中川真さんのお話)うたの力・舞いの力で災害からたちあがる #YPU #震災 #神楽 #岩手県 RT @tiniasobu
2011/10/27
2023年12月22日修正 中川眞 → 真 に変えました。
東日本大地震のあとでの、伝統芸能の復興の動きを追う映像作品と、病院でのインスタレーションの映像のリンクを追加しました。
2011/10/27 山口県立大学国際文化学部公開講義で、
災害後の生活文化復興とアートマネジメント という題の お話がありました。三年
生のゼミの時間でしたが、地域・人権・アート となれば、聞きに行くしかない!
交換留学生もふくめて、8名のゼミ生とともに走っていって、安渓貴子もいっしょ
に聞きました。
冒頭、マルク諸島での、心をわしづかみにするお話に、とても感動しましたので、
話してくださった 中川真(なかがわ・しん)大阪市立大学大学院教授の了解により、
ここにお話のあらましを書き付けておきます。
安渓が変人という脱線のところを削らないようにという注文がついていましたw。
◎うたの力――マルク諸島で見たこと
災害後の生活文化復興とアーツ(いろいろあるので複数形)マネジメントというこ
とをお話します。
今回の大震災については、私は当事者では全然ない。でも、当事者でないけれど、
実は当事者なんだよ、ということを、今日はお話したいと思います。
一九九七年頃、インドネシアのマルク諸島というところに3週間ほど滞在して、サ
ウンドアーツとか、サウンドスケープのことを調べました。澄み切った海ととてもう
つくしい島。塵ひとつ落ちていない。夕方には家々から美しい合唱が聞こえてくる。
天国というのは、こんなところだろうか、と思ったほどです。
でも、実は10年前には、悲惨な村だったんだ、と村長はいうんです。ドラッグと
暴力などでたいへん荒んだ村だった。村長のなり手もいなかったので、体格の大きい
人間が村長をさせられた。ところが、この人が、歌が好きで、みんなに無理矢理ひっ
ぱってきて歌を歌わせた。
それで、5年ほどすると村が変わり始め、合唱でインドネシアで1位になって、オ
ランダにまで歌をうたいに行くということになるんです。それが、今の村が生き返る
きっかけになった。村長は、歌をうたわせる以外のことはなにもしていないのに、そ
の力で村が復興できた。とても感動しました。これは僕の研究の原点のひとつです。
人間は他者なしには生きていけない。このことが実感されたのが、災害の経験だっ
たのではないでしょうか。
君たち、生まれた時から、一人では生きていけないんです。あ、一人で生きていけ
るのは……、ここの先生で、変人のアンケイ先生ぐらい? 一年生でアンケイ先生知
らない人は手を上げて? ああ、いませんね。実は、子どものころから知り合いで、
家が5キロほどしか離れていなかったんですよ。
それはともかく、みんなが支え合っていく、それがコミュニティです。バリ島の例
をあげましょう。警察も消防もない。みんなが助け合って、泥棒を捕まえたり、火事
を消したり、田んぼの仕事をしたりする、そういうコミュニティがあるんです。
◎震災前よりあったかい社会をつくりなおしたい
そうしたコミュニティを作り直していく、それが震災後の社会を作るための課題だ
し、震災前のような冷たい社会ではなく、できたら、あったかい、あったかい社会を
作りたい。その手がかりになるのは、伝統芸能やお祭りだと思って注目しているんで
す。
「なぁんだ、お祭りか」と思われたかもしれませんが、これから、岩手県の映像を
見ていただきます。だいたいは震災後の映像で、一部には震災前のあたたかい社会が
描かれています。10分ほどです。もう亡くなられた方も映っています。
DVD阿部武司「東日本大震災を乗り越えて」から10分程度
雄勝(おがつ)神楽保存会の練習風景。会長は行方不明。震災後であうのは、これ
が初めて。ブルーシートの前で神楽を奉納して復興を誓い合った。
