国際文化学研究会)第2回折戸洪太さんの「中国経済改革と洋務運動-歴史の鑑に映す」報告
2007/05/23
2007/5/25) 第2回山口国際文化学研究会は、折戸洪太さんの「中国経済改革と洋務運
動-歴史の鑑に映す」でした
第2回山口国際文化学研究会のあらましの報告
教員世話人:安渓遊地、安野早己
院生世話人:藤井道子、横山睦美
日時:2007年5月25日(金)19時30分から
場所:国際文化学部会議室 (19時10分開場)
講師:折戸洪太教授
演題:中国経済改革と洋務運動-歴史の鑑に映す
内容(予定)
近日中に白帝社から出版予定である標題の著作の内容を紹介する。また、これま
で
出版した以下の三冊について概観しながら、標題作とのつながりをあきらかにす
る。
『入門 中国経済論』(不二出版)
『中国改革・開放の20年と経済理論』(白帝社)
『中国における社会主義経済理論の展開』(不二出版)
自らの専門性の追求と、実際の教育現場での要請との折れ合いのなかで歩んできた
教育研究生活をふりかえり、これから書こうとしているテーマにも触れたい。
以下は当日配られたレジュメです。
2007.5.25
第2回 山口国際文化学研究会
折戸 洪太
わたしにとっての
『中国経済改革と洋務運動――歴史の鑑に映す』の位置
*わたしと中国研究
わたしは、経済学(マルクス経済学、社会主義経済論)「工業経済論」ゼミに所属
していた。もう一方で、中国語、中国研究家との交流があった。
安部磯雄(1865~1949年)、北澤新次郎の流れ
河上肇(1879~1946年)
「中国研究から中国経済(学)」 「時事問題」
(必ずしもマルクス経済学ではない)
「マルクス経済学(社会主義経済論)から中国研究」
「マルクス経済学(社会主義経済論)からソ連研究」
その後 中国研究、ベトナム、東欧、北朝鮮経済研究へ 現在は移行経済研究へ
*「三つ子の魂」マルクス経済学、文革とはなにかを見つめる
中国経済の研究開始時期が「文化大革命」の開始時期にあたり、「中国に経済学は
ない(表面的にはたしかにそのようにみえた)」とのソ連経済研究者たちの意見のな
かで、中国における経済理論家である孫冶方の論文「価値を論ず」と出会う。かれは
当時集中的に批判されていた人であるが、実際には、ソ連の理論・スターリンモデル
に反対していたのであるが、中国社会がソ連を「修正主義者」として批判しており、
かれ自身も国内では修正主義といわれていたため、「修正主義者」としか見えなかっ
た。そして「文化大革命」が破綻し、批判の構造がある程度明らかになるにつれ、自
分の理解するところから判断しなければならないことを知る。そのためには、自分で
文献の翻訳をしていくことに決める。
「中国にも経済学はあるとの確信」のもとで、文革中(1973年)に出版された中国
人民大学政治経済学系教授徐禾主編の『新経済学入門(政治経済学概論)』に行き当
たり、それを翻訳・出版し、それをきっかけとして北京に1年間滞在することができ
るようになり、中国人民大学の徐禾教授をはじめとする教員と、討論、意見交換を通
じた理論研究が可能となり、中国の経済理論家たちの「ナマ」の声を聞くことができ
るようになった。
1982~1983年にかけて中国に滞在するなかで、それまで発禁されていた経済学文献
が新たに公刊されるようになり、孫冶方と数人の人たち、すなわち薛暮橋、許滌新、
王亜南が一定の水準をもって経済理論を展開していた人たちであることがわかり(こ
の他、蒋学模、于光遠、王学文、等々がおり、いずれも訪中以前に知っていた人たち
であるが)、この人たちにたいする理論追跡を開始する。しかし、公開された文献が
まるで洪水のよう多かったため、一方では論争史を読んで全体の流れをつかみ(この
ために5年間かかった)、一方では構成部分としての個人著作を読むしかなかった。
日本の大学で担当する中国経済論の講義においては、中国経済の現状を、「政策の
解説」「時事問題、用語解説」(計画経済時代には、三面紅旗、大躍進、土法高炉、
農業基礎論、2本足で歩く、四馬分肥、等、文化大革命では、両参一改三結合、五・
七幹部学校、工業が農業を支援する、走資派、実権派、赤色帝国主義、紅衛兵、人民
戦争、等、改革・開放政策後の以税代利、企業自主権の確立、平均主義的分配、実事
求是、請負制度、等)に終始していたが、それにはあきたらず、「中国現代経済史」
的な形態で紹介する必要から、中華人民共和国建国直後の経済状況から改革・開放経
済までの、経済の曲折した発展史を執筆しはじめる。
*出版順序
