欲ではありますが)屋久島の祈り RT_@tiniasobu
2022/10/26
『季刊・生命の島』五〇号(一九九九年秋号)に掲載された聞き書きです。
http://ankei.jp/yuji/?n=126
では連載の全文をお読みいただけますが、コピーや印刷ができないように設定してありますので、こちらに抜き出しておきます。
山尾三省さんが、満面の笑みで「これまでで最高!」といって褒めてくださったのをなつかしく思い出します。
「欲ではありますが」----屋久島の祈りのことば
安渓貴子・安渓遊地
◎見えない世界へ
九〇年代は、私たちと屋久島の方々とのご縁がしだいに深まってくる年月でした。と同時に、私たちが小さな畑を耕すようになり、田植えをおぼえ、山口市の山の中の村に家を建てて、しだいに深く山口の地に根をおろしていく「自然に学ぶ」日々でもあったのでした。そして、屋久島で習ったことが、山口でもしだいに輝きを増してくるなあと実感することが多くなりました。それは普段は目に見えない世界へのごあいさつの仕方です。
何年も通っていろいろなお話を聞かせていただくうちに、「これは他の衆(し)には言わん話やが・・・・・・」と声をひそめられることがあります。特に、若い世代が馬鹿にするからと心配されます。例えば、屋久島にすまわれる自然の神々への語りかけの言葉などがそうです。屋久島のあるおばあちゃんが、誰と名前を出さなければ活字にしてもいいのよ、といって教えて下さったお祈りの仕方を紹介しましょう。お母さんがしておられた通り、今日まで続けておられるそうですから、少なくとも一〇〇年以上続けられてきたものです。
◎天知る、地知る、人知る
山に入ったり、川を渡ったりする時は、そこに山の神様や水神様がおられるから「ごめんなさい、
ごめんなさい」と言うた方がいいですよ。声をかければきっと良いことがあります。そして良いことがあったら、こんどは、塩と酒をもっていって、それをまいてお礼をします。
反対に悪いことをすれば、いつかは・・・・・・子や孫のころかも知らないけれど・・・・・・償いは来る、といわれています。「天知る、地知る、人知る」という教えをいつも母から受けてきました。「神も仏も訳さえ立てば坂に車を押しゃせん」これは、母の言葉ですが、訳が通るように心をこめてお願いすれば、神仏は坂道に車を押して登らせるような無理なことをなさいません。これは、母の生きてきた姿です。私も本当に母の姿をそのままに習って生きてきました。
◎欲ではありますが
畑に行ったら、いきなり仕事をしないのよ。今日は、草取りをするとしましょうか。そうしたら、両手を合わせてこういいます。こうやって祈ってから仕事に入れば、草で手を切ることもなく、蜂に刺されることもなく無事終えられるのよ。
「三宝荒神様(さんぼうこうじんさま、畑の神様)、ご苦労様です。いつもありがとうございます。今日は、草取りをさせてください。煙を出したりしてお騒がせしますが、お許し下さい。無事に終わらせていただけるように、どうかお守りください。」
仕事が終わったら、こういいます。
「畑の神様、今日はありがとうございました。お騒がせいたしました。おかげさまで無事草取りもさせていただきました。欲ではありますが、作物が育つようにお守りください。」
翌日畑に行ったら、こういいます。
「山の神様、畑の神様、昨日はご苦労さまでした。ありがとうございます。今日は大根を蒔かせて下さい。怪我のないようにお守り下さい。欲は言いません。人並みでけっこうです。どうか収穫までお守りください。ありがとうございます。」
外で用が足したくなったら、手を合わせて、どこからどこまでと手で指してからこういいます。「地神様、申しわけございません。ここからここまでの土地を貸して下さい。今から汚い物を流しますから。どうぞお許し下さい。」
◎夜の祈り
私は朝は忙しくてとてもお祈りはできませんから、いつも夜してきました。夕御飯を食べたら、布団に入る前に外に出て、こう言います。「天地の神様、お岳の権現様、今日の日を生き延びさせていただき、ありがとうございました。欲ではありますが、明日も元気に迎えさせてください。」
それから、本家の方に歩いて行って手を合わせ、お嫁さんと息子の名前を出してこう言います。「お嫁さんも息子も、二人とも今日一日ご苦労さまでした。ご先祖様、氏神様、ありがとうございました。おかげで今日も無事すごさせていただきました。欲ではありますが、明日もまたお世話をさせてください。」
仏壇の前では「いつまでもお供物を上げたり下げたりできるように元気でいさせて下さい」とお願いするのよ。
◎月と星への祈り
十五夜の月が出たら、両手を合わせてこう言います。「お月様、毎晩ご苦労様です。ありがとうございます。おかげ様で元気に暮らしております。欲ではありますが、来年もまた元気で拝ませてください。」
お星様がきれいに出ていたら、手のひらを合わせて高くあげて、こういいます。「お星様、ご苦労様です。ありがとうございます。・・・・・・」
お日様でも拝む時は、「なむあみだぶつ」といいながら拝めば、まぶしいこともなくて拝まれるのよ。
◎診療所の祈り
診療所へ行くときも、「欲ではありますが、けがのないように、無事帰らせて下さい」とお願いをして、何事もなく帰れたらまた、お礼をいいます。
病気した時でも、医者ばかりにかからずに、神仏と医者と両方から攻めなさいよ、と母に言われました。そうすれば治りも早いのに、今の若い衆は、笑いごとのようにしか聞きませんね。五〇、六〇歳くらいの人は、「迷信を言うな」というのよねえ。
◎いただきます
----食事の時にはどう言いますか?
