#榕樹文化)_#國分直一_先生の足跡を追って(3)──_#台湾大学図書館_の國分文庫と回覧雑誌のことなど RT_@tiniasobu
2019/11/24
追記 2019年11月28日馬場生知は、馬場為二の筆名か? を追加しました
なつかしのふるさと台湾への思いを日本語で綴る同人誌『榕樹文化』に連載させていただいています。
國分直一先生の足跡を追って、今回の3回目(2020年1年号)で一応完結となります。(次回は、植物病理学の松本巍(たかし)先生の思い出を予定しています。)
Yuji Ankei and Takako Ankei published After the trails of the Late Profesor
Kokubu Naoichi: his works and personality. Printed in three issues of a
journal 榕樹文化 edited by people who love Taiwan.
1回目 高雄(打狗)での幼年時代 http://ankei.jp/yuji/?n=2382
2回目 竹南で遭遇した228事件 http://ankei.jp/yuji/?n=2383
今回とりあげた留用の日本人がつくった回覧雑誌は、ほとんどすべての筆名に対応する本名を明かにすることができましたが、兵隊記を書いた 馬場生知という名前が、筆名であるのか、本名か、その調べがついていません。
台湾大学の教員であった方であるらしいのですが、金関丈夫先生の評には「馬場先生」とあり、御本人も読後の感想のコーナーに 「ばゝ」 と署名しています。
(追記・馬場生知は、台湾大に留用された馬場為二先生ではないか、という可能性をとりあず追求してみたいと思います。馬場為二先生のことを、以下のように教えて下さったのは、台湾大学図書館特蔵組の司書の林慎孜さんです。感謝。)
「馬場為二という名前の先生が、台北帝国大学にいました。次の報告をごらんください。
(http://www.alum.ntu.edu.tw/wordpress/?p=2768) 。この記事によれば、馬場為二氏は、戦後台湾に留用された日本人教師のひとりでした。ほかの教員もリストされていますのでご参照ください。」
なお、ウェブでは文字化けする旧漢字は、新漢字になおしてあります。
國分直一先生の足跡を追って(3)──台湾大学図書館の國分文庫と回覧雑誌のことなど
安渓遊地・安渓貴子
知の巨人の足跡
國分直一先生(1908~2005)は、80代の半ばまでは、山登りできたえた体力に強い自信を持っておられました。
先生は下関にある梅光女学院大学の名物教授でしたが、その授業の帰りらしい先生に、新山口の駅でぱったりお会いしたことがあります。「先生、山口行きの在来線が出るまであと3分しかありません」と申し上げると、「走りましょう!」とおっしゃって、一緒に走ってくださいました。「先生、間に合いました!」と言うと、國分先生は、「では、私はタクシーですから」と息も切らさずおっしゃったものです。40歳以上年の差がある後輩を励ますために、伴走してくださったのでした。
そんな強靭な心身をお持ちの國分先生でしたが、晩年は著作に打ち込むことに集中のあまり、片づける時間を惜しまれたのでしょう、家の床は、論文や本を書くために参照された書物や資料でいくつもの小山ができ、考古学の地層のように埋め尽くされていました。
先生が長逝された後には、70年近い研究一筋の知の巨人の遺産が、発掘と整理を待つ状態で残されました。
ご遺族からの依頼を受け、私どもは、少しずつ整理を試みましたが、学生たちを動員しても、なかなか進むものではありません。本だけでも、まとまって収蔵してくれる研究機関はないか、と国立の博物館、研究所などあちこち探しましたが、事前にリストを作ることが条件で、しかもまだ所蔵していない本の寄贈だけを受けるという高いハードルがありました。
