半農半X) この20年のわが家のあゆみ RT @tiniasobu
2012/02/02
「足もとからの解決――失敗の歴史を環境ガバナンスで読み解く」
の続きの部分です。
(ネットブックになる予定なので、全文掲載はいたしません。)
http://ankei.jp/yuji/?n=1634
■半農半Xの暮らし
「グローバルに考え、ローカルに行動せよ(Think globally. Act locally.)」と
いう言葉がある。しかし、おそらく宇宙飛行士の一部を例外として(ウェブページ「
宇宙飛行士秋山豊寛、いま農に生きる意味を語る」の例を参照)「グローバル」な事
象を、自らの暮らし方を根本から変えてしまうような行動につながるほどの実感をもっ
て捉えることは非常に難しいのが現実ではなかろうか。
自分の足もとで、これだけは確かだというところから考え、行動しながら、それを
最終的にはグローバルな理解に広げる方法はないものだろうか。そこでつかんだもの
であれば、あるいは、説得力をもって話せるかもしれない。環境問題を人に話すとき
に難しいなと思うのは、自分自身が環境に配慮しない暮らしをしていたのでは、誰も
耳を傾けようとしないという事実である。その意味で、山口大学での「いのちと環境」
の授業紹介の結びを私としては「考え、行動するきっかけをつかみましょう」とした
かったのだった。
「知るは難く、行うは易し」という孫文の言葉がある。本当に納得したら、その瞬
間から人は変わり、行動にも現れるはずだ、という意味だと私は理解している。わが
家の場合、「知ること」は、一本のビデオ『ポストハーベスト農薬汚染』(小若、一
九九〇)から始まった。それがわが家の暮らしを根底から変えたと言っても過言では
ない(安渓、一九九三)。輸入レモンやオレンジは食べなくても困らなかったが、収
穫の後に農薬処理をされていない国産大豆の豆腐や国産小麦のパンなどは当時どこで
も手に入らなかった。輸入トウモロコシの飼料の汚染を考えると、牛乳も卵も肉もだ
めかもしれない……。妻は、スーパーに行っても何も買えずに帰ってくることが増え
た。このとき、家の前の小さな田んぼを借りられたのは幸いだった。そこに子どもと
ともに植えたジャガイモが収穫できるのを待ちわびてそれを朝食に食べ、サツマイモ
を小さな畑一面に植えた。そのあと西表島でひと夏をすごして帰ってみるとありがた
いことに雑草の中にりっぱなサツマイモが育っていた。
これがきっかけとなり、一九九三年には、鳥取県の大山のふもとの小さな村で一年
をすごして田畑を借りた。この年は、東北地方を中心に稲が大凶作となった年で、タ
イ米輸入で日本中がパニックになっている中、農薬も除草剤も化学肥料も使わない自
家製の、家族一年分の飯米を枕元に積み上げて寝るという、この上ない幸せを味わっ
た。有機栽培された稲は、冷害に強かったのである。
一度覚えた半農半Xあるいは、第三種兼業農家(農業収入をめざさない農的な暮ら
し)の楽しみは、その他のことには代え難く、山口に戻ってからも、つてを求めて田
を借り、山の中に土地を求めて地元の木で家を建て、自分の家のまわりの山の木を主
な熱源にして暮らすようになるまでには、それほどの大きなギャップはなかった(安
渓・安渓、一九九七)。
このあと、議論は、
2.山で薪を作りながら考える「重層する環境ガバナンス」
に続きますが、今日はここまで。