#在来_の_#種子_をもつことの強さ──_#農業ジーンバンク_#船越建明_さんのお話 #種子法 種苗法 RT_@tiniasobu
2018/07/10
2018年6月25日(月)、山口環境保全型農業推進研究会(山口かんぽ研)の有志4人で、西条(東広島市)にある広島県農業試験場内の広島県農業ジーンバンクを訪ねて、船越建明(ふなこし・たつあき)さんのお話を伺いました。
下原稿を御本人にみていただき、修正の上、公開の許可をいただきました。ありがとうございました。本文は、添付のpdfから印刷していただけます。
(まとめ、安渓遊地)
◎山口県徳地に生まれて因島へ
私は、1936年に山口県の徳地で生まれました。当時は柚野(ゆの)村といいました。釣山(つりやま)という村でしたが、いまは、佐波川ダムでできた大原湖の底になっています。
キジア台風(1950年9月)で大きな被害をうけて、多くの人たちが農業ができなくなり、村を離れました。家は、高台にありましたが、水の流れるところにある農地が流木や土石流でやられ、また流木で橋も流されて、大きな被害となったんです。これはむしろ防災ダムを作った方がいい、ということで、私の父なんかも奔走したものでした。それで、村を出たんです。
山口高校に通っていました。週末は汽車で山口から地福の駅まで来て、そこから、細い山道を歩いて釣山の家まで戻りました。片道10キロの道でした。九大で農学を勉強してから、広島県の職員の募集があったのでそれを受けました。熊本県にも応募したけれど、広島県の方が先に発表になったので、広島に来ました。
因島にかれこれ20年いました。除虫菊が特産ですが、私は、おもにいも類と野菜を手がけました。最初10年勤め、いったん間をおいて、また10年おった。最後は管理職のようなかっこうでいたので、あそこには知り人が多いです。平成9年に広島県農業試験場を定年退職して、同じ敷地内にある広島県農業ジーンバンクの嘱託になりました。
◎広島県農業ジーンバンクの始まり
広島県農業ジーンバンクは平成元年(1988年12月)にできました。いろいろなところから種子を集めるのが主な仕事でした。それができるにあたっては、当時の竹下県知事が遺伝資源に関心があったんですね。
竹下虎之助(1981-93年まで3期広島県知事)さんは、その後の知事とは違って、農業振興に熱心でした。知事は、予算も人事権も握っていますから、その考えが県の施策に大きく影響します。竹下知事とは、直接お話する機会もありましたが、たいへんきさくな人でした。出身地は島根県の大田です。もともと農家で育たれたから農業に理解があったのではないでしょうか。農業試験場の建物も、竹下さんが知事でおられるときに40億か50億円かけて作った。それまではコンクリートの塊のような建物だったんですが、西条は酒所ですから、それをイメージして建てたんです。
もともと古い建物があり、これを処分したお金が3億円あって、それで農業ジーンバンクのための財団を創ったのです。平成元年ころは、預金の利息が6%ぐらいあったので、年に2000万円近いお金を運営に使えたんです。その方式は、金利が下がっても続けられ、利用できるお金は少なくなりましたが、元金は手つかずになっていました。それが、平成15年に現在の組織に統合したときに、農業ジーンバンクがもっていた財源は、赤字の別の財団の補填に使われて……。県としては、それはしょうがないことですけれど、農業ジーンバンクの存続から言えば心配なことです。
広島大学には、中国地方の国立大学では唯一農学部がありません。しかし、理学部があり、バイオテクノロジーの研究が盛んでした。そういう学問的な条件と県知事の意向が重なって、全国的にも珍しい施設ができました。
北海道にも似たような施設があったんですが、北海道では研究機関といっしょになりました。
◎在来品種だけでは数が集まらない
当初は、県内にある在来品種を集めようとしました。農業改良普及所に聞けば集まるだろうと思ったら、全然集まらんのです(笑い)。それで考え直しました。広島県には、かつて市町村に出向している駐在員という制度がありました。その人たちは、農業関係を中心に、慶弔や親戚関係など、地域のことにも非常にくわしい。そういう人たちが県のOBになっている。この人たちにお願いして、ようやく700品種ほど集めました。しかし、これぐらいでは知れている。次に大学がもっている遺伝資源を分割してもらいました。九大、京大、茨城大などです。これらは、個別の先生が興味をもっている作物を世界から集めたものです。しかし、集めた先生が辞めてしまうと、あとの引き継ぎが難しいことがある。種子の貯蔵庫も、大学管
とい
うわけではなく、学部がもっていたり、あるいは研究室単位だったりします。広島の農業ジーンバンクは、現在1万8000品種もっていますが、その8割から9割がたは大学から集まったものです。
あとで見ていただきますが、種子の貯蔵室は二つあって、短期貯蔵用と長期貯蔵用です。短期はマイナス1度で管理し、ペットボトルに入れていつでも出し入れができるようにしています。長期貯蔵はマイナス10度。ほとんど出し入れをしないものです。短期がなくなって増殖しなければならないものは、長期から出すわけです。
──ひとつの品種ごとの保存量はどのくらいですか?
