いますぐ役にたつ学問はすぐに役にたたなくなる)文化人類学の場合_#Mouvement_anti-utilitaliste_dans_les_sciences_sociales_RT_@tiniasobu
2015/06/18
修正
2015/6/18 タイトルと本文を少し手直して、注を2つつけました。
2018/12/30 第1次印度独立戦争のリンク切れを修正し、その後に書いたエッセーへのリンクを注3としてつけました。
2020/10/3 末尾の報告のリンクが切れているのを修正しますが、なかなかつながらないようなので、pdfを添付しておきます。
S’il vous pla醇at. Dessine-moi un anthropologue ! (お願い。人類学者の絵を描いて)
----あのお、文化人類学って、何の役にたつのですか?
(ひねくれのわたし):すべてを効用とそれにともなう儲けでしか理解できないものの見方、考え方を根底から破壊するために役立つのです。
(=役に立ちません。何についても「何の役にたつの」という問いしか浮かばないかもしれないあなたのような人の頭の中をぐるぐるの ???
でいっぱいにするのに役立つとはおもうけれど。)
----??? 文化人類学って、何の役にたつのですか?
(ことばが通じないと知ってすなおにもどったわたし):人間は、みんなちがってみんな変。このことを実感することで、じぶんたちだけが正しい、という独善からめざめ、戦争につながる道を歩まないために心の中の歯止めをかけるために役立つのです。We
Are Right(われわれは正しい)を略してWAR(戦争)というのですよ。だから、平和の根本を深く学ぶための学問です。
----文化人類学って、何の役にたってきたのですか?
植民地支配の重要な道具となりました。1857年、インド全土で蜂起が起こり、イギリスの支配に立ち上がった(私の高校時代にはセポイの乱と習った)。そのきっかけは、雇兵(セポイ)に渡された新式鉄砲の火薬と弾を包んだ紙の防水に、牛あるいは豚の脂が使われているという噂でした。もし有能な文化人類学者(民族学者ともいいました)が、支配側におれば、牛と豚のどちらの脂肪でも大きな問題となることを踏まえて例えば植物性の油脂をつかうことを進言していたでしょう。話は飛びますが『風の谷のナウシカ』(徳間書店版7巻本)の終わりのへんで、学者たちがつくった生物兵器に自分たちの国土がすっかり飲み込まれるのを見た大僧正のチヤルカが嘆くところがあります。「僧会に生態学者はいなかったのか」。
第1次インド独立戦争の例では、まさに、「帝国に人類学者はいなかったのか」だったように思われます。ところが、その鎮圧にあたっては、添付の図のような処刑が行われたのでした。ムガール帝国の時代からの処刑方法を踏襲して、大砲で体をばらばらに吹き飛ばして、ヒンズーやイスラームの葬式ができないようにして殺す方法が採られました。この方法は、帝国の他の植民地では採用されず、最後に使われたのが、1930年代のアフガニスタンだったということです。そのような残虐な支配の陰で人類学者がどのような役割を果たしたのか、これはまじめな研究のテーマでありえます。今は失われた当時の絵の写真を掲載しておきます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Blowing_from_a_gun
----文化人類学者って、何の役にたつのですか?
文科系の学問は社会的ニーズが低いから、そういう学部(文学部とか人文学部とか国際文化学部とか)は、さっさとつぶしなさい、というような 日本の未来を知る「文科省」からの圧力に対して、研究者として個人として、また集団としては学会をあげて抗議するといった行動をとる場合に、役にたつのです。そのように動けないとすれば、しょせん何の役にもたたず、帝国とともに滅びるように運命づけられた呪われた種族だったということになるでしょう。
----どこへ研究に出かけるのですか?
あのなぁ、人類学のフィールドは遠けりゃ遠いほどいいんや(伊谷純一郎先生 1974年)
http://ankei.jp/yuji/?n=117
----なぜ遠い所へ行くのですか?
I think the essense of wisdom is emancipation, as far as possible, from
the tyranny of the here and
now.「智慧の真髄って『ここ・いま』という圧政からできるだけ遠くに解放されることだと思うんだ。」
(10代で数学をやり、頭が悪くなったことを自覚して20代で哲学に転じ、晩年もう体しか動かなくなったので社会運動に身を投じ、90歳のときイギリスの核兵器反対デモをして逮捕され、若い友人が「こんなところで何をしてるんですか?」と聞いたら「君こそ、そんなところ(監獄の外)で何をしているのかね」と聞いたというバートランド・ラッセルの 「知識と智慧」1954
からの引用。ちなみにこのラッセル逮捕のニュースが若き日のサティシュ・クマールを奮い立たせた。
http://www.slowmovement.jp/satish/profile.html)
ラッセルの Knowledge and Wisdom の本文は、以下のサイトでよめます。ところどころにタイプミスがあって面白い。
http://www.personal.kent.edu/~rmuhamma/Philosophy/RBwritings/knowlegANDwis.htm
I think the essense of wisdom is emancipation, as fat as possible, from
the tyranny of the here and
now.「智慧の真髄って『ここ・いま』という圧政からのできるだけ太った解放じゃないかな」とかいてあるけれど、fat (脂)は far
(離れた)の打ち間違いでしょう。ダイエットにいそしむソクラテスを思い浮かべてにんまり。
もと文化人類学担当教員(この記事を書いた当時は いま・ここ で役立ちそうな 地域学 担当) 安渓遊地
注1
タイトルのフランス語は、社会科学における反功利主義運動 という意味で、マルセル・モースへの敬意をこめた Revue de M.A.U.S.S.
からの引用です。私がフランスに滞在した1986-8年ごろには、Bullutin de M.A.U.S.S.
といっていて、もっとも素敵な雑誌だよ、と紹介されました。http://www.revuedumauss.com/
注2
文中 日本の未来を知る「文科省」 という言葉をつづけて読んではいけません。違う意味に誤解されることがありますから。
注3
この記事を土台に「『すぐに役立つスワヒリ語』の変遷」という苦い記憶や、20代だった私の大学教員への応募書類などを加えて、最後が「大学よさらば」という記事になるエッセー「『いまここで』という暴虐からの解放:地域の触媒としての大学の役割」を書きました。以下から全文をおよみいただけます。https://irdb.nii.ac.jp/00828/0001000854