舞う人のすがたにかぶせて、中川先生の「この人は亡くなりました」の説明。
2011年6月18日、死者の出たお宅あとで供養の舞いをまう。
両親が犠牲になった子ども達による太鼓の奉納。山車や太鼓もおおくが流失した。
陸前高田市の「うごく七夕」に、内陸から、60本の笛の寄贈があった。
黒森巡行神楽の震災前のようす。400年にわたって続けられてきた。
宮古市の重茂半島を望むところで、標高30メートルぐらいのところまで逃げて、一
瞬の機転で命が助かった神楽衆の話を聞く。
仮設住宅前で、黒森神楽を奉納する。身堅めとして、獅子に体の周りをぱくっと食
べてもらう住民たち。狂言「清水の観世音」を上演。住民から大きな笑いと拍手が沸
きおこる。
吉里吉里(きりきり)虎舞のようす。「来年はこれ以上もりあげるべし」。
7月24日大船渡市末崎小学校仮設住宅。昨年10月以来の虎舞復興と餅まきに参加
者たちはもりあがる。
念仏舞・剣舞、自粛を解いて、南無阿弥陀仏を唱えて踊る本来の姿で奉納。
5月沿岸復興バザール。盛岡市桜山。大槌町など、被災した町では、道具を融通し
合って奉納。山田町八万太神楽は、すべての祭道具を火災で失った。(傘を回して踊
る幼い子どもに教室から笑いがもれる。)
全体で60分ある撮影・編集:久保田裕道、阿部武司ら ナレーション:伊藤美幸 のこの作品は、「東日本大震災を乗り越えて 岩手県沿岸部の民俗芸能復興と現状」として公開されています。https://www.kagakueizo.org/create/other/4456/
◎大阪で当事者になる・山口で当事者になる
この映像を見ると、わりとみんな元気よくやっているように見えますが、陸中海岸
の数百ある芸能団体のおよそ1%ぐらいがこうして立ちあがってきただけなんです。
東北地方には、たくさんのこうした芸能やお祭りがある。それは、自然の災害の中
で、鎮魂と祈りを表現するものとして息づいてきた。そこが根こそぎ、コミュニティ
ごと芸能団も壊滅した。そういう中からようやくたちあがりかけてきた。
大きな問題があります。県とか、国は有形文化財の救援については始めているんで
すが、無形民俗芸能については動きがない。仕方なく、ある財団(注、日本音楽財団)
がストラディバリウスのバイオリンを12億円で売って、それで、民俗芸能の復興に
役立てるといったりしています。そういう状況はまずいんじゃないか。
さきほど、おたふくのお面が出てきて、ブラジャーした人がだきついて、みんなを
喜ばせていたでしょう、あれが神楽なんです。
巡行する神楽――鵜鳥神楽と黒森神楽が沿岸部を巡行していた姿が、行き先である
「宿」とそれをささえるコミュニティそのものがなくなってしまっている。すばらし
い神楽が失われるとしたら、大問題。震災以前から衰退の傾向があったので、それを
復興していく支援をしたいんです。
さっきの神楽を大阪に呼ぶことをきめました。岩手県は四国と同じ大きさだという
ことを知って驚いたんですが、何も知らないから来てもらって、関西の人たちが神楽
復興の当事者になってもらう、まきこまれていく。観念的ではなく、具体的に動いて
いくことで、学術調査もする。評価・検証もしていく。そうしないと資金の援助も得
られない。長期的には、他地域でも使える汎用型データベースづくり。南海東海地震
が30年以内にやってくる。津波に洗われて何万人が死ぬかということも、予測ずみ
です。そういう時に、いかにしてコミュニティの芸能を復興していくのか、というこ
とを学ばせていただく、という取り組みなんです。
これまでのアーツマネージメントは、美術館で展覧会をしたり、ホールで音楽をし
たりすることに留まっていましたが、これからは、コミュニティ全体で考えていこう、
という新しい取り組みになっていくんですね。社会とかかわりをもつ、アーツマネー
ジメント。
◎日常的にも排除されている人たちとともに
例えば、東北震災後に芸能をやっている。これは非日常ですが、日常的にも、差別
