歴史に学ぶ)アイリーン・スミスさんが考えた水俣と福島に共通する10の手口
2012/03/11
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120227dde012040007000c.html からの引用です。
宇井純さんの公害の4原則 をバージョンアップしたものですね。
http://blog.goo.ne.jp/maxikon2006/e/7da910d6e0529a63bfdbbe5ea2fef312
公害には4つの段階があるらしい。それは起承転結である。……つまり、公害とい
うものが発見され、あるいは被害が出る。それに対して原因の研究、因果関係の研究
(第1段目)というものが始まりまして、原因が分かる。これが第2段目とします。
そうしますと、原因が分かっただけでは決して公害は解決しない。第3段目に必ず
反論が出てまいります。この反論は、公害を出している側から出ることもある。ある
いは第3者と称する学識経験者から出される場合もあります。いずれにせよ反論は必
ず出てまいります。そうして第4段は中和の段階であって、どれが正しいのかさっぱ
り分からなくなってしまう。これが公害の4段階であります。
(宇井純「公害原論」1、亜紀書房 98-9頁)
以下は毎日新聞の記事です。 10の手口を冒頭に移してあります。
■水俣と福島に共通する10の手口■
1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
3、被害者同士を対立させる
4、データを取らない/証拠を残さない
5、ひたすら時間稼ぎをする
6、被害を過小評価するような調査をする
7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる
8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む
9、海外に情報を発信しない
10、御用学者を呼び、国際会議を開く
特集ワイド:かつて水俣を、今福島を追う アイリーン・美緒子・スミスさんに聞く
「『10の手口』は経産省前のテントの中で考えたものです」と語るアイリーン・美
緒子・スミスさん=小国綾子撮影
◇共通する「責任逃れ」「曖昧な情報流し」 繰り返してほしくない「被害者の対
立」
「福島第1原発事故は水俣病と似ている」と語るのは、写真家ユージン・スミスさ
ん(78年死去)と共に水俣病を世界に知らしめたアイリーン・美緒子・スミスさん
(61)だ。今回の原発事故と「日本の公害の原点」との共通点とは何なのか。京都
を拠点に約30年間、脱原発を訴えてきたアイリーンさんに聞いた。【小国綾子】
「不公平だと思うんです」。原発事故と水俣病との共通点について、アイリーンさ
んが最初に口にしたのは、国の無策ではなく「不公平」の3文字だった。
「水俣病は、日本を代表する化学企業・チッソが、石油化学への転換に乗り遅れ、
水俣を使い捨てにすることで金もうけした公害でした。被害を水俣に押しつける一方、
本社は潤った。福島もそう。東京に原発を造れば送電時のロスもないのに、原発は福
島に造り、電力は東京が享受する。得する人と損する人がいる、不公平な構造は同じ
です」
都市のため地方に犠牲を強いている、というわけだ。
「『被害×人口』で考えれば被害量のトータルが大きいのは大都市で、少ないのは
過疎地域かもしれない。でもこれ、一人一人の命の価値を否定していませんか。個人
にとっては、被害を受けた事実だけで100%なのに……」
■
アイリーンさんの原体験は「外車の中から見た光景」。日本で貿易の仕事をしてい
た米国人の父と日本人の母との間に育ち、60年安保反対のデモを見たのも、香港や
ベトナムの街で貧しい子どもたちが食べ物を求めて車の上に飛び乗ってくるのを見た
のも、父親の外車の中からだった。こみ上げる罪悪感。「車の外に出たい」と強く感
じた。
両親の離婚後、11歳で祖父母のいる米国へ。日本では「あいのこ」と後ろ指をさ
されたのに、セントルイスの田舎では「日本人」と見下された。「日本を、アジアを
見下す相手は私が許さない」。日本への思慕が募った。満月を見上げ「荒城の月」を
口ずさんだ。
