裸になる智恵)西表島の自然とのつきあい方 #Iriomote_RT_@tiniasobu
2020/09/10
2020年9月11日修正
1. pdfからテキスト化した時の文字化け修正しました。
2. 御嶽を御獄 と書いていたのをなおしています。
3. ウェブ用の前書きを付けました。
環境情報科学 28-1 (1999年) 特集/民俗と環境・・・トピックス
に書かせていただいた記事です。目次(添付の画像とこの記事の末尾参照)を見ると懐かしい著者ばかりですね。一般向けの雑誌という制約があって、引用文献を付けていませんが、國分直一先生の私信以外は、ほぼ 私と安渓貴子の著作または編集の文献からの引用です。
西表島について書く記事には、ほぼ例外なく、ヤマネコ印西表安心米の注文ができるように、連絡先の電話番号を書き入れていた時代のものです。電話番号は今も有効で、無農薬米の生産は、続けられていますが、1993年年からは、自分で食べる分の無農薬米の田んぼづくりを、鳥取県の大山の麓で始めて、それ以後は、お米を買うのは外国で暮らしているときだけというようになりました。2012年からは、山口市北部の阿東高原で、息子を中心に、無農薬・無除草剤・無化学肥料の山口安心米を販売する農家となり、翌年には土石流の災害に遭いましたので、いよいよ西表島の裸になる智慧も実践しなければ、というところまで来たのかもしれません。
裸になる智恵一一西表島の自然とのつきあい方
安渓遊地 (山口県立大学教員)
1.人と自然が共存してきた島
イリオモテヤマネコの島として世に知られた西表島は,「秘境」「原始の島」などと,ほとんど無人島のようにもてはやされることが多い。しかし,そこには4000年も昔の遺跡や,500年以上続いた集落がある。人と自然がみごとに共存する智恵を永く保ってきた島だったのである。私は1974年から西表島に通い続けて,その智恵の世界を学んできた。そこでうかがったさまざまなお話から,まず島の西部の網取(あみとり)村の山田武男さんによる伝承をとりあげたい。
2.裸になって大自然の前に立つ
西表島の南西海岸にウビラ石という巨岩がある。このあたりは,夜の潮干狩りに絶好の場所であるが,子,午,酉の日などはカンビューリ(神日和)といって,夜一人での行動は慎んだ。それはここが「神々の遊びの場」だと言い伝えられるからである。昔,ある人が一人で夜の海に行き,帰り道ウビラ石の近くまで来てみると,これはどうしたことか,ウビラ石一面に灯籠のような火がともり揺れ動いていた。山を見上げると,山の頂からウビラ石までが火でつながれていた。あまりの恐ろしさに,その人は身の毛が総立ちする感じでその場に立ちすくんだ。ようやく正気に戻り,これが昔の人がいうカンヌトゥール(神の灯籠)とさとり,いろいろと神に願掛けしたが聞き入れてもらえないので,しかたなく裸になり,
ぬいだ着物を頭の上にゆわえ泳ぎ始めた。すると灯籠が動き,ウビラ石の先の方にずらりと並び,泳いでいる人を照らしてくれたのである。やっと向う岸に泳ぎ着いた彼は,着物を着け,後ろ髪をひかれる思いで家にたどりついた,と伝えられている。
次にあげるのは,昭和のはじめころの網取村での例である。網取は山奥の田が多く,ちょっとした雨でも土砂崩れが激しい。傾斜の急な田の高い畦が崩れたりすると,とうてい一軒の力では修復できないので,村中の人の助力を頼み,牛をつぶし,酒をふるまってそれをお礼がわりにするバフという助け合いがあった。しかし,同じ畦がまた崩れたので,山田武男さんの父君は,その場所で次のように祈った。「私はいたって貧乏でありますから,こんなに畦が崩れては,困り果てております。地の神様はどうぞ崩れないようにお守りいただきますようお願いいたします」。そのときにすっ裸になって真剣に祈っていた父君の姿を,山田武男さんは子ども心によく覚えていた。祈りが通じて,それ以後そこが崩れることはなかったとい
。