弥生博物館の館長であり、國分先生の恩師金関丈夫先生のご子息でもある金関恕先生(1927~2018)の指導を仰ぎながら、文化人類学者の中生勝美さんに依頼して、台湾にまで範囲を拡げて引き取り先を探しました。
2010年になって台湾の二つの大学から問い合わせがあり、國分先生の資料を収集できないか、というのです。そこで、本以外にも、原稿や講義ノート、野外の現場で書かれたフィールドノート、それらに付随する写真や遺物などの膨大な研究資料と、手紙類が保存されていることを伝えました。
国立台湾大学図書館からの訪問
2010年2月の寒い日に、台北帝大を引き継いだ台湾大学図書館から、二人の司書の女性が訪問されました。そのうちのお一人の洪淑芬さんは、日本語も堪能で、のちに資料のデジタル化の研究で博士号を取得された学者でもありました。
「すべてをいただきたい」というのが、台湾大学図書館の要望で、彼女らの帰国後に台湾から送られてきた写真には、先生の書斎のテーブルやほうきにまで、収蔵希望の印が付けられていました。フィールドノートや、考古学遺物などできれば日本国内に置いておきたいものもありましたが、ソウル大学校の全京秀教授から、人類学の歴史にかかわる貴重な資料は、できるだけ一箇所にまとめてほしいという助言を受けて、ほとんどを寄贈していただくように、ご遺族にお願いしました。
驚くべき早業
その年の4月には、輸出の手続きが整い、海上コンテナひとつ半に及ぶ資料が台湾に向けて発送されました。
寄贈から1年余り、2011年9月に、台湾大学図書館において國分文庫発足の記念シンポジウムが開催されることになりました。招待講演への招聘状が私どもにも届きました。金関恕先生、全京秀先生、中生勝美さんも出席されるとのことです。
久しぶりに訪ねた台湾。堂々たる台湾大学図書館の最上階を占める特蔵組の開架には、2万冊近い國分先生の蔵書の整理ができ、遺物も人類学教室で整理されていました。
國分先生記念シンポで金関恕先生とともに(2011年9月全京秀氏撮影)
さらに、シンポジウムに合わせて國分先生の遺稿が、日本語版(左)と中国語訳(右)の大冊として台湾大学図書館から刊行されたのです。
國分直一『日本民俗文化誌』(2011)
デジタル化と公開への道
國分先生旧蔵の本と考古遺物の整理、そして遺稿の翻訳・出版という膨大な仕事が終わったあとも、台湾大学図書館での整理の努力は孜々として続けられています。私どもも、山口県立大学の学生実習として、なんども訪れては、手紙類の整理や、写真の説明付けのお手伝いをしてきました。日本の科研費にあたる大きな予算を獲得して、原稿やノート類、写真のデジタル化も進められました。それらは、「國分直一文庫」として台湾大学内でアクセスできるようになっています(次頁の図)。
2019年9月末にご遺族と台湾大学図書館との間で、デジタル公開に関する契約が交わされました。これからは、世界中のどこからでも貴重な資料を活用できるようになったのです。
引き受け場所が見つからず、放置すれば散逸し、多くはゴミになるしかない運命だった國分コレクションは、このようにしてほぼまるごと台湾大学で収蔵され、世界中から活用できる道が開けたのでした。
http://cdm.lib.ntu.edu.tw/cdm/landingpage/collection/Kokubu
現在では、金関丈夫先生の旧蔵書もすべて寄贈されて、國分文庫にとなりあう金関文庫として開架されています。師弟の本4万冊余り揃ったことに圧倒されます。文教予算だけを比較しても、台湾の文化力に、日本が大きな立ち後れを見せているということを痛感させられる事例であると思います。
家宝と回覧雑誌