されていたり、元気がでなかったり、排除されている人々をめぐるさまざまな問題が
あります。こういうことを、解決していこう、という取り組みです。
いろいろなハンディをもっている人たち。Accessibility が低いという排除の構造。
障害者、高齢者、重篤な入院患者、ホームレス、大災害の被災者……、エイズなどの
特定感染症、ゲイ、被差別民、少数民族(在日のold comerに加えて、最近はイラン
あたりからのnew comerもきています)、突然解雇された人々、受刑者……
こういう人たちがなんとか、社会とのチャンネルを増やしていけないかという取り
組み。何年か前にここに来させてもらった時は、障害者のDVDを見てもらったんです
が、今回はすこし違った面から。
大阪市立大学の付属病院は、アーツへの取り組みが日本の最先端。はじめは、仕事
が増えるとお医者さんも看護師も反対したけれど、10年たって、その大切さがわかっ
てきた。じつにいろいろなプロジェクトがありますが、そのひとつをご紹介します。
シャボン玉を飛ばすという、非常に単純なことをやってもらう。血液がんなどの、
ものすごい重篤な病いの子ども達が入院しているんですけれど、常日頃アートに接す
ることもなくすごしている子ども達になにか感じてもらいたい。
DVD上映 花村周寛「霧はれて光きたる春」
ハナムラチカヒロ・インスタレーション、「霧はれて光きたる春」の様子。
病院のパティオの大空間を生かして、煙が立ち上り、たくさんのシャボン玉が舞う。
それをつかもうとする子ども達。看護士たちのこころもうきたつようで、その様子が
ガラス越しに映しとられている。
音もアーチストが作っています。簡単そうですが病院の中でこれをやることは、多
くの人がかかわっていて、たくさんのリスクを乗り越えて、ようやく可能になったん
です。
森本君という人がとりくんで、写真の撮り方を教えられた少年が、病室から空を撮
る。そこから選んだ写真展は、日本をまわった。16歳でこの子はなくなってしまい
ましたが、写真をとっている間は、生きているという実感があっただろうなと思いま
す。
この映像は、https://www.youtube.com/watch?v=UJSDt8C-bJM で公開中です。
◎どんな社会をめざすのか
これからの社会は、どういう姿をめざすのか? そういうビジョンが必要だ、とお
もうんです。
差別を受けたり苦しんでいる人たちがいるような、あるいは、リーマンショック以
来、たくさんの人たちが首を切られて、苦しんでいる。大阪の西成区というところで
は四人に一人が生活保護を受けているんです。
山口にも、そうした問題もあるはずです。
じつは、先ほどお見せした、うちの病院でのとりくみの全体は、山口大学医学部を
出た人が、仕切っているんです。
排除傾向の少ない社会、もっと平たく言えば、「居心地の良い社会」。自分だけが
居心地がいい、それは最低。想像力――イマジネーション――に満ちた社会がこれか
ら目指す社会だとおもうんですが、これからいろんな人たちがアクセスできる公共性
の領域を広げていく。
みんながシェアできる「公共圏」(ドイツの社会学者、ユルゲン・ハーバーマスの
ことば)づくり。これは、アーツで、文化で、できることだと思います。そうしたと
ころにアーツマネジメントの可能性がある、と思っています。こんなやり方を、今後
の社会をつくっていく考え方のひとつの窓口にしてほしいな、と思っています。
(拍手)
中川真教授のプロフィール
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/asia/teacher/nakagawa/index.html
を参照してください。
以上、勝手に書き留めた人
いろいろな ものごとを編集する 「変じゃ」の安渓遊地でした
(「炉端の怪人」というホラーにも登場してます。http://ankei.jp/yuji/?n=275 )