地域の国際化)NGOと県立大国際文化学部の連携の可能性――下関・東チモール・韓国・ケニア #timor #kenya #korea #shimonoseki #iwakuni #kaminoseki #nijinokayaker RT @tiniasobu
2011/08/05
山口県立大学の講義「環境問題」で非常勤講師をお願いしている井原勝介さんに招
かれて、6月に安渓遊地が岩国市で「もうだまされない」お話をさせていただいたと
き、会場で、下関からきておられる大城(おおき)さんを紹介されました。お話をき
いてみれば、東チモール、ケニアと、わたしにとってなつかしい名前がいろいろでて
きました。
大城さんといっしょに岩国まできていたのが、とっても元気な県立大生でした。>地域の国際化に資する人材の育成というのは、わたしの属している国際文化学
部の教育研究目標のなかでももっとも大切なものですが、地域の方がそうした学生を
育てて下さっているのです。
大学の中では、めったやたらに業務が増えて、いつもあっぷあっぷしている教員た
ちが、実際にいろいろな地域に学生を連れて歩くような、そうした丁寧な学生指導を
するのは、なかなかむずかしいことが多いのですが、地域にねざした国際的活動を展
開しておられるNGOなどと、人間的な信頼関係をもとに手を結んでいけば、明るい可
能性が開けている、と強く感じたことでした。
その大城さんから、活動紹介の案内が届きました。秋の大学祭「華月祭」では東チ
モールからの直送グッズの模擬店もでるようです。学生のみなさんも、これらの活動
まるごとではなくても、ご自分の感性にピピッと反応する部分があったら、積極的に
動いてみられてはいかがでしょう。
以下はいただいたメールの引用です。許可を得てここに掲載します。
安渓先生
先日は、岩国でお会いでき、また本(『出すぎる杭は打たれない――痛快地球人録』
)まで頂き、心より感謝しております。
また、一緒に岩国まで行きました ちさとさんを通じて、県大の大学祭のお手伝い
ができることを感謝しております。
ちさとさんより、原稿を書くように言われていながら、放置していた怠慢をお赦し
下さいませ。
とりあえず、書き下ろしてみました。安渓先生と出会った「岩国」のことまでは触
れる事ができませんでしたが、今回、フェアトレード、国際支援を中心に ちさとさ
んが出店したいとの想いにつながる私の思いを書きました。
大城研司 fjmtc727◎yahoo.co.jp(◎を@に変えて送信)
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「ロロサエ・ジャパン」
1990年、1人の東ティモール人女性の講演会を開いたことがきっかけで、翌年、下
関・東チモールの会が結成された。
当時、反アパルトヘイトの活動を行っていた私は、その少し前に、門間ファミリー
のコンサートで東ティモールの名前を聞いていたが、まさかその独立支援運動に関わ
るとは思っていなかった。
当時、東ティモールの支援運動を始めていた複数の団体が協力して、全国各地東ティ
モール人スピーカーを派遣して、閉ざされた東ティモールの実情を直接語ってもらう
活動をされていた。カトリックの関係で林神父に、市民運動の関係で初代の下関・東
チモールの会代表の大谷さんに声がかかり、偶々知り合いだった2人が「どうしよう・
・・」と相談しあったことが始まりだった。
その後、安渓先生たちアムネスティの山口グループに協力してもらって県内各地で
東ティモール人の声を広く聞いてもらう会を開催することができた。
一方、当時、大阪東ティモール協会の会員で、戦時中東ティモールに出征していた
岩村正八さんの証言で、東ティモールにも慰安所・慰安婦が多数存在していたことを
知らされた。
同じ頃、下関で元慰安婦・文玉珠さんの軍事郵便貯金払い戻しを求める活動を行っ
ており、いずれ東ティモールの慰安婦のための活動をしなければ、と思う一方、正直
彼女たちが存命の間に「自由」が得られるとは想像だにしていなかった。
ところが、ノーベル平和賞やアジア通貨危機などの追い風を受けて、あれよあれよ
と言う間に東ティモールは独立を果たした。
仲間たちが「慰安婦」の調査を始め、現地のNGOと協働で本格的な調査を続ける
中で、19名の女性の証言を得る事ができた。日本政府に対する謝罪・補償を求める活
動を続けると共に、おばあちゃんたちを定期的に訪問し、手土産を持参する活動を続
けているが、1人また1人と彼女たちの尊厳が回復されることなく、天に召されて行
く。そんな現状である。
東ティモール支援の活動の中で、山口県内のNGO団体と共にイベントを開いたり