台湾行きの例外となったものは、前号に書かせていただいた戦後4年間におよぶ台湾留用の中で、金関丈夫先生が、先に帰国した國分先生のご家族に送った絵手紙「國分先生行状絵巻」と、辞令・賞状・トロフィーの類でした。これらは、ご遺族にとっては家宝というべき大切なものだからです。これらの資料は、デジタル画像としてのみ台湾大学図書館特蔵組にお届けしてあります。
もうひとつ、金関丈夫先生が台湾から持ち帰り、金関丈夫先生が亡くなられたあとは、國分先生のお宅にあった、留用日本人学者たちが書いた一部だけの『回覧雑誌』があります。これは、金関恕先生のご意向で、台湾大学図書館特蔵組に収蔵されていますが、デジタル公開への道は、同人の数が多いだけに著作権処理だけを考えても平らかなものではありません。
國分先生の「『同人雑誌』回想記」という記事は、先生の自伝『遠い空』(海鳥社)に収録させていただきましたが、以下に抜粋しておきます。
僕は、終戦後三ヶ月ほど台湾省翻訳館にのこされたが、すぐに台湾大学に移籍、そこに副教授として四年に及んで滞留することになった。日本人が大挙して引き揚げていくと、所謂「知的接収」された大学の人たちを中心にした少数の日本人たちは寂寥感に支配されることになる。その頃、そろいの原稿用紙があるから、同人誌をつくろうではないかと金関丈夫先生が提案され、同人グループがうまれた。そのメンバーはなかなか興味深い。
金関丈夫(台大医学院=解剖学・人類学)、
森於菟(台大医学院=解剖学)、
矢野峰人(台大文学院=英文学)、
宮本延人(台大文学院=民族学・考古学)、
早坂一郎(台大理学院=地質学)、
立石鉄臣(台大文学院=画家)、
松山虔三(台大文学院=写真技師)、
池田敏雄(台湾省翻訳館=民俗学)、
國分直一(台大文学院=考古学・民族学)。
以上のほかにも、あとから二、三の台大メンバーが加わる。
一九四六年の夏に第一号「花果」を出して以来、一九四八年秋に「小集楽(ozume)」を出すまで、一五冊の雑誌を我々は作った。編集当番は交互に当たることになり、当番の者が誌名をその時々にきめる。装幀も製本も当番が行ない、雑誌が出来上がると、回覧後、合評会は当番の編集者のところで行った。接待も当番が行うことになっていたので、当番に当たると大変であった。読後感は各自、回覧の時、あらかじめとじこんである雑誌の余白に書き込んでおくことになっていた。
台湾省政府は寛大で、私のため図版作りに、画家立石鉄臣氏を台大文学部講師の資格で留用してくれたのである。しかし、国画会所属の著名な画家、立石氏が考古学や民族学で扱う石器や土器、その他民俗学で扱うような物質文化の図化に興味が持てるはずはなかったから、彼は怠けに怠けて、一年かけてもほぼ十数枚の図案を作ってくれたのが関の山であった。しかし、雑誌作りには、装幀に、挿絵に十分な天分を発揮したので、それぞれの当番者は、随分彼の世話になったものであった。立石氏はまた随筆家でもあった。
雑誌の誌名は先にもちょっとふれたが、「花果」に始まり、「如意」「雙魚」「無絃」「太太」「紅玉」「踏青」「海燕」「Minotaure」「青銅」「茄苳」「冬扇」「扇状地」「刺桐」「小集楽」となっていた。一九四八年一〇月号をもって終結したのは、台大残留日本人研究者が次々に引き揚げてゆき最後に[同人が]金関丈夫・早坂一郎の両教授と僕だけになったためであった。投稿された内容も極めて興味深いものであるが、ここには一々紹介するスペースもないので、二、三を挙げるにとどめたい。
金関丈夫教授には、時々の「落穂集」、すばらしい「美術随想」のほかに、随筆「佐川田昌敏」などがある。矢野峰人教授には、「去年の雪」「片岡鉄兵を憶ふ」「芥川龍之介追憶」「萩原朔太郎氏の手紙」「沢正登場前後」などがある。森於菟教授は森林太郎(鷗外)の令息、流石に随筆に優れていた。鷗外夫人(於菟氏の継母)の在世中は、彼女の反対で活字になっていなかった「半日(はんじつ)」が第四号で発表されている。森教授は「随筆・そぞろごと」のような興味深いもののほかに「ルドルフ・ウィルヒョウの手紙」のような独文からの翻訳がある。僕も色々駄文をのせているが、金関・森両教授にほめられたものに「兵隊記」がある。立石画伯に頼まれて、アメリカ雑誌「LIFE」(一九四七・一二月号)にのっていた