それはね、私はおじいちゃんと二人で食べているから、「おじいちゃん、ありがとうございます。ご苦労様です。いただきます」というと、おじいちゃんも同じように「おばあちゃん、畑仕事お疲れ様。ありがとう。いただきます」と言うてくれるから、二人でいただきます。うちのおじいちゃんは、これまで苦労をかけたのが今ごろわかったというて、このごろは布団も引いてくれるし、扇風機が回っているのに私を団扇であおいでくれるのよ。
◎ぜいたく病
今の日本は、「ぜいたく病」という病気にかかっているのよ。ゴミの中を見れば発泡スチロールのトレイが多いでしょう。昔の豆腐かごもまだ元気で使えるのに。焼酎も瓶を持っていって計り売りで買うようにしむけたらどうでしょう。お墓には、自分で育てた作物や花を供えなさい。それが本当の信仰です。
ぜいたく病は自分でなおすしかないのよ。何ごとも自分。楽をするのも、幸せになるのも、不幸になるのも自分よ。それと、人のいうのを耳に入れないから不幸になるのよ。人のいうことを聞けば、なるほどなあ、という感が湧いてくるのよ。人間は、人対人の仲をよくするのが一番幸せと思います。
いつも感謝の気持ちがあればな・・・・・・。お互いに感謝をしあうこと、祈る気持ちが大事です。
◎受け継ぐ若者たち
一九九九年の夏は屋久島に全国から一五人の大学生を迎え、八人の講師がボランティアとともに一週間合宿をして屋久島フィールドワーク講座を開催しました(安渓遊地、一九九九a)。私たちも講師として参加して、若者たちとともに高齢者のお話をうかがう、というこれまでにない経験ができました。受講生の最終日の感想から抜粋して、若者たちが、ふところ深い屋久島の魅力に触れ、島の方々の世界を受け継いでいこうとしていることをお伝えしておきたいと思います。
「植物を見たり鳥を見たり、雨がやんだら海にきれいな虹がかかっていて、自然が大きなひとつの輪のような気がしました。」
「……映画とかでなく、直接人の話を聞いて感動したのは初めてでした。欲ではありますが、この屋久島にまたご縁がありますように。」
「これまで植物しか見ていなかったんですが、植物は植物だけで生きていけないし、動物も動物だけでは生きていけない、もちろん人も自然の中の一部なんだということを肌で感じることができてよかったです。」
「後期は糞虫ばかりでしたが、しだいにその生物のいる大切さが感じられてきて、始めはピンセットではさんでいた糞虫を、終わりごろには素手でつかむようになってきました。同じ目の高さでみるようになって、植物ともどんな生物とも同じ高さでいたいなあ、と思う一方、いろんなことに興味をもてる自分、それが拡がってきたことをうれしく思います。」
「島の人々の自然への接し方を知って人と自然とのかかわりの大切さを学びました。実は、私は初日、川で用をたしてしまったんです。いろいろお話をうかがっているうちにとっても悪いことをしたな、どうすればいいの?と思ったんですが、かしわ手を打ってお詫びをして、川に焼酎を流して、塩をまいてくるといいんだよと言われて翌日さっそくやってみました。そうしたら、木を踏んだら木が痛いんじゃないかなと思えてきて、踏まないように歩こうとしました。そして、今まで見えていなかった自然の姿が見えてきて、森が私を受け入れてくれたような気がしました。」
「屋久島には神秘的な感じがあって、宇宙がずうっと拡がっているような感じがしました。この講座で何とは言い表せませんが、自分が生まれ変わったような気がします。」
「何千年もの命の流れが続いているのが、欲望のためにこの何十年かでなくされてしまっているということを実感できたのが印象的でした。過去に培ってきたものを大事に守って、それを未来にどう生かすかを考えておられる方々がいらっしゃることに感銘をうけました。生命の連なりを生かすために、自分がどんな役割を見つけて果たしていくのかを考えるようになりました。」