊かさを適切に把握しているとはまったく言い
難いことを指摘したものであった。結論として,上関原子力発電所の建設計画の
環境影響評価は,それに基づいて開発着手を容認することはとうてい承諾できる
ものではないことをくりかえし指摘してきた。
中国四国地区会では,中根周歩前会長(広島大院)の時期に要望書のアフター
ケア委員会をバックアップするために,20人以上の専門家を長島生態調査ワーキ
ングループに委嘱するとともに,自然保護団体の「長島の自然を守る会」とシン
ポジウムなどを共催するなどの取り組みをおこなった。その体制は,波田善夫現
会長(岡山理科大)のもとに引き継がれている。アフターケア委員会としても,
生態学会の大会で2000年から3回にわたって自由集会を企画し,調査の成果を報
告し,意見交換をおこなった。
こうした地区会としての積極的な取り組みにもかかわらず,残念なことに,日
本生態学会と地区会の要望や見解に対して中国電力からの誠実な対応は得られて
いない。中国電力の「環境影響評価書」は,2001年7月に経済産業省によって承
認された。しかし,建設過程および運用後のそれぞれの段階において想定し得る
個々の要因について,正当な論理・方法を用いた環境影響評価は,今日にいたる
まで行われていないのである。
4.保護をめぐる現地での情勢
建設計画そのものは,2001年秋に国の計画に組み入れられてからも,予定地近
隣の8漁協のうち祝島漁協が唯一漁業権をめぐる保証受け取りを拒否し続けてい
ること,建設予定地内の地区共有地をめぐる訴訟,特に炉心予定地と重なる10ha
の神社用地の売却を宮司が拒否してきたことなどによって,具体的な進展はみら
れなかった。
2003年3月になって,にわかにあわただしい動きが始まった。
3月18日,山口県神社庁は突然,神社用地の売却に反対してきた宮司を解任し,
即日別の宮司を任命した。役員は全員売却に賛成であるため,中国電力がこの土
地を入手できる公算が高まる。
3月28日上関原発1号炉の炉心にある四代地区共有地裁判(共有地を炉心から
遠い中国電力所有の土地と交換したことに対して,4人の四代住民が交換の無効
と入会権の確認を求める裁判を起こしていた)の判決がでた。岩国地裁で交換の
無効は認めなかったが,入会権についてはこれを認めた。
4月27日,上関町長選挙で,推進派の押す新人加納簾香氏が当選。
4月30日,加納新町長の後援会長が買収の疑いで逮捕,6月10日起訴。禁固刑以
上となれば連座制の適用で町長は失職することになる。
原子力発電所の建設に先立って事業者が行わなければならない手続きは,まず,
約2年間にわたり,予定地を中心とする半径30キロにおよぶボーリング調査・試
掘坑調査を含む「詳細調査」。そのあと,半年程度の審査準備,および2年かけ
ての安全審査と続く。これとは別に,予定地の造成をする準備工事も必要である。
しかし,3月28日の判決により中国電力は,予定地の中の共有地部分の樹木を切
ったり,土地を整地したりすることができない。
5.地区会で詳細調査中止の要望を決議
詳細調査においては,炉心予定地で最大で直径2メートル,深さ10数メートル
におよぶ穴を開ける大がかりな工事を行うとされている。しかし,掘削用機械の
搬入と設置方法を想定した上での,振動と騒音,水質改変が,海域,湿地,照葉
樹林などに与える影響や多数の希少種・絶滅危惧種(ハヤブサ・スナメリ・ナメ
クジウオ・ヤシマイシン近似種・カサシャミセン・アカウキクサ・キンランなど)
におよぼす影響も,適切に検討されていない。
新聞報道等によると,中国電力はできるだけ早く上関町および山口県の許可を
得て,発電所建設予定地内でのボーリング調査・試掘坑調査などからなる「詳細
調査」に着手したい意向を持っている。山口県知事も,2003年4月15日の会見で
「安全審査のための詳細調査なら断る理由はない」としている。 こうした状況
を踏まえて,日本生態学会中国四国地区会は,予定地の自然の価値にみあう環境
影響評価が完了していない現状では,「詳細調査」を行うことは容認できないと
して,2003年5月18日に,松江市の島根大学で開催された中国四国地区会第47
回大会総会で,「上関原子力発電所(1,2号機)の詳細調査に着手しないこと
を求める決議」を可決し,中国電力社長,上関町長,山口県知事,経済産業大臣,
環境大臣に対して次の3点を申し入れることになった。
1.中国電力(株)は,上関原子力発電所の環境影響評価を方法書の段階から科
学的なものとしてやりなおすとともに,再アセスメントが完了するまでは,予定
地の自然環境と生物多様性に悪影響を与えるおそれがある詳細調査などの次の段
階に入らないこと。
2.上関町および山口県は,予定地の生物多様性の貴重さに鑑み,予定地の自然
が破壊されないことを確認した上でなければ,詳細調査に必要な許認可を事業者
に与えないこと。
3.監督官庁は,予定地の生物多様性の貴重さに鑑み,予定地の自然が破壊され
ることがないように必要なあらゆる措置を講じること。
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