Charles C. Wertenbaker氏の「芸術家の肖像----ピカソへの誘ひ」を訳出したり、調査紀行をのせたりした。いつか、各号のすべての内容について報告しておく必要があると思っている。
我々の雑誌は同人誌といっても、たった一冊の雑誌を同人が回覧したのであるから、回覧雑誌という方がふさわしい。各冊とも厚いもので、一九四八年夏の終わり頃、留用を解除してもらって、引き揚げてくるときに、携帯を許された行李に詰めると、他の余分のものは余りはいらなかった。金関教授が携行、保管されていたが、先生が長逝されたので、今は僕のところにある。
(引用終わり)
私どもは、1990年から『回覧雑誌』を見せていただくようになり、國分先生執筆分はそのほとんどを『遠い空』に収録し、その内容を國分先生ご自身に語っていただくビデオとしてYouTubeで一般公開しています(「國分直一先生のとっておきの話」で検索)。台湾大学図書館との協働作業で、回覧雑誌に登場する多彩な筆名のほとんどについて、本名を明らかにすることができました。國分先生の「いつか、各号のすべての内容について報告しておく必要がある」という宿題を果たすための準備として、以下に、その全目次を示しておきます。通巻号数『誌名』「タイトル」筆名(初出については本名)、ページ数という構成になっています。
もしも読者の中に、執筆者の著作権継承者との接触の手段について御存じの方があれば、ぜひご教示をいただければ幸いです(y◎ankei.jpあてにメールをお送りください)。
回覧雑誌の一覧
全15号、22分冊。うち19分冊は台湾大学図書館蔵。*印のついた3分冊は國分先生のお話から、立石鐵臣氏のご遺族の所蔵と推定。
1『花果(かか)』1946年7月9日
2(1)-2(3)『如意』1946年8月25日
3『雙魚』1946年10月
4(1)-4(2)*『無絃』1946年11月4日
5『太太』1947年1月
6(1)『紅玉』1947年2月25日
6(2)『紅玉・池田敏雄 黄鳳姿結婚記念』
6(3)*『紅玉・別巻1 安井曾太郎作品集』
6(4)*『紅玉・別巻2 梅原龍三郎作品集』
7(1)-7(2)『踏青』1947年3月
8『海燕』1947年8月
9『minotaure』1947年9月20日
10『青銅』1947年11月1日
11『茄苳』1947年基督降誕節
12『冬扇』1948年2月
13『扇状地』1948年3月26日
14『刺桐』1948年5月
15『小集樂』1948年10月20日
回覧雑誌の総目次
第1号(創刊)
「戎 三郎」林熊生(金関丈夫) 1号: 1-54
「郷愁記」國分直一 1号: 55-94
「ノートより」金関丈夫 1号: 93-122
「畫事片々」立石鐵臣 1号: 123-134
「ニタニタ集」虔三(杉山直明) 1号: 135-136
「墨畫十戲」立石鐵臣 1号: 137-168
「日本便り」虔三 1号: 169-172
「訂婚啓事」松山虔三(杉山直明) 1号: 173-174
「點心」林熊生 1号: 175-184
「談天」池田敏雄他 1号: 185-186
「啓事」池田敏雄 1号: 187-208
「後記」立石鐵臣 1号: 209
第2号
「離愁」國分直一 2(1)号: 1-63
「去年の雪」矢野峰人(矢野禾積) 2(1)号: 64-67
「間話」立石鐵臣 2(1)号: 68-76
「ニューズ」虔三 2(1)号: 77
「兵隊記」馬場生知2(2)号:78-114
「落穂集」金関丈夫 2(2)号: 115-135
「結婚以前」牽牛子(池田敏雄) 2(1)号: 136-141
「常識講座 鼻と男根」林馬生(金関丈夫) 2(1)号: 142-158
「ゑくぼも天花(アバタ)・壁に水あり」虔三 2(2)号: 159
