有機農業者から)「泊原発を止める会」4/4札幌でデモ、4/9余市で講演会 #genpatsu #tomari #organic RT @tiniasobu
2011/04/01
北海道からのお知らせです。
以下抜粋引用です。
北海道余市(泊原発から北東へ30km弱)で有機農業を営む牧野時夫です
「泊原発を止める会」というものを立ち上げました。4月4日に札幌でデモ、
4月9日に余市で講演会を計画しています。詳細は「農民芸術学校ブログ」
http://blogs.yahoo.co.jp/ecomacky をご覧ください。
原発は怖いけど、電力供給が不安定になるので今すぐ止めるのも難しいという
議論があります。しかし、そのような点に拘ると、本質を見誤ります。それを必
要とする世の中に仕向けられてきたということに、気づく必要があります。以下
は、本日私のブログに載せた文章「原子力に平和利用はない!」
http://blogs.yahoo.co.jp/ecomacky/64226128.html
からの引用です。少々長たらしいですが、お読みください。
原子力に平和利用はないということの理由。それは、原子力の原点がどこにあっ
たのかということを知ることによって分かる。本質に切り込む前に、少し横道に
それてみる。
私は、有機農業をやっている。有機農業とは、簡単に言えば化学肥料と合成農薬
を使わない農業ということである。なぜ私が労多くして経済的にはもうからない
有機農業にこだわるかといえば、それは、化学肥料と合成農薬が生命にとって危
険なものだからである。もっとも、化学肥料の危険度と農薬の危険度では後者の
方がはるかに大きいものだし、そしてさらに原子力(放射能)の危険度はもっと
大きなものである。しかし、その本質はすべて同じ、生命の敵ということであ
る。なぜか、それはそれがどうやって誕生したかを知ることによって明らかとなる。
化学肥料はどうやって誕生したのか。それは、第一次世界大戦の終結がきっかけ
である。第一次世界大戦では、それまでの戦争とは異なり、大量の爆薬を使って
人殺しをした。この爆薬こそが硝酸アンモニウム、つまり化学肥料の硝安であ
る。戦争が終わり、爆薬工場は需要を失い、その工場を無駄にしないために、資
本家は農業生産に需要を求めたのである。それまで有機肥料だけで作物を作って
いた農民は、パラパラと少量を土にふりかけるだけで作物の大きくなる化学肥料
というものを、お金で買うようになった。昔の農家は今でも化学肥料のことを金
肥(きんぴ)と呼ぶ。そして、その便利さに負けて堆肥を作ることをやめ、お金
を稼ぐことに精を出すようになった。化学肥料が土を殺すことには気づきもしな
かった。
次に登場するのが、化学合成農薬。これは、第二次世界大戦の終結がきっかけで
ある。第二次世界大戦では化学兵器が登場した。日本も中国でこれを大量に使用
して人殺しをした。皆様オウム真理教でよくご存知のサリンが代表的なもの。オ
ウム真理教では、地下鉄サリン事件で犯行を疑われた時に、あの上祐なんたら
が、農薬の研究をしていたと言い訳した。サリンは有機リン剤というもので、一
般的な殺虫剤と成分的にほとんど同じものである。それまで毒ガスを作っていた
工場が、その設備を平和目的(これがまやかし)に転用するため、農業利用とい
う需要を作り出したのだ。決して農民の側で需要があったから生まれたのではな
い。なぜならば、化学農薬が普及するまでは、害虫の被害など微々たるものだっ
たからである。殺虫剤こそが害虫を増やしているのだということに、農家は未だ
に気づいていない。殺虫剤は、害虫を殺すよりも捕食者である益虫を真っ先にな
くしてしまうのであり、一方で害虫は薬剤抵抗性を獲得するので、使えば使うほ
ど害虫が増える仕組みになっている。農業は、いつも工業の犠牲にされているの
だ。そして、この農薬は虫だけでなく、すべての生物に悪影響を及ぼしている。
安全基準なんてものは完全なまやかしで、基準を守ったから安全などというのは
ウソである。直ちに健康に影響がないだけだ(放射能と全く同じ)。自然界に存
在しない合成農薬は放射性物質と同様、生物によって消化分解されることはな
く、プランクトンのような微生物からそれを食べる小動物、それを食べる動物と
いうように捕食が繰り返されることによって何万倍にも濃縮されるのであり、イ
ンドで使われている農薬が北極のアザラシの体内から検出されているのである。
これがホルモン異常など生物に様々な異変を引き起こし、ひどくなるとガンを引
き起こしたり遺伝子を傷つけたりするのである。
そして、最後に原子力発電。これは東西冷戦の崩壊によって世界中に普及した。
核兵器による軍拡が意味をなさなくなったからだ。たくさんの濃縮ウランが余っ
た。この余ったウラン燃料を何に使うか死の商人は知恵を絞った。大きなエネル
ギーを生み出すので、発電に使おうということになったのだ。しかし、発電に
よって放射性廃棄物がどんどんたまり、その処理方法は全く未解決のまま発電所
だけがどんどん造られて来た。原発の建設、安全な運転(被爆労働を伴う定期点
検が欠かせない)、寿命を終えてからの廃炉および放射性廃棄物の処理まで考え
ると、これは全く経済的にペイなどしないことが明らかだし、もしかしたら生み
出すエネルギーよりも消費するエネルギーの方が多い。しかも、一端事故を起こ
したら、経済的にも環境的にも、到底とり返しのつかない危険きわまりないもの
であることは、最初から分かっていた。しかし、余ったウランをどうにかしなけ
ればならないので、アメリカのGEは日本に原子炉を売り込み、福島第一原発を
作った。そして、その技術を継承した三菱重工業や日立、東芝、IHIなどは
(これらは全て日本有数の軍需産業でもある)政治的に動いて原発を作れば作る
ほど儲かる仕組みを作り出し、余った電気を使わせるためにどんどん電力需要を
増やすあらゆる策謀をした。日本の街灯が、山の中を走る道路にまで不必要に明
るく照らしているのは、原発を作る口実のためにしか過ぎない。原発などなけれ
ばないで十分なのである。
お分かりのように、化学肥料、農薬、原子力はすべて、もともと生命を脅かす兵
器として誕生したものだったのである。それを平和目的に転用したところで、生
命を脅かす本質に何も変わりはないのだ。それは、本当の意味で平和な技術とは
言えない。ここに、資本主義の恐ろしさを見る。不必要な需要を生み出すことに
よってしか、資本主義というものは生き残れないのである。それがたとえ、生命
に敵対するものであろうとも、資本主義は巧妙なやり方で需要を生み出そうとす
る。我々は、この資本主義というものとこそ、闘わなくてはならないと思う。原
子力発電はエネルギー問題を考えた時には避けられない、という論法で資本側は
攻勢をかけて来ている。しかし、それははっきりウソであると、見抜かねばなら
ない。資本家は、金の力にまかせて、過疎で悩む辺鄙なところに、次々と危険な
原発や核燃料処理施設を建設してきた。もう、いい加減に金のとりこになること
は、やめなくてはならない。生命は金では買えないからだ。
牧野時夫 Augustine MAKINO Tokio
ウェブサイト「えこふぁーむ・農民芸術学校」
http://www.phoenix-c.or.jp/~m-ecofar/
農民芸術学校ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ecomacky
以上、引用者 安渓 遊地