12/13 シンポ)自分の夢を生きる――ル・クレジオの贈り物
2009/10/12
2009年、
12月13日(日曜日)、山口日仏協会主催で、パネルディスカッションがあるとい
うことで、ちょっと顔をだすように誘われました。
昨年2008年度はフランスの作家ル・クレジオ、略さずに言えば
ジャン・マリ・ギュスターヴ ル・クレジオ J.M.G. Le Clezio がノーベル賞文学
賞を受賞しました。それを記念しての行事となりますが、全体のタイトルは差し当た
り「文明を越境する作家 ル・クレジオをめぐって」 を考えています。
だそうです。ノンフィクションを中心に、いくつか読んでみて、以下のようなメモ
を作りました。他の参加者との関係で変わるかもしれませんが、とりあえずのたたき
台です。
文学者についての集まりに呼ばれたのは、初めてです。場所は未定のようです。
自分の夢を生きる――ル・クレジオの贈り物
安渓 遊地(山口県立大学・人類学)
父は彼に、ずっと昔その都市を治めていた者のことも話してくれたが、それは
海の向こうからやってきた若い王で、彼ジュパと同じ名前なのだった。(「水ぐ
るま」『海をみたことがなかった少年』所収)
いちばん好きなものを全部食べたからって、幸せになれるかい、……もしそば
に二日前からものを食べてない家族がいるのを知ってたら?(「アザラン」『海
をみたことがなかった少年』所収)
ジャン・マリ・ギュスターヴ=ル・クレジオは、マヤの神話を現代社会に紹介した
功績で博士号を得た(ル・クレジオ、1981)。たくさんの出自をもち(ル・クレジオ、
2006)、さまざまな遍歴を経た彼が織りなすタペストリーは「夢」の力に満ちている
(ル・クレジオ、1991; 2002)。作家のもっともストレートなメッセージは、子ども
に語りかける言葉(ル・クレジオ、1995など)の中にある。私は、冒頭に掲げたふた
つの作品の「ことば」を手がかりに、「自分の夢を生きる」ことへの、ル・クレジオ
の励ましについて述べたい。
同じ名前をもつ者は同一人物である――これは、多くの伝統社会の常識だが、私は、
アフリカ熱帯雨林の暮らしの中で口頭伝承されている英雄神話との出会いによってそ
れに気付いた。そして、「神話が今に直結するものであること」「英雄と同じ名前を
もつ人物が神話を一人称で語ること」「神話が王の一族の独占物ではないこと」を知っ
た。こうした神話は、植民地化と度重なる内戦という大きな困難の中で、大地に生き
る人々が保ち続けてきた夢であり、「日本の神話が口頭で伝承された状況」をも想像
させるものだった。
アフリカやメキシコのことを想像できなくてもいい。神話を自分たちのものと感じ
られなくても(ル・クレジオ、1987参照)仕方がない。足もとに「夢」はある(安渓・
安渓、2009)。そして私のすぐ「そば」にも、自然の恵みを大切にして生き続けたい
という「夢」を、多数の人々の無関心のために無残にも砕かれようとしている人達が
いる(安渓、2006)。ル・クレジオからの贈り物とは、そうした「夢」を論ずる機会
をもつことだけではなく、「いま、ここで自分の夢を生きよ」ということなのである。
引用文献
安渓遊地編、2006『続やまぐちは日本一 女たちの挑戦』弦書房
安渓遊地・安渓貴子、2009『出すぎる杭は打たれない――痛快地球人録』みずのわ
出版
ル・クレジオ、1981『マヤ神話――チラム・バラムの予言』新潮社
ル・クレジオ、1987『チチメカ神話――ミチョワカン報告書』新潮社
ル・クレジオ、1991『メキシコの夢』新潮社
ル・クレジオ、1995『海をみたことがなかった少年――モンドほか子供たちの物語』
集英社
ル・クレジオ、2002『偶然――帆船アザールの冒険』綜合社
ル・クレジオ、2006『アフリカのひと――父の肖像』綜合社