少ないものは1グラムぐらいしかないので、本当は増殖しなければならないんですが、すべてには手が回りません。短期の貯蔵庫は、300CCのペットボトル1本が単位で、稲籾なら230グラムほどです。需要が多いものは、どんどん外へ出す。野菜やなんかはいっぱい要望があって毎年増殖せんと対応できんものもあります。
──それぞれの品種数について教えてください。
短期も長期も基本的に同じ数です。まず、野菜が2600品種あります。これに豆が1400から1500品種。アワ、キビ、ゴマなどの特作類は1000品種ぐらいです。これはホームページに載っています。稲は7000品種ぐらい集めていますが外に出していません。南方米や着色米など、たくさん集めていた先生が県立大におられたので、退官の時にそれをいただいています。稲は品種特性がまだわかっていないものがほとんどです。国がやっているから、手を付けないというということではないんです。国も実は、広島農業ジーンバンクがもっている遺伝資源には関心があるようです。でも将来これをどうするか、それは、きちんと考えてもらわないといけません。
平成22年から3年間かけて野菜と特作類について千数百品種ほど特性調査をしました。大豆800品種、小豆400品種ほどは、私がその前から調べていました。そのデータは、ホームページに載っています(http://hsnz.jp/genebank/data/)。
──大豆などいろいろな品種があるんでしょうね?
品種が800ばかり。品種名からすれば半分もないけれど、どこから入ったかという元の産地で分けています。韓国のものもありますが、中国からのものはありません。例えば、中国には、枝を出さず一本立ちするノンブランチグタイプの豆があります。そういった品種は欲しいものですが、中国は、遺伝資源を外国に出しませんね。
大豆は加工品の何をつくるかで品種がきまると思います。みんなが丹波黒ばかりをもてはやすというのは、食べて美味しいからで、それはそれで間違ってはいないんですが。例えば、小粒の黒大豆はジュースにどうでしょうか。小粒である分、機能性成分が高いでしょう。
──お正月の黒豆の汁にクエン酸を入れると、きれいな紫色のドリンクができますね。
◎遺伝資源は利用してこそ価値が出てくる
私は、ここには現在週一回の水曜日だけ来ています。松浦さんという正式の嘱託の補助員というような位置づけです。彼は、月水金の週3日勤務で、月曜と金曜は午前中だけ。水曜日は二人で丸一日というやり方です。私より13歳若いです。69歳ぐらい。私は、81歳になりました。
今は、松浦さんと二人で作業して、野菜の種子は、50から100品種ぐらい採っています。基本は鉢栽培です。「つるもの」と言っていますが、ああいう大きくなるものは鉢栽培はメロンまでです。やはり露地栽培も必要となります。
広島県に農業ジーンバンクが存続するかどうかにかかわらず、遺伝資源はなくしちゃいかん。しかし、遺伝資源というのは、これをもっているだけでは価値はないんです。利用しなければ価値がない。だからどんどん利用してもらうために、面倒くさいことをいわず、使いたいという人に使わせろ、という方針で臨みました。
在来品種を地域の方が栽培することには、以下の3つの良いことがあると考えています。1番目は、地域の方に、いろいろな経験をしていただける。2番目は、在来品種の味を知っていただける。そして3番目は、できた人には種子を採ってそれを農業ジーンバンクに戻していただけるということです。
栽培面積がどうとかと細かい注文をつけ始めればそれが足かせになります。また金をとればということは誰しも思いつくところで、最近の高い種より安く設定すればと考えても、金を出してまで使うとい人はごく少ない。それに、お金を介在させれば、領収書の発行だのいろいろの手間がかかって、会計担当の事務員を一人雇わないとまわらなくなります。
──種を貸し出して、できたら返してもらうという運営の方法は、物々交換みたいで面白いですね。けっこう返されますか?
