# 沖縄タイムス出版文化賞 )『 #奄美沖縄 #環境史 資料集成』は長い時間をかけた2つの労作と並んでのうれしい受賞です RT @tiniasobu
2012/01/24
1月23日の沖縄タイムスに、授賞の記事が載りました。
20年以上もかかって成った小さな島の巨大な辞典・竹富方言辞典 と 16年もか
け
て中国語原典から訳された冊封使録集成11巻と並んで、受賞できることはたいへん
な名誉だと思い
ます。
地球研のプロジェクトで、参加メンバーをお願いする時、中核となる方々として、
30年以上の奄美沖縄でのフィールドワーク歴のある研究者の方、これから少なくとも
30年はかかわってくれそうな若者たちにお願いしたのでした。プロジェクト自身は5
年間でしたが、もう少し長いスパンで見ていただければとおもっています。
授業を休めない(休んだら補講をしなければなりませんが、補講できる回数に限度
があるなど、なかなか思うようにいきません)ので、受賞式は、安渓遊地も貴子も欠
席しますと泣きのメールをおくりましたら、この写真とともに、メンバーのお一人の
Tさんから、以下のようなメールが届きました。
安渓先生ご夫妻がご出席になれないのは本当に残念です。
今の大学は研究や地域貢献などで、頑張っておられる先生ほど、
融通が利かなくなる・・・・本当にオカシイと思います。
おめでたいこと、大学の知名度にも貢献することなのに、
授賞式に出られない・・・・
文科省の形式的なやり方はオカシイですね。
いえね、Tさん、文科省から直接指導があったわけじゃないんですよ。その通達や
基準をどのくらい融通をもって運用できるか、という現場の判断できめられる範囲が
狭くなっているのでしょう。
教育の現場で、受講者が喜んでくれて、そこに学び手の人間的な成長があり、最終
的に学資支弁者に支持されるということが実現できれば、そのための手段にこだわる
ことはない、ということが、わからない人たちがいます。
卒業生の質を保証するためには、誰が教育にかかわっても自動的に人材養成ができ
るようなシステムが必要といいます。それは、私には、ブロイラー加工工場のような
イメージ。
卒業生を送り出す社会の陥っている非人間性を棚に上げて、いかにしてそこで生き残
るかの能力をつけさせるために大学どうしを競争させる。そのやり方は、長い目でみ
れば大きなわざわいとなるでしょう。多彩な人材が多彩なままで輝ける学びのシステ
ムはきっとあるはずです。
「今の教育で何より必要なのは、どんな不確定な変動にもツブシの利く人間を育て
ることだろう。それを教師というツブシの利かぬ人間に委ねるところが困ったところ。
もっと悪いのは、未来が不確定になればなるほど、当面の制度を安定化しようという
図式である。」
これは、数学者・森毅さんの言葉です。
http://ankei.jp/yuji/?n=1110
例えば、シラバスと称する授業予定を三ヵ月前に提示し、その通りに授業がされた
か
を学生に尋ねるようなやり方。こんな時は、よほどの工夫をしないと、3月におこっ
た大震災を踏まえた授業を4月からはできません。今年度、安渓遊地が担当した「環
境問題」という授業
の例を以下でごらんください。
http://ankei.jp/yuji/?n=1431
富山県の高岡バイオリンクラス出身のアフリカ研究者が二人いるのですが、そのか
たわれである畏友・小馬徹氏のチャレンジの例「血液型信仰を撃つ」は、きめられた
シラバスを、
学生とのあうんの呼吸で超えていく職人芸もよみとれて快感があります。シラバス通
りでしたか?という、学生による授業評価の項目が山口県立大学にはあるのですが、
「シラバスを超えるどんな努力がされていましたか?」に替えてほしいくらいです。
http://ankei.jp/yuji/?n=837
連想は飛びますが、機械のように決まり切ったこと「携帯電話の電源を切りました
か」を毎時間言わなければならない、センター試験のやり方を思い出します。末端ま
で浸透しきれなかったために、今回たくさんの再受験ということで大きな問題となっ
たのでしたが、異なる地域に暮らし、異なる顔をもった何十万人もの人たちが同じ時
間に同じことをする、ということをあまり推し進めていくと、ほころびも出てきます。
マスコミも、鬼のくびでもとったように、大学現場のミスをあげつらうよりは、もっ
と大きなシステム全体にひそむ危険性に光をあててほしいものです。
おっと、こんなことを書くために早起きしたのではなかった。薪ストーブの番をし
ながら、あたらしいフィールワーク論の教科書(周防大島に帰ってきた、みずのわ出
版さんが手がけてくださいます)の入稿原稿の編集をするのでした。そういうわけで、
今日の受賞式のシンカヌチャー(なかまたち)へのラブレターでした。
安渓遊地