アイリーンさんの「不公平」を嫌う根っこは、加害者と被害者、虐げる者と虐げら
れる者の両方の立場に揺れた、そんな子ども時代にあった。
20歳の時、世界的に有名だった写真家ユージン・スミスさん(当時52歳)と出
会う。結婚後2人で水俣に移住し、写真を撮った。日本語のできない夫の通訳役でも
あった。患者と裁判に出かけ、一緒に寝泊まりもした。ユージンさんの死後は米スリー
マイル島原発事故(79年)の現地取材をきっかけに、一貫して脱原発を訴えてきた。
■
大震災後、環境市民団体代表として何度も福島を訪れ、経済産業省前で脱原発を訴
えるテント村にも泊まり込んだ。テーブルにA4サイズの紙2枚を並べ、アイリーン
さんは切り出した。「水俣病と今回の福島の原発事故の共通点を書いてみました」。
題名に<国・県・御用学者・企業の10の手口>=別表=とある。
「原発事故が誰の責任だったのかも明確にしない。避難指示の基準とする『年間2
0ミリシーベルト』だって誰が決めたかすらはっきりさせない。『それは文部科学省』
『いや、原子力安全委だ』と縦割り行政の仕組みを利用し、責任逃れを繰り返す。被
ばく量には『しきい値(安全値)』がないとされているのに『年間100ミリシーベ
ルトでも大丈夫』などと曖昧な情報を意図的に流し、被害者を混乱させる。どれも水
俣病で嫌というほど見てきた、国や御用学者らのやり口です」
福島県が行っている県民健康管理調査についても、「被ばく線量は大したことない
という結論先にありきで、被害者に対する補償をできるだけ絞り込むための布石とし
か思えません」と批判する。
アイリーンさんが最も胸を痛めているのは、被害者の間に亀裂が広がりつつあるこ
とだ。「事故直後、家族を避難させるため、一時的に職場を休んだ福島県の学校の先
生は、同僚から『ひきょう者』『逃げるのか』と非難され、机を蹴られたそうです。
みんな不安なんです。だから『一緒に頑張ろう』と思うあまり、福島を離れる相手が
許せなくなる」
福島の人々の姿に、水俣で見た光景が重なる。和解か裁判闘争か。「水俣の被害者
もいくつもに分断され、傷つけ合わざるをえない状況に追い込まれました。傷は50
年たった今も癒えていません」
だから福島の人たちに伝えたい。「逃げるのか逃げないのか。逃げられるのか逃げ
られないのか。街に、職場に、家族の中にすら、対立が生まれています。でも、考え
て。そもそも被害者を分断したのは国と東電なのです。被害者の対立で得をするのは
誰?」
昨年3月11日、アイリーンさんは娘と2人、久しぶりの休養のため、アメリカに
いた。福島の原発事故の映像をテレビで見た瞬間、胸に去来したのはこんな思いだ。
「今からまた、何十年もの苦しみが始まる……」。水俣病がそうだったように。
水俣病の公式確認は1956年。77年の患者認定基準を、最高裁は2004年、
「狭すぎる」と事実上否定した。09年成立の水俣病特措法に基づく救済措置申請を
7月末で締め切ることに対し、患者団体は今も「被害者切り捨てだ」と批判している。
半世紀たってもなお、水俣病は終わっていない。
「今、水俣の裁判闘争の先頭に立つのは50代の方々です。まだ幼い頃に水銀に汚
染された魚を食べた世代です。だから、福島に行くたびに思う。小さな子どもたちに
将来、『あなたたち大人は何をしていたの?』と問われた時、謝ることしかできない
現実を招きたくないんです」
■
3時間にわたるインタビューの最後、腰を上げかけた記者を押しとどめ、アイリー
ンさんは「これだけは分かってほしい」と言葉を継いだ。
「水俣と福島にかかわっていて私自身、被害者と同じ世界にいると錯覚しそうにな
るけれど、でも違う。被害者の苦しみは、その立場に立たない限り分からない。分かっ
ていないことを自覚しながら、被害者と向かい合い、発言するのは怖いです」
しばらく黙考した後、「それでも声を上げようと思います。福島に暮らす人、福島
から逃げた人の両方が、水俣病との共通点を知り、互いに対立させられてしまった構
図をあらためて見つめることで、少しでも癒やされたり救われたりしてほしいから」。
かつて水俣を、今は福島も見つめる両目が強い光を放っていた。
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毎日新聞 2012年2月27日 東京夕刊