また,西表島西部の祖納集落で神職にある女性からうかがった話だが,長い旱魃から村人を救うための雨乞いとして,湧き水の傍らで裸になり禊ぎをして,慈雨に恵まれるまで毎日祈り続けたことがあった。考古・人類学の國分直一先生のご教示によると,西表島の南の波照間島民によるジュゴン猟のさいには,一人の男が舟の上ですべての衣服を脱いで横たわると成功するという儀礼的な行為がなされていた。
さらに,網取村の山田武男さんによると,海辺を歩いていて海亀やタコの産卵に出くわしたときには,けっして産卵のじゃまをしないようにし,すべての衣服を脱ぎすてて見守らなければならないという決まりがあった。海亀の卵の孵化に出くわしたときにはさらに厳しく,孵ったばかりの子亀たちの海までの難路を少しでも平らかにするために,脱いだ褌をひろげて通路とし,その上を子亀たちが歩くようにして海に帰るのを見届けるべきものであった。西表島と周辺の島びとたちは,大いなる自然の不思議の前にすべての衣服を脱ぎ捨てて,イキムシ(生き物)たちの一員として,自らが貧しく謙虚な存在であることをアピールしつつ,あらぶる神々や人間の尋常の力の及ばない世界に働きかけてきたのであった。そこには,
「自然保護」という言葉にみられるような,人間中心の思い上がりとはまったく異なる土着の智恵の体系があり,これこそが西表島の自然を今日まで保たせてきたものであると私は考えている。
3.カンヌトゥガ(神罰)
大いなる自然に対する慎みの念としかるべき敬意を忘れたものには,恐るべき神罰が下る。古文書には,17世紀,薩摩藩から西表島に派遣された役人が,猪の群れとその先頭の大猪に跨った神人に出会い,高熱を発して死亡したという記録や,島の人がワニだという「水鯖」と称する怪物がすむマリユドゥの滝壷を禁じられた日取りに訪れた場合,水面を狂いめぐる「水鯖」の巻き起こす突風によって,四周の山々の木々がすべて薙ぎ倒されるという記事がみえる。「水鯖」が守っていた聖域に日本軍は製材所をもうけ,西表島の島びとと台湾の人びとに命じて材木を切り出させたが,1944年11月に未曾有の大洪水がここを襲い,事業は壊滅する。多数の死者・行方不明者を出したこの悲劇は,伐採した木の根や土砂が作る自然のダムが
決壊
したためであった。このときカシの木に登って命ぴろいした祖納村のある家族は,その後洪水のあった日ごとにこの木を詣でて「命を救っていただいたお陰様でこうして一家そろって健康でおります」と感謝をささげていた。島びとの多くがカンヌトゥガ(神罰)と考えている事例はいまも少なくはないが,それをおおっぴらに語ることは憚られるので,ここでは半世紀前の事例を一つあげるに留めておく。
こうした悲劇を防ぐには,常日頃の心がけが大切である。西表の島びとは,野山の木の実や果物を採る前には,「バーミトーリヨー」つまり,「私の分をいただかせて下さい」と唱える習慣があったし,洞窟や大木の下で野宿するときには,イリャーヌヌシ(洞窟の主),キヌヌシ(木の主)に挨拶をし,許しを得てから泊まるものであった。
西表島の昔ながらの習慣をいまも行っている人は少なくなったが,それでもなにげない日常的な行動の中に自然の神々や精霊への挨拶と祈りは含まれているようである。たとえば罠にかかった猪を撲殺する前に,「ミーハイユー! ボーレー(ありがとう、お利口さん)。来年もかかってくれよう」とねぎらいの言葉をかけたり,野外で弁当を使うときは,食べる前に少量をとってジーヌカン(地の神)や船魂様にささげるといった習慣がいまもみられる。
また,古くから行われてきた稲作をめぐっては,たくさんの儀礼と祭りがあり,それに付随する古謡やさまざまな禁忌があるが,ほとんどの農作業が機械化されつつある今日でも,西表島ではその多くがゆるがせにできない儀式として厳粛にとり行われている。
4.島びとの新しい動き
これまで習慣に従ってほとんど無意識に行ってきた自然とのつきあい方を,あらためて意識的に再構築しようという試みが近年になってみられるようになってきた。その例として,西表島の住民の間に起こっている二つの動きを紹介したい。