「墨子直し(スポッティング)」虔三 2(2)号: 160
「『花果』読後感」幻塵居主人2(2)号: 161-168
「盜難と或る夫婦」林熊生2(3)号: 169-190
「岸田劉正先生の追憶」立石鐵臣 2(3)号: 191-205
「小品三つ」虔三 2(3)号: 206-207
「特輯 初恋の記(一) 陳氏」牽牛子(池田敏雄) 2(3)号: 208-214
「子供の絵」立石鐵臣 2(3)号: 215-221
「談天」黄鷄(池田敏雄)他 2(3)号: 222-299
「編輯後記」蓬頭兒(金関丈夫) 2(3)号: 305-306
第3号
「樊遲昇天」三木寅一(森於菟) 3号: 1-69
「棉の木のある学校」國分直一 3号: 70-174
「芥川龍之介の追憶」矢野蜂人 3号: 175-215
「美術隨想」金関丈夫 3号: 220-237
「滑稽三笑圖」立石鐵臣 3号: 238-265
「巴里だより」金関丈夫 3号: 266-336
「攝影所秘話 試寫室に呼ぶ幽靈」松山虔三(杉山直明) 3号: 337-347
「本文中に插入した絵の筆者ピイターブリウゲルの事」立石鐵臣 3号: 348-360
「長衫の周邊」池田敏雄 3号: 361-394
「談天」立石鐵臣 3号: 400-430
「編輯後記」牽牛子(池田敏雄) 3号: 432-443
第4号
「半日」森林太郎 4号: 1-77
「蝸牛島記」三木寅一 4号: 100-184
「かへりぢ」森常治(森常治) 4号: 188-197
「片岡鐵兵を憶ふ」矢野峰人 4号: 200-241
「ルードルフ・ウヰルヒョウの手紙(一)」森於菟 4号: 244-265
「よせみて」馬擇齋團義(早坂一郎) 4号: 268-289
「脱兎追ふけえ」松山虔三 4号: 292-330
「山日記」國分一子(代筆)(國分直一) 4号: 334-364
「常識講座 誕生の周辺」牽牛子 4号: 368-379
「特輯 初戀の記(二) 吉川先生 」林熊生 4号: 381-421
「特輯 初戀の記(二) 初戀記要」立石鐵臣 4号: 424-490
「ゴヤに就いて」鐵(立石鐵臣) 4号: 494-527
「編輯後記」國分直一 4号: 530-
第5号
「口繪附記」立石鐵臣 5号: 1-34
「寅一の初戀」三木寅一 5号: 36-97
「澤正登場前後」矢野峰人 5号: 100-150
「雜記帳」早坂一郎 5号: 154-187
「一筋途情絡繰 別名たんぼ道」森之舍瘧蚊子 5号: 190-232
「兵隊記」國分直一 5号: 238-279
「除@風瑣話」牽牛子 5号: 292-304
「萩原朔太郎氏の手紙」矢野峰人 5号: 282-289
「ルードルフ・ウヰルヒョウの手紙(二)」森於菟 5号: 308-352
「最近東京風景斷片」早坂一郎 5号: 356-380
「編輯當番記」立石鐵臣 5号: 384-392
第6号
「子路と隱士」三木寅一 6(1)号: 1-22
「くびの輪」林熊生 6(1)号: 23-74
「幼年時代」國分直一 6(1)号: 75-124
「『西洋紀聞』ところどころ」早坂一郎 6(1)号: 125-168
「落穗集・續篇」金関丈夫 6(1)号: 169-194
「ルードルフ・ウィルヒョウの手紙(三)」森於菟譯 6(1)号: 195-238
「北安曇の山々」國分直一 6(1)号: 239-266
「隨筆『そぞろごと』-『太太』によせて、その他」森於菟 6(1)号: 267-286
「『太太』讀後感」幻塵居主人(矢野禾積) 6(1)号: 287-300
「黛的の眉」虔三 6(1)号: 301-304
「懸賞・これは誰れでせう?」蛇尾庵(金関丈夫) 6(1)号: 305-307
「広告欄・紅塔社取扱(2)・代理部取扱(9)」金関丈夫 池田敏雄 6(1)号: 308-321
「あとがき」立石 6(1)号: 322-342
