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[他] 2007/12/14
くさまくら)パリで暮らした日々(1987-88)
...いらっしゃい」 第10回の青森移動大学でフィールド・ワークへのあこがれを植え付けられた私は、その後、伊谷純一郎先生の指導を受けるようになり、沖縄県・西表島(いりおもてじま)の廃村へ人類学のフィールド・...
[研] 2007/08/05
西表島の農耕文化)編者による内容紹介です
...種分類」『園芸学会雑誌』二五巻一号、一~一〇黒島寛松著、安渓遊地編、一九八一「西表西部植物方名目録」伊谷純一郎編『八重山群島の伝統的生業に関する生態人類学的研究』昭和五五年度文部省科学研究費補助金(一...
[講] 2006/10/31
文化人類学)2006年後期の受講者の無記名コメント(1~5回目)11/10版
...2006年10月27日の講義)へのコメント 今回は、西表島の廃村詣ででした。初めて西表島を訪れた時、伊谷純一郎先生が指示されたのが廃村研究でしたから、まさにその場所を訪れるという番組をみました。学生の...
[研] 2006/04/23
研究のモラル)フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴・手直し版
...て荒れた土をもとに戻すこと」 参照文献 安渓 遊地 1977「八重山群島西表島廃村鹿川の生活復原」伊谷純一郎・原子令三編著『人類の自然誌』301-375、雄山閣 1978「西表島の稲作、自然・ヒト...
[他] 2005/06/11
わが師)「あらゆるものをたべておいてください」――宮本常一先生にいただいた言葉
...リカに憧れて京都大学の大学院に進んだ。今西さんのあとをついでアフリカでの人類学調査を指揮しておられた伊谷純一郎先生は、しかし、私にまず日本列島最南端の八重山・西表島行きを指示されたのだった。一番近い人...
[他] 2005/05/27
わが師)西表島の自然の語り部・黒島寛松さんを悼む
...。学恩に感謝するとともに、心からご冥福をお祈りしたい。 今から三十年前、大学院に入りたてだった私は、伊谷純一郎先生の指導で、初めてのフィールドワークのために西表島を訪れる途中、那覇に降りたった。そこで...
[講] 2005/05/26
島からのことづて)1999年までの記録(完全版pdf)
...ば 屋久町原・日高光志さん 屋久島の地名に思う 屋久町原・日高光志さん 対談5 「建設を続けよ」――伊谷純一郎先生の言葉六、手わざの世界 屋久島最後の鍛治屋として 上屋久町宮之浦・永野憲一さん 今日の...
[講] 2005/05/24
対談)伊谷純一郎先生の教育8・引用した文献
...クの記録――文化人類学の実態』講談社現代新書 伊谷純一郎、一九六一『ゴリラとピグミーの森』岩波新書 伊谷純一郎、一九九一『サル・ヒト・アフリカ――私の履歴書』日本経済新聞社 ヴァイツゼッカー、リヒャル...
[講] 2005/05/24
対談)伊谷純一郎先生の教育7・未来へ
...貴子 伊谷純一郎先生は、アフリカ調査隊を率いて、いつも肩で風を切って先頭を歩きながら、サファリ(旅)にサファリをつづけ、研究拠点の建設に建設を続けてこられた。 遊地 彼は、サファリの途中で坂道を上がる...
[講] 2005/05/24
対談)伊谷純一郎先生の教育6・経験の広がり
...遊地 体を動かして学ぶというか、気軽に自分でもやってみることは、参与観察といってフィールドワークの基本だけれど、西表島で稲作の研究をして以来もう二〇年もたつのに、いまだに田植えはうまくならない。目が悪...