する機会が増えてきた。その中で、同世代というこで、理解しあい、バトルも続けて
きたのが山口ケニアを知る会の高見早苗さんだった。彼女のケニアに対する取組みに
惚れ込み、ケニアへの親近感も感じていたのだが、2008年正月、大統領の結果を受け
て始まったケニアの暴動のニュースを見聞きする中、1999年の東ティモール住民投票
後のインドネシア軍と併合派による殺戮と破壊がフラッシュバックし、高見さんの顔
を思い浮かべながら、ネットを通じて抗議行動と祈りを呼びかけていた。
そんな様子を見ていた市民活動仲間でアイルランド在住の友人が、「ケニアのスラ
ムで子どもたちの教育支援をしている早川千晶さんの講
演を下関で受けてくれないか」と要請してきた。早川さんの名前と活動は何となく知っ
ていたし、あいのりに一枚かんでる事も知ってたので、単純に会いたいなぁと思った
が、スケジュールは厳しく、「唯一この日なら」という日を提案したら、来てくれる
事になった。どうせ引き受けるなら少しでも深く知りたいと思って、前日の大分の会
場に押し掛け、一緒に泊めてもらい、車の中で話しながら下関までお連れした。以後、
毎年、下関ないしは山口県内のどこかでお話しをして頂き、必ずお会いしている。
その支援活動の1つとして、昨年より早川さんの活動を支援するためのグッズを預
かって、機会を見つけては販売し、その売上を寄付してきた。ところが、この大震災
で、ケニアの子どもたちの支援を長年続けておられる仙台のNPOアマニヤアフリカが
その資金獲得の柱であるグッズ販売が十分にできないこと、メンバー自身は大きな被
害は無かったものの、もっと被害の甚大な地域への支援活動に彼らが取組み始めたこ
ともあって、そのグッズもお預かりして販売することとなった。
その早川さんたちとつながるメンバーが、上関原発に反対する若者たちで、まもな
く虹のカヤック隊の主要メンバーになった。以前より感覚的にも理論的にも原発は受
け入れ難く、かと言って「原発反対!」という運動には尻込みしていた私は、1995年
自宅に太陽光発電を設置し、「脱原発のために中国電力に売電する会」と名乗って、
自然エネルギー利用や省エネを広める活動を始めたが、最初の数年だけだった。もっ
とも太陽光発電は黙々と売電してくれていたのだが・・・。そんな私も若い衆に引き
ずられて、再び脱原発の動きを始めた。
そんな国際協力と脱原発の活動のつながりを紡ぎ、広げる形で、アースデイ等のイ
ベントで次の名前で出店している。
店名:ロロサエ (緑のハート型) マイシャ(ロロサエ・グリーンハーツ・マイシャ
)
ロロサエ:東ティモールのことを人々はティモール・ロロサエ、太陽の昇るティモー
ルと呼ぶ。
「下関・東チモールの会」として東ティモールの伝統的な織物タイシとそのグッズ
(女性の自立支援)、書籍、絵葉書などの販売及びフェアトレードかつオーガニック
の東ティモールコーヒーの販売を通じて、東ティモールの慰安婦だったおばあちゃん
たちへの支援を行っている。
マイシャ:ケニアの言葉でマイシャヤラハ、幸せな人生という意味。
ケニアのスラム街で子どもたちの教育、生活を支える活動を行っている早川千晶さ
んたちの活動を支える団体、マイシャヤラハが扱う支援グッズを、「ケニアの平和を
祈る下関の会」が預かり販売。今年は、同じくケニアの子どもたちの教育や女性の自
立支援を長年されている仙台を中心に活動するアマニヤアフリカのグッズも預かって
販売。自らも震災にあった彼らは被災者の支援活動にも取組み、ケニアへの支援金獲
得の大きな柱であるグッズ販売の場所、時間共に制限されたため、お手伝いしている。
グリーンハーツ:上関原発建設予定地の対岸に位置する祝島。長年原発建設を阻止し
続けたこのハート形の島の人々、それを支えてきた人々の思いを緑のハートマークに
込めている。
わずかだが応援のため、グッズ販売や署名、資料配布などを行っている。
この名前とその由来を県大の大学祭で協働出店させていただく ちさとさん に伝
えたところ、県大での店名を、震災被害者へのエールも込めて、ロロサエ・ジャパン
という名をつけてくれた。「東日本」そして「太陽が昇る日本」。祈りと希望の込め
られた名前に恥じないよう、精進していきたい。
下関・東チモールの会
山口アフリカネットワーク
脱原発のために中国電力に売電する会
大城研司
※他に出店の機会がございましたら、ぜひお声掛け下さい。
大城研司 fjmtc727◎yahoo.co.jp(◎を@に変えて送信)
以上で引用を終わります。
公立大学法人 山口県立大学
現代GP承継・地域共生授業担当
教授 安渓遊地(あんけい・ゆうじ)
〒753-8502 山口市桜畠3丁目2番地1号
山口県立大学国際文化学部