「餘白の」 6(1)号: 343-352
「挿入図・裸女の彫刻十七図」 6(1)号
第6号第二分冊
「喜字台(写真)」松山(杉山直明) 6(2)号: 12
「二人(絵)」立石 6(2)号: 13
「結婚啓事」池田敏雄夫妻(池田敏雄・鳳姿) 6(2)号: 15
「式辞」矢野禾積 6(2)号: 1-12
「池田敏雄黄鳳姿結婚式報道記」立石鐡臣(立石鐡臣) 6(2)号: 13-30
「仲人の記」金関丈夫 6(2)号: 31-40
「親代の記」國分直一 6(2)号: 41-50
「猿図(肉筆)」喜多武清 6(2)号: 57-58
「白鷹居新収書画目録」其居主人(金関丈夫) 6(2)号: 59-145
「猿図解説」其居主人 6(2)号: 146-153
「別巻 安井曾太郎作品集目録・解説」立石(金関丈夫・立石鐵臣) 6(3)号: 156-199
「対談 安井曾太郎の作品に就いて」金関・立石 6(3)号: 200-233
「別巻 梅原龍三郎作品集目録・解説」立石 6(4)号: 234-299
第7号
「藜杖」三木寅一 7(1)号: 3-36
「去年の雪(巴午陀詩社)」矢野峯人 7(1)号: 37-84
「御簾」森常治 7(1)号: 85-140
「落穗集」金関丈夫 7(1)号: 141-168
「翻訳小説」蚤償_編譯 7(1)号: 169-206
「飲食記」立石鐵臣 7(1)号: 207-276
「閑居記」立石鐵臣 7(1)号: 277-315
「読むがまま」幻塵居主人 7(1)号: 316-343
「隨筆 佐川田昌俊」林熊生 7(1)号: 344-495
第7号第二分冊
「幼年時代(第二回)」國分直一 7(2)号: 3-46
「無駄ばなし」早坂生(早坂一郎) 7(2)号: 47-62
「ルードルフ・ウィルヒョウの手紙(四)」森於菟譯 7(2)号: 63-142
「除@風瑣話」牽牛子 7(2)号: 143-242
「隨筆そゞろこと(續)」賓和閣主人(森於菟) 7(2)号: 243-262
「思ひ出の芝居記」森の舍瘧蚊子(森於菟) 7(2)号: 263-350
「カボナック(二)」林熊生 7(2)号: 351-368
「お詫び」松山虔三 7(2)号: 369-376
「懸賞」出題者 三木(森於菟) 7(2)号: 377-380
「編輯後記」熊(金関丈夫) 7(2)号: 381-392
「広告」牽牛子 7(2)号: 393-398
第8号
「連作 1.菩提樹の陰にて 小説 2. 教授会議とその夜」林熊生 三木寅一(金関丈夫 森於菟) 8号: 1-48, 8号: 49-66
「ルードルフ・ウィルヒョウの手紙(五)」森於菟譯 8号: 67-137
「・回國に際して・佐世保から」森於菟 8号: 138-142
「科学と自由」蚤償_ 8号: 143-172
「性格俳優「アレキサンダー・モイツシー」に就いて」森於菟 8号: 173-196
「人種秘誌」山中源二郎譯(金関丈夫) 8号: 197-256
「投書と雅号」矢野峰人 8号: 257-298
「『勳章の話』に寄せて きびしよ・きうす考に寄す」早坂生 8号: 299-316 317-334
「夜のひまひまに お時儀の流儀・ローマ字になったら・猿股不可論・桧格子の中」立石鐵臣 8号: 335-358
「雑言」蚤盤(早坂一郎) 8号: 359-370
「読むがまま」幻塵居主人 8号: 371-390
「競艷録 全 (名花廿六)」金関丈夫 池田敏雄 8号: 391-444
「後記─國分・池田・立石・餘白欄」 8号: 445-470
第9号
「連作小説第三回 轉向」伊達英太郎(早坂一郎) 9号: 1-42
「夢三題」林熊生 9号: 43-52
「詩二篇」蚤償_ 9号: 53-60
「新撰菟玖波集作者部類の成立過程を示す宗祇自筆書状」金関丈夫 9号: 61-86
「平和建設用科学兵器の性格」蚤償_ 9号: 87-98
