西表島)浦内御嶽の80年ぶりの復活に思う #iriomote #urauchi RT @tiniasobu
2005/06/03
2013年1月12日 西表島西北端の聖地ウナリ崎の岬のリゾートの廃墟が撤去されて公
園のようになることになったということで、神様たちにも起きていただかないといけ
ませんので、リンク切れを直しますね。
なんとも不思議なめぐりあわせとしかいいようはありませんが、西表島の大型リゾー
トの裏の森の中で廃墟のようになっていた浦内御嶽が復活しました。
これまでに西表島で聞いた御嶽のことや、とくに浦内御嶽の神々(方言ではカンヌ
マイといいます)の不思議な力についての伝承などを思い出しながら、若干の感想を
書いてみます。
御嶽(沖縄方言でウタキ、西表島西部ではウガン)のもつ意味について
沖縄の島をあるいていると、こんもりとした森があって、そこに香炉が置いてある
ような場所があります。それは、神聖な御嶽(拝所)である場合が多いのですが、
一般向けで次のような資料があります。
1.安渓貴子・遊地の聞き書きで、次のような文書を発表しました。このホームペー
ジの「貴子」のところをクリックするとごらんになれます。
「島をまもって半世紀――西表島の神司・田盛雪さんのお話」http://ankei.jp/takako/?l=j&c=l&n=134
冒頭に、西表島での御嶽の意味などが書いてあり、かみつかさ(西表島の方言では
チカ)の祈りの力ということについても、触れられています。
2.西表島浦内川河口域の生物多様性と伝統的自然資源利用の綜合調査報告書1
http://ankei.jp/yuji/?l=j&c=a&n=7の中にもごく簡単に触れていますが、浦内川の河口にあった浦内村がいったん廃村になって、その中核をなしていた浦内御嶽が荒れ果てるままになっていったときのこと。
御嶽を拝む人たちがいなくなっても、そこに祀られた神々の霊威は衰えることがあ
りませんでした。
干立村の黒島英輝さん(故人)は、次のように語っています。
◎浦内御嶽のヤラブの木を伐ったらたたりがある。(1981年8月1日聞き取り)
トゥドゥマリにはトゥカチキ(和名シャリンバイ)とかいろんな木が生えて森をつ
くっていた。御嶽があるから「ウガンヤン(お宮の森)」と言っていたさ。ここはも
ともと浦内御嶽であるわけだから。「ここのヤラブ(和名テリハボク)を伐ったらた
たりがある。浦内御嶽の木を伐るな」と言いよったったぞ。うちのいとこ兄さんなん
かは、そのたたりで死んだと聞いたから。
うち(自分は)は御嶽のまわりで、末口2寸5分、長さ4尺の木を坑木になるから
伐った。しかし、御嶽の周囲と中は伐らなかったど。御嶽の中はこわかった。オバケ
がおるようにしておった。入れなかったさ。
今は全然わからんようになっている。昔の道のようなかっこうで木が生えて残って
いた。与那国茂一さんといっしょに行ったことがあるよ。昔、神司がお茶を沸かした
所が段が作られて残っておったさ。ユタも呼んで、神司とビジリで、フジ(火の神)
を石3つすえてからに線香を立てて拝んだ。上の方に手を差し出すようにして拝んで
おった。タカラダマという卵形の石が奥の方に座っておったさ。ガルン石といって流
れにある堅い石の丸いもので、飾り場(お供えする段)の上に石を置いて、ここでニ
ガイ(祈願)をしたよ。これをやったら、うちのばあちゃんの病気が治るというて。
ユタはよう当たるよ。私なんか知らんことまでようわかるさ。例えば、うちの祖先の
墓が干立の対岸のカビヤにあるとか。
浦内御嶽にはお茶をわかす所があったさ。カビヤのそばのチクララーなんかには昔
は川だったから今でもガルン石がたくさんある。今はプシキヤン(マングローブ林)
になってしまってないさ。昭和17年に浦川の上流の稲葉が大洪水になったふさがった。
干立などはマツの木があるけれど、マツの所は土地がやせておる。ウナリ崎はマツ
がないといって、干立から通って畑を作っていた。川石と違ってヤマ石にはトゲがあ
る。トゲがある石のある場所のソテツは澱粉が多いといって、ヤマ石があるウナリ崎
まで行って採ったど。浦内部落では、今の平良さんが家を造っている道の両側、巾10
0mくらいにソテツを植えた。アダヌパに行く手前、ウディバンまでは行かない所。1
町歩くらいあった。水気が少ない所だ。ここはフード(和名フトモモ)の木がたくさ
んあって、ナーリ(果実)を採って歩いたから知っているさ。
3.浦内御嶽のタカラダマが輝いて目を開けていられなかった話。
黒島さんよりは20歳ぐらい若い別の女性の話です。干立村で1990年ごろお聞
きした内容の抜粋です。
娘時代に、浦内村の跡へ、ミカンか何かを採りに行って、道に迷って歩いているう
ちに、急に浦内御嶽の所に出てしまったわけさ。
何が何か判らないけれど、カザリバの上にあるあのタマネギのような形をした、宝
玉っていうの、あれが見えて、それが黒い石のはずなのによ、ぴかーっと金色に輝い
て見えてから、目が開けていられないわけさ。目つむって手探りして、やっと道まで
出てきたけれどよ、村に帰ってから親にその話しをしたら、「あんたなんか浦内の関
係があるから神様が知らせたんでしょう」といわれたさあ。
4.浦内御嶽の復活(2005年5月31日)
80年ぶりに浦内御嶽が復活することになったという石垣金星さんからのニュースは、別のページに写真入りで載せましたが(http://ankei.jp/yuji/?l=j&c=l&n=133)
なんでも昨年は、ユタ(職業的霊能者)が3回も訪ねてきて、浦内御嶽を拝まれた
そうです。そして、浦内御嶽の神様はすでに立ち上がっておられる、と言い残していっ
たとのことです。
あとを継ぐ家系の女性は、東京あたりで暮らしておられたようですが、島にもどっ
てきて、今の言葉ではボランティアとしかいいようがない神司に就任されました。浦
内川の神々は、上流の聖地カンビレー(神々の交際場所。人間の交際はピトゥビレー
といいます)から、浦内御嶽を経て、ウナリ崎の岬でリゾートに破壊されたままになっ
ているウナザシ御嶽までひとつながりであることを島の伝承ははっきり物語っていま
す。このたび就任された神司も、次は、ウナザシ御嶽の再興をすると宣言しておられ
る、と石垣金星さんからの知らせにありました。
御嶽は集落の精神的な支柱であり、浦内川とウナリ崎は、西表島でももっとも聖な
る空間とされてきました。そうした島の要にあたる御嶽が復活するというのは、島の
自然や文化を金儲けの手段としてしか扱わない人々への警鐘でもあるだろうと考えて
いるところです。
2005年6月2日 安渓遊地