一つは,これまでの観光ではなく自然を敬い,自然に守られてきた西表島の暮らしに学ぶ,もう一つの観光を推進するエコツーリズム協会である。1994年に発行された西表エコツーリズム・ガイドブック(西表エコツーリズム協会,電話09808-5-5589)は,「エコツーリズムの心得」を掲げている。その中で,神聖な御嶽(ウガン)に行き当たったときは,「必ず手を合わせ,旅の安全と健康を祈りましょう」と述べ,「御嶽の中の木や草,その他の生き物,石コロ1つでさえもとったり,動かしたりしてはいけません」と,訪問者たちに島の智恵についての助言を与えている。
もう一つは,1988年から取り組んでいる農薬・除草剤・化学肥料を使わない「ヤマネコ印西表安心米」(電話09808-5-6302)の産直である。イリオモテヤマネコのおもな餌場が,水田周辺の湿地であることをふまえて「ヤマネコも人も安心して暮らせる西表島に」をスローガンに,島民自身の健康と野生生物の保全を目標に10年目を迎えた。
1991年からは合鴨を導入して全国200世帯に産直しているが,最近になってヤマネコが合鴨を食べてしまうという問題が起きている。その時,中心メンパーの一人は,「少しは食べられるのもしかたがないよ。ヤマネコの顔を登録商標にしたから,使用料を請求されたわけだなあ」といって笑ったのであった。
『環境情報科学』28-1 1999年3月29日発行
目次のスキャン画像をつけましたが、以下に詳細のリンクが載っています。https://www.ceis.or.jp/search/entries/articles/1/28
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環境情報科学28巻 (1999年)
1号 特集 民俗と環境
巻頭言 環境と民俗―日本人の環境観― [p.1]
佐々木高明 (国立民族学博物館)
「環境」ということばから [pp.2-5]
千田 稔 (国際日本文化研究センター)
山の民俗,いくつもの日本へ [pp.6-9]
赤坂 憲雄 (東北芸術工科大学)
人と自然との関係性―海の民族を中心に― [pp.10-13]
篠原 徹 (国立歴史民俗博物館)
民俗にみる環境観 [pp.14-17]
野本 寛一 (近畿大学)
景観のなかの社会,社会のなかの景観 [pp.18-22]
香月洋一郎 (神奈川大学)
稲作文化の世界観―神代神話にみる― [pp.23-27]
嶋田 義仁 (静岡大学)
農業生態系における民俗 [pp.28-31]
守山 弘 (農業環境技術研究所)
共感と共生 [pp.32-36]
姫田 忠義 (民族文化映像研究所)
トピックス1. 楽しみの自然論―嵐山― [pp.38-39]
鳥越 皓之 (関西学院大学)
トピックス2. 宮崎県椎葉村の焼畑慣行―混作をとおしてみた自然とのかかわり方― [pp.40-43]
永松 敦 (椎葉民俗芸能博物館)
トピックス3. 気候景観学と農耕文化 [pp.44-45]
市川 健夫 (長野県立歴史館)
トピックス4. 地域の歴史と計画論―沖縄の事例から― [pp.46-47]
地井 昭夫 (広島大学)
トピックス5. 近世琉球における風水流行の背景 [pp.48-49]
高良 倉吉 (琉球大学)
トピックス6. 裸になる智恵―西表島の自然とのつきあい方― [pp.50-51]
安渓 遊地 (山口県立大学)
トピックス7. フロンティアとしての離島 [pp.52-53]
中俣 均 (法政大学)
トピックス8. 自然のなかの五里霧中―子どもたちからはじめよう!― [pp.54-55]
鈴木 隆 (いすみ環境と文化のさと)
韓国の木にまつわる風習 [pp.37]
朴 美鎬 (環境情報科学センター)
国際地域学の構想 [pp.56-58]
藤井 敏信 (東洋大学)
南アルプス登山者の風景評価 [pp.59-65]
青木 陽二,北村 真一,近田 文弘 (国立環境研究所,山梨大学,国立科学博物館)
2号 特集 化学