「隨筆 佐川田昌俊 補遺」金関丈夫 9号: 99-114
「音樂夜話」かうぱん生(高坂知武) 9号: 115-134
「眼鏡」西縁堂(宮本延人) 9号: 135-148
「新徒然草」山門文四郎(中村三八夫) 9号: 149-176
「美術ノート」立石鐵臣 9号: 177-202
「ローレライ四景」蚤償_ 9号: 203-216
「稚拙な風景」立石鐵臣 9号: 217-238
「落語 おやま」珍風亭迷枝(中村哲) 9号: 239-254
「俳仙句集」松山虔三 9号: 255-258
「九月の思い出」松山虔三 9号: 259-262
「広告欄」編集部取扱(立石鐵臣) 9号: 263-266
「編集後記」鐵生(立石鐵臣) 9号: 267-278
第10号
「音樂夜話」かうぱん生 10号: 1-16
「餘瀝集一」金鶏道人(金関丈夫) 10号: 17-38
「美術小話」立石鐵臣 10号: 39-64
「変貌しつゝあるヤミ」國分直一 10号: 65-80
「落穗集(續)」金関丈夫 10号: 81-132
「沖縄よりの第一信」川平朝申 10号: 133-136
「稚拙な風景 二」立石鐵臣 10号: 137-164
「松山虔三回顧作品小集」松山虔三 10号: 165-182
「先生」山門文四郎 10号: 183-206
「小説 旋風と春風」伊達英太郎 10号: 207-236
「連作小説四・黒影」西縁生(宮本延人) 10号: 237-264
「後記」宮本延人10号: 265
第11号
「家常」林熊生 11号: 1-14
「先生 (二)」山門文四郎 11号: 15-42
「来なかったオリンピック其他」松山虔三 11号: 43-66
「餘瀝抄 (二)」金鶏道人 11号: 67-82
「蘭嶼紀行(第一回)」國分直一 11号: 65-102
「香を聞く其他」松山虔三 11号: 103-120
「短篇小説二篇」伊達英太郎 11号: 121-142
「手紙二つ」立石鐵臣 11号: 143-158
「戲作 吾輩は猫である」西?堂 11号: 159-178
「久松系図補遣」金関丈夫 11号: 179-200
「ペン知る恥知る其他」松山虔三 11号: 201-212
「雑談」熊生(金関丈夫) 11号: 213-224
「編輯後記」金関丈夫 11号: 225-230
「讀後感想」同人一同 11号: 231-248
第12号
「僑居吟」馬杉冬日(細谷雄二) 12号: 1-8
「落葉」かうぱん生 12号: 9-18
「蜜月旅行のやりなほし」メリー・ストープス博士述 伊達英太郎譯(早坂一郎) 12号: 19-44
「大雅堂より韓天壽に與へた尺牘」其居主人(金関丈夫) 12号: 45-76
「蘭島紀行」國分直一 12号: 77-96
「新徒然草」山門文四郎 12号: 97-120
「戲作 吾輩ハ猫である 二」西縁堂 12号: 121-142
「おませ年代記」林家熊丸(金関丈夫) 12号: 143-154
「信片」立石鐵臣 12号: 155-184
「春光・寫真」松山虔三 12号: 185
「学内通報」虔 12号: 186-187
「人生案内」虔 12号: 188-189
「沖繩通信二」川平朝申 12号: 190-197
「編輯後記」立石生(立石鐵臣) 12号: 206-223
第13号
「扇状地の辯」早坂一郎 13号: 1-9
「在りし日の外遊詠草より」馬杉東日 13号: 10-19
「伊達政宗書状 白鷹居長物解説二」其居主人 13号: 20-45
「移川先生の事ども」宮本延人 13号: 46-69
「故国のたより・簸川たより」池田敏雄(林熊代筆)(金関丈夫) 13号: 70-95
「故国のたより・嵯峨たより」矢野玲子(代筆)(立石鐵臣) 13号: 96-103
「英文和譯練習 萬人の悲哀」國立中學傭外人教師 蚤償_ 13号: 104-141
「閑談」林熊生 13号: 142-157
「美人の一宵」松山虔三攝影 13号: 158-161
