原発)だまされた国民の責任からも目を背けてはならない 毎日新聞・山下貴史記者(和歌山支局)のすばらしい記事 #genpatsu #wakayama #sekinin
2011/07/19
合州国での研究で、原発から100マイル(160キロ)以内では乳がんで死亡す
る人が増えているのに、それより遠ければ、増えていないことがわかっています(グー
ルド、2011「低線量内部被曝の脅威―原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録』緑
風出版)。日本に54発ある商業用原発を中心に半径160キロの円をかいてみてく
ださい。その圏外になるのは、沖縄奄美を除けば、北海道の東半分と和歌山県の南端
だけだとわかるでしょう。
その和歌山からの毎日新聞記者・山下貴史さんの記事は、日本の社会の病根への非
常に深い洞察と、それを乗り越える未来への道筋が示されたもので、非常に感動しま
した。
以下引用です。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110621ddm004070005000c.html
英語版には、写真がさらに追加されています。
http://mdn.mainichi.jp/perspectives/news/20110622p2a00m0na007000c.html
記者の目:原発を拒否した町が教えること=山下貴史(和歌山支局)
かつての原発の建設候補地(右奥)を背に当時を振り返る濱一己さん=和歌山県日
高町で2011年5月23日、山下撮影
◇だまされた国民の責任も問う
福島第1原発の事故を、かつて原発誘致に翻弄(ほんろう)された人々はどんな思
いで見ているだろうか。私が勤務する和歌山は近い将来、大地震が予想されている。
かつて和歌山でも誘致の是非をめぐっていくつもの町が揺れたが、京都大学の研究者
らの助けもあり、ここに原発はない。「危険な原発はいらない」。理由は素朴であり、
明快だ。
◇誘致が浮上し、親類も賛否二分
和歌山県で特筆すべきは日高町と旧日置川町(現白浜町)の誘致拒否だろう。日高
町では67年、当時の町長が原発構想を表明して以来、この問題がくすぶった。関西
電力は88年、設置に向けた調査に伴う漁業補償金など約7億円を地元漁協に提示。
漁協内は兄弟、親戚で賛否が割れ、結婚式、葬式、漁船の進水式に出ないなど人間関
係がずたずたになった。反対運動を率いた漁師、濱一己さん(61)は「原発が安全
なら、こんなこと(仲間内の争い)はない。関電は都会と田舎のおれらの命をてんび
んにかけた」と憤る。
旧日置川町では、児童のスクールバスの座席までも原発賛否で分かれた。反対派の
西尾智朗氏(59)=現白浜町議会議長=によると、建設予定地はもともと民有地だっ
たが「国定公園にして乱開発から守る」と町土地開発公社が73年に買収、町に転売
した。町が関電と売買契約を結ぶと、土地を売った一人の男性が「裏切られた」と自
殺した。遺族(78)は「おやじは町にだまされたことを恥と思っていた」と悔しさ
をにじませる。
反対派に一貫しているのは「電気を大量消費する都会になぜ原発を建てないか」と
いう疑問だ。京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の小出裕章助教(61)や今中
哲二助教(60)ら研究者たちもこの疑問を共有し、反対運動を支えた。
小出さんは原子力が未来のエネルギーになると信じ、東北大学に進学した。だが、
宮城県・女川原発建設に反対する運動に直面し、反原発に転じる。「原発は都会で引
き受けられない危険なもので、送電線を敷くコストをかけても過疎地に建てる。それ
に気付いたら選択肢は一つ。そんなものは許せない」と思った。
今中さんも原子力の未来を信じて東工大大学院に進んだが、新潟県柏崎刈羽原発の
反対運動に参加した。「絶対安全で地元も潤う」という電力会社の理屈にうさん臭さ
を感じた。79年には米スリーマイル島原発事故が起き、安全性への懐疑は確信に変
わった。
2人は愛媛県・伊方原発の設置許可取り消し訴訟の原告弁護団に証人として協力し、
研究者の立場から反原発を支持した。和歌山にも何度もビラ配りに訪れた。小出さん
の論は明快だ。機械は時々壊れ、人は時々誤りを犯す。人の動かす原発が壊れるのは
当然。原発は壊れると破局をもたらす--福島の事故は小出さんにとって想定内だっ
た。しかし、世論は安全神話に支配され、「私のような意見はすべて無視され続けた」
という。今は原発を止められなかった自分を責めている。だが、小出さんは国民の「
だまされた責任」もあると言う。
この言葉に、敗戦直後の1946年に、だまされた国民にも戦争責任があると断じ
た映画監督、伊丹万作のエッセー「戦争責任者の問題」を思い出した。伊丹は人情味
あふれる「無法松の一生」の脚本を書く一方で、人間の本質を突く社会評論を残して
いる。
「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも
だまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにち
がいない」(ちくま学芸文庫「伊丹万作エッセイ集」所収)
「安全神話」を吹聴した国や電力会社が厳しく批判されるのは当然だが、だまされ
た国民の責任からも目を背けてはならないと思う。国民は政治を通じて、電源三法で
多額の交付金を地方に配ってきた。その構造と安全神話が、原発周辺住民に危険と隣
り合わせの生活を強いたからだ。
◇地方犠牲にした豊かさが幸せか
濱さんは賛否で割れた漁協が、海で遭難した仲間の捜索で協力したことがあったと
教えてくれた。遺体は1週間後に見つかった。「漁師はな、『板の一枚下地獄』と言
うんや。そんな所で働くもんは皆仲良くせなあかん。町長、お前にこの気持ちが分か
るか」。この言葉で町長は誘致推進を取りやめたという。
原発の建設候補地だった場所は海に面した緑の岬だ。岬を見渡す海岸に立ち海を望
んだ。地方を犠牲にして原発に依存し、豊かさにひたることが幸せなのか--。目指
すべき社会の姿は、はっきりしていると思う。
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