『課題図書)『調査されるという迷惑』を選んでくださった若者のメッセージ
2010/08/02
今日も久高島は快晴。
猫になりたい というブログに、紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/maru2n0/20100731/
たぶん大学の授業でレポート課題になったんですね、ありがたいことです。
「私はフィールド・ワークでしか得られない、貴重で重要な調査結果があると信じて
いる。」と「猫になりたい」さんは書いています。
そうなんですよ、猫になりたいさん。
フィールドワークは 車のドライブと同じです。いまでは誰もがするものだし、す
てきなドライブの向こうにはすばらしい景色や、食べたこともないような食べ物、一
目でひきつけられるような人たちとの出会いがまっていることでしょう。でも、ひと
たび事故をおこせば悲惨です。
だから、こんな交通事故集のような、免許更新のときに見せられるビデオのような
本が必要なのです。
そして、適正のない人は、やはりハンドルをにぎってはならないのだと思います。
2010-07-31 調査のモラル
課題図書:宮本常一・安渓遊地『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読ん
でおく本』みずのわ出版、2008
著者の宮本氏は、1907年に山口県で生まれた。天王寺師範学校を卒業後小学校教師
となったが、病を得て帰郷。療養中に柳田国男の著作を手にしたことがきっかけで、
柳田や渋沢敬三といった生涯の師と出会い、フィールド・ワークを行うようになる。
もうひとりの著者である安渓氏は、1951年に富山県で生まれる。京都大学理学部性
のとき、川喜多次郎の移動大学運動に触れてフィールド・ワークを志すようになる。
本書は、書名の通り、フィールド・ワークが調査される側にもたらす様々な迷惑に
ついて記されている。第一章のみが宮本氏の言葉で、序章および第二章以降はすべて
安渓氏によって書かれたものだ。実際にあった例を引いての記述が多く、わかりやす
い一冊である。
私は社会調査等に興味があり、今までは実際に人とふれあう調査がもたらす良い面
ばかりに注目すること多かったため、あえてこのショッキングなタイトルの本を選ん
だ。
本書を読み、私が最も感じたことは、調査対象も人であるということである。これ
を忘れてしまってはならない。よく、生命倫理の分野にて新薬開発の被験者となる人
の倫理がうたわれ、実験体ではなく一人の人間として扱わなくてはならない、という
主張がされるが、フィールド・ワークに関しても全く同じことが言えるだろう。調査
なのだから何をしても良いわけではなく、学問なのだから必ず人のためになるわけで
はない。調査者が好き勝手してしまっては、被調査者には何の有益なこともないので
ある。被調査者も人間であり、生活があり、家族がいて、感情があるのである。
同時に、いかにその調査が重要か、ということの認識を双方が持つことが大切だと
も思った。調査する側とされる側の温度差は、仕方のないものなのかもしれないが、
それを埋めていこうとすることは、調査結果をより有益なものにするためになくては
ならない。調査の重要性の理解があるのかどうかは、おそらく被調査者の協力や意識
にも影響を及ぼすだろう。
被調査者の協力度合いという面においては、調査者の人格も大きな要因になるだろ
う。つまり、親しみを持て、安心でき、信頼するに足る人物なのかどうか、というこ
とだ。日常の人間関係において、当たり前とされていることが、調査の場で失われて
しまうことは、とても悲しい。
私はフィールド・ワークでしか得られない、貴重で重要な調査結果があると信じて
いる。調査方法が悪いという理由で、その調査結果が失われることがあってはならな
いのである。身近なフィールド・ワークにおきかえて考えた場合、たとえば、50人く
らいの学生が大声でおしゃべりしながら地域の巡見を行えば、地域の方には必ず迷惑
がかかるだろう。道が通りにくいうえ、うるさいのだ。しかし、地域の巡見を行えな
くなってしまうことは、学生にとってマイナス要素である。
大切なのは、人としてのマナーとモラルである。それは調査に限らず、生きていく
うえで重要な点であろう。