「月下美人」松山虔三(代筆)(立石鐵臣) 13号: 162-167
「お笑ひ種」ベネット・セルフ(N.K生)(國分直一) 13号: 168-173
「國際短波珍報とその課題」蚤償_ 13号: 174-192
「時代的変遷を語るピカソ作品集」Pablo Picasso 13号: 196-225
「“藝術家の肖像”の譯文のはじめに」T.T.(立石鐵臣) 13号: 226-238
「藝術家の肖像」Charles C. Wertenbaker(國分直一訳) 13号: 239-267
「ピカソへの誘ひ」立石鐵臣 13号: 268-290
「ピカソに関する小さな会話」T.T. 13号: 291-298
「ソヴィヱトの繪本 Izviestno Li seru?」印刷物 13号: 302-317
「挿入画小解・附製本師の挨拶」T.T. 13号: 319-337
「編輯後書」早坂一郎 13号: 339-345
「広告欄」 13号: 347-351
「餘白欄」 13号: 353-357
「挿入画・Caput Quintum末尾のカット(前衛絵画集)」I.H.(早坂一郎) 13号
第14号
「童思模糊」小童言人(細谷雄二) 14号: 1-9
「人の型」H.L.メンケン 蚤償_譯(早坂一郎) 14号: 11-37
「頼山陽父子の書簡」白鷹居主人(金関丈夫) 14号: 41-91
「雜記帖」蚤償_ 14号: 93-107
「三月詠」馬杉冬日 14号: 109-113
「創作 採集記」伊達英太郎 14号: 115-125
「簸川たより(二)」池田敏雄 14号: 129-143
「五月三十日記」鐵(立石鐵臣) 14号: 145-152
「後記」國分直一 14号: 153-164
第15号(終刊)
「世界政府の構想」早坂一郎 15号: 1-42
「周徳筆達磨図 白鷹居長物解説の四」白鷹居主人 15号: 43-96
「短歌・夏日雜詠」馬杉冬日 15号: 97-103
「落穗集(續)」金関丈夫 15号: 105-155
「或る日のこと」松山虔三 15号: 57-175
「食用かたつむり」細谷雄二 15号: 177-189
「遊於海河之境」立石鐵臣 15号: 191-203
「訳詩・Une“psychoanalytique”」Cahor Que醇Mayama作 林熊生訳(金関丈夫) 15号: 205-211
「アメリカたより」G.H.K.(George H. Kerr、金関丈夫訳) 15号: 215-230
「郭柏川君の油絵」立石鐵臣 15号: 231-239
「郭柏川先生の油絵展に際して」石鐵臣(立石鐵臣) 15号: 239-245
「俳句・晝顔」西縁(宮本延人) 15号: 247-248
「姓名慢談」早坂一郎 15号: 249-269
「かへるかへらんの話」國分直一 15号: 271-281
「忙中閑記」立石鐵臣 15号: 283-342
「編輯後記」細谷生(細谷雄二) 15号: 343-345
「續編輯後記」石鉄(立石鐵臣) 15号: 347-358
「色の頁・マンガ」鉄 15号
後書き
前号で、國分先生が食べた御馳走の中に「エンチェン」というものがありましたが、國分資料の解読と解説を担当しておられる陳偉智博士のご教示によれば、これはおそらく台湾語の「エンチャン」すなわち「煙腸」、北京語では「香腸」というソーセージであろうとのことでした。また、国立清華大学と書くべきところ、精華大学と書いていました。お詫びして訂正いたします。
今回の報告にあたっては、国立国家図書館の洪淑芬博士と、国立台湾大学図書館特蔵組の林慎孜さんには、格別のお世話になりました。
次回から、農学方面の日本人学者の思い出を書いてみたいと思います。
(あんけいゆうじ、山口県立大学名誉教授・
あんけいたかこ、山口大学非常勤講師)
ふたりのブログ http://ankei.jp
榕樹文化66号表紙.pdf (3,050KB)