はい。できればはじめの量の10倍でも持ってこられます。ただ、これも義務化すると、できるかできんかわからんのだから、お断りという人もでてきます。
◎混ざったらアウト、選びすぎてもアウト
奨励品種の稲等の場合は、ここの試験場で原種を生産し、各地の種子生産組合に配っています。毎年奨励品種10数品種を育てますが、すべて機械でやるので、機械の掃除が大変なんです。調整するときにまじらんように、コンバインだけでなく、乾燥機も選別機もすべてを掃除しなければ混ざってしまいます。ですから、機械を使っている時間より、その機械を分解してきれいにする時間の方が長いくらいです。全部で3町歩を超える原種圃があります。毎年同じものをつくるわけではなくて、新しい品種などは、とりあえず増やさんといかんといった事情もあります。大豆や麦もやらんといかんが、これを水田跡でやろうとすれば、泥が足かせになって機械のとりまわしが大変です。
昔の人は、少なくとも明治生まれの人にとっては、種採りをすることは、当たり前のことでした。ただ、昔は品種数も限られていたので、他品種との交雑ということをあまり気にかける必要がなかった。いまは、家庭菜園でも実にたくさんの品種がありますから、交雑を防ぐ手立てをよく考えないといけません。とくに、野菜は混ざりやすい。混ぜないように栽培するのが難しい。
植物学者が新品種というな発表をよくされますけれど、それは交雑しただけでのものではないか、と疑っているところがあります。牧野富太郎さんなんかは、よく研究して発表されたとは思いますが。
交配によってできたものを選抜するには、きちんと選抜できる目が必要です。「これは捨てます」というものが、「これは拾います」というものよりようけ(多く)ないといけない。当面は作りやすさや、味などで選ぶでしょうが、これからは機能性とか、気象耐性とかも視野にいれるべきです。また、選抜していくことで新しい品種が生まれてくることもよしとしましょう。それが次の世代まで固定されれば、新しい品種となるんですから。
変異というものは、ふつう、裾が広がった釣り鐘型のいわゆる正規分布をします。この両端を除ける。極端なものだけを排除していくんです。もちろん、よいものが端にあれば、それは別に扱ってもいい。でも、あれもいい、これもいいというような扱いをしていると幅がひろくなって、選別になりません。ただし、十字花植物(アブラナ科)などでは、選抜しすぎると、自家不和合性によって受精ができなくなって一挙に種がとれなくなるということが起こるので注意しておかなければなりません。広島菜でそういうことが実際に起こったんです。種苗会社が強い選抜を繰り返していたとき、「ずいぶんそろいましたね!」と言うていたら、翌年は全然取れんようになったんです。一つの株だけから種子を採るようにするというよ
うな
とをすれば、起こりがちなことです。
◎食べ物は誰もが必要なものだから
最近は種子戦争といわれますが、メジャーといわれるアメリカなどの大企業が、遺伝子解析を武器に、自分たちの所有権を主張しようとする動きが強まっています。これには十分警戒する必要があります。
食べる物は、なしですませるということができないものです。だからこそ、誰でも手に入る値段で、きちんと手に入るようにしなければなりません。金持ちでも貧乏人でも、手に入るように。金さえもうければいいというような現在の動きは、そうした食べ物のもつ特徴への配慮がありません。ヨーロッパでもアメリカでも農家へは手厚い補助金を出しています。何もしないのが日本です。
種苗法で、自家採種をできない方向にしていくということが報じられていますが、この動きを許せば、それによって民間の育種のようなことは何もできなくなるおそれがあります。
種子法も、いま廃止する理由は何もないと思うんですが、国会での審議も十分しないままでこれを廃止することを決めてしまいました。各都道府県が種子を増殖するように努力目標だけをおくようにするというのですが、義務ではないので、努力したがだめだったといえば通りましょうし、はじめからやらなくても大丈夫で、なんの歯止めにもなりません。
種子法の廃止後の取り組みは、都道府県によって温度差があり、東北の米どころなら稲の種子の確保を熱心にやるでしょうが、西日本ではさてどうでしょうか。
F1の種子が全盛のようですが、F1から新品種を育てるのは大変な手間がかかります。ある程度の固定種である在来種の遺伝資源をもっているということは、非常に強いことだと思います。
参考書 船越建明著『野菜の種はこうして採ろう』創森社(2008) カラフルで分かりやすい本です。