翻訳 徐禾 主編『新経済学入門(政治経済学概論)』東方書店 1979年
翻訳『中国社会主義経済理論論争史』上。下 不二出版 1986年4月、11月
著書『入門 中国経済論』不二出版 1992年
著書『中国改革・開放の20年と経済理論』白帝社 2002年
著書『中国における社会主義経済理論の展開』不二出版 2005年(前史)
初めての理論書『入門 中国経済論』を1992年に執筆。そして、2002年に、国際文
化学部学生を対象とする、改革・開放政策時期の変化の観察、討論しながら理解した
ところのものを上梓する。しかし、いずれもその経済面での歴史を追うだけで、理論
面で自分の意見を展開することができなかった。
2005年、はじめて理論面のみの作品「マルクス主義経済学の中国への伝播」を書く
ことができたが、これでもまだ、「中国におけるマルクス主義経済学」研究の「前史」
、「前提」にすぎなかった。その内容は、1983年に北京で手に入れた「マルクス逝去
百周年」のいくつかの文献を使って、ようやく入り口にさしかかっただけにすぎない。
わたしの理解(社会主義経済と価値法則)をまだ展開することができていない。また、
この本を執筆のための読解力を涵養するために、それからさらに20年間を費やしたと
もいえる。
*中国社会の特徴もあたまにいれて分析しなければならない
中国経済を研究するなかで、字面からでは十分に理解できない部分がでてきた。計
画経済時代の「デタラメナ指揮」、「長官の命令」等からはじまり、改革・開放期に
は、「向銭看」、「公家的私家的」、「あなたに政策あれば、わたしに対策あり」、
「官僚主義」、「農村戸籍と都市戸籍」、「当官児」、「下海」等のことばがなにを
表すかはっきりとしなかった。これらの説明には、中国の歴史のなかから説明をしな
ければならないものも多かった。そのキーワードは、日本と中国の歴史のなかでつか
われている「同じ言葉」(たとえば封建社会、官僚主義等)がもつ、それぞれの国で
の実際の意味がことなっていたことにある。
*『中国経済改革と洋務運動』
改革・開放政策が成功して、短期間のうちに中国の世界経済における比重がまし、
その行き先が注目を集めるようになった。しかし、経済改革が開始されて25年の久し
い間うまくいっているといわれてきているが、実際にはうまくいっているわけではな
い。(「以税代利」、「請負責任制」、「企業自主権の確立」等)さきのさまざまな
要素がはいっていて、はっきりとみえてこない部分があるのである。そこで、中国の
特色である「歴史の鑑」をつかって、経済改革、改革・開放政策の観察を試みた。こ
のためには、中国近代史にもおそるおそる踏みいっていった。(中国でも、経済学を
学ぶ者と古代史を学ぶ者との間にはことばのうえで断絶があるといわれており、われ
われもまた同様である。)
「改革・開放政策は、洋務運動を鑑とした」との、多くの人たちから聞いたことば
をひとつの「いいわけ」、「口実」として、それらの類似点を探ってみようとかんが
えた。洋務官僚と現在の共産党官僚の作用の比較である。決かとして、現在の中国も
また伝統的な「官僚主義」の影響のしたにあるとの結論となった。
これらは、中国の人たちのことばを「手がかり」とした。(「改革・開放政策は、
洋務運動を鑑とした」、「うまくいかないのは官僚主義が原因」等のことば)
*孫冶方、薛暮橋、許滌新、王亜南のいずれもが文化大革命時期に強烈に批判された
人たちである。その「批判」についての中国伝統の問題を手がかりとして、これらの
人たちを研究したのち、はじめて1人ひとりの人たちの理論の研究に入りたい。それ
が、20世紀における中国マルクス主義経済学の紹介になるからである(現在の経済学
は、すでにマルクス主義経済学とはいうことができないくらいである。第2代の研究
者たちとは、つまり解放戦争のさなかに育ち、マルクス主義経済学に習熟した、計画
経済時代に活躍した人たちのことである。たとえば、徐禾、劉詩白、何煉成、呉樹青、
荘次澎、そして、董輔初、劉国光、張卓元等の人たちもまた、若い人たちの経済学に
「とまどい」をもっているようである)。
*「マルクス経済学」にもとづいた「社会主義」とはなにか
マルクス経済学は、時代によってその意味するところが大きく変化してきた。レー
ニンの時代、スターリンの時代、毛沢東の時代、どの時代が正しいマルクス主義であっ
たかはまったくわからなくなっているが、世界史的にマルクス経済学が19、20世紀の
世界に大きな影響をあたえたという事実、その一部としての中国、それと係わるなか
で日本での影響を描いていくことになるとかんがえている。