2011.5.1/4 ・26ヒロシマ市民大行動の記録 #hiroshima #kaminoseki RT @tiniasobu
2011/05/01
鍬野保雄さんが 原発いらない datugenML に送ってくださった報告です。
以下引用
2011・4・26ヒロシマ市民大行動
時が過ぎていくのは何と早いことだろう。チェルノブイリ25周年日の4月26
日、広島に上関原発計画中止を求める市民大行動に参加してもう何日も過ぎて知らな
い人には何も伝えられないままだ。あのヒロシマ市民大行動は下関で読む新聞にも
TVにもまったく報じられなかったけれど、ぜひとも知らせたい。*
私たち下関からの参加者10名は朝8
時半、マイクロバスで新下関駅前を出発。運転は慣れない小生で車は「自分は仕事で
行けないので使ってください」とのご好意でレンタルできたのだった。
昼前に平和公園に到着、原爆ドーム前の広場で先ず集会、私は韓国でこの4
月初めに行なわれた「デンジャラス核発電!!!がんばれ日本人!!日韓平和コンサー
ト」の舞台上で使われたノボリ(「上関原発絶対反対」の文字)をもって参加した。
このノボリはこの日のために韓国から送り届けられたものだった。
(写真1 行進前、原爆ドーム前)
平日の昼間であり、大きな組織の動員でもなく、ネットや口コミで知らせあって参
加した市民たち、それでも1000
名位の参加だった。いわゆる組織動員のデモと違い一人ひとりが代表であり、そのアッ
ピール行動は独自的で元気が良かった。みんなデモをアピールの場と心得ていていろ
んな装束やプラカード、鳴り物等を用意しての参加で賑やかである。若い人が多く見
られたが、結構年配者も混じって老若男女の顔ぶれである。広島の友人が「メーデー
のデモよりもずっと元気が良い」と感心していた。
(写真2 いのちが大事とアピール)
私たちのデモは先ず電車通りの大通りを行進し、最初に経産省の出先機関の庁舎へ
と向かい、そこで申し入れ行動を行なった。代表者たちが申し入れ(抗議)ている間、
広場で待機。それを終えると次は広島県当局へ、ここでも同様の行動をして私たちは
待機。たまたま島根から来ている人と会話。島根原発は昨年、定期点検を1千件以上
やっていなかったことが判明して、原発を全部止めたが停電騒ぎはなかった。島根原
発は必要ないと聞いた。
そしてまた行進。街中を行進する時、警察が街宣車でしきりに「市民の皆様、デモ
のため大変ご迷惑をおかけします」とアナウンスをしている。そんなに迷惑をかけて
いるのだろうか。脱原発を求めてデモをすることがそんなに迷惑なのだろうか?市民
の反応は決して悪くはなかった。私の前を行進しているのはどこのグループにも属さ
ない広島市民で今日デモがあると知って参加したご夫婦だった。また私が持っている
旗を見て、自分に担がせてと頼まれたオジサンも広島市民で一人で参加されていた。
(写真3 太鼓の音は人々に気持ちよく伝染して)
私たちの賑やかなデモは祭りのパレードのような様相で電車通り沿いに行進して行っ
た。やがて右に曲がり中学校の正門の方向に向かう。正面の校舎の窓から子どもたち
がこちらを注視、手を振っている。こちらも大いに手を振って応えた。学校正門に近
づくと下校の生徒たちが手を振ったり、何だろうと見つめていた。子どもたちこそが
やがてこの原発社会を背負わされるのであり、彼らにきちんと情報を知らせて彼らの
意思を尊重しなければと思った。もう
17年間も「原子力(安全)ポスター(小論文)コンクール」に参加させられた子ども
たちに原発の真実は伝わっていたのだろうか?
デモはまたも電車通りにもどり、中電本社前にたどり着いた。玄関前に警備の機動
隊員がずらりと警備しているその向こうに中電の社員が数名立っていた。デモ隊は本
社前の歩道を埋めるように続々と到着して来た。玄関前では中人々が前進しようとし
ているが、行く手を阻まれている。
デモ隊は続々と本社前に集結してきた。車道に止めた警察の指揮車の上から「デモ
隊に警告する。官公庁の業務妨害行為を止めなさい。広島県公安条例に違反。直ちに
止めなさい。」と警告がくり返される。デモ隊の責任者から「歩道を開けてください」
とアナウンスがあり、人が通り抜けられるスペースを確保して自然発生的な声が上が
る「中電
出て来い♪」「いのちが 大事♪」「原発 いらない♪」「いのちが
大事♪」とくりかえす大合唱になった。これは警察も止められない。指揮車の上の警
官はどうしようもない。歩道は確保されている。みんながそこで「合唱」しているだ
けだ。主催者側は社長への申し入れを求めた模様。
(写真4 本社前を埋める人々、右手に警備指揮車)
やがて中電本社の渉外担当の責任者らしき面々が出て来た。主催者側からこの人々
に社長との面会を求めて、なぜ面会が必要なのかの論拠を示すアピールを読み上げ出
した。
それは中国電力の上関原発計画がいかにずさんな内容であり本来建設することが不
可能な立地条件であるか、上関町住民をどれだけ騙し、どれほどお金で人々を分断し
対立を強いてきたか、また祝島島民がどれだけ苦しい思いをさせられてきたか、中国
電力の罪状が延々と大きなスピーカで明瞭にデモ隊はもちろん街行く市民、警備の警
官にもよく分かるようにアナウンスされ、さらに自然エネルギー百パーセントは夢で
はないことをも強調、中電が自然エネルギーへとシフトを変える事を求めた。約
30分間に渡って素晴らしい論文アナウンスに応対の渉外担当責任者たちもうなだれて
聴くしかなかった。
(写真5 長い罪状を告げられる中電の社員さんたち)
フクシマ大事故を見れば「原発安全神話」の崩壊は明らかであり、警備の指揮を取っ
ていた警官も「警告」を忘れたかのように静かだった。アナウンスは妨害されずに明
瞭に響き渡り、最後に次の約束を求めた。
① 上関原発計画を白紙撤回すること。
② 田ノ浦の発破作業を直ちに止めること。
③ 最短でも22kmの活断層のある島根原発を停止すること。
④ (停止中の)島根3号炉を永久に開始しないこと。
⑤ 再生可能エネルギーを推進すること。
⑥ 上関原発反対への訴訟を取り下げ謝罪すること。
「以上“原発なしで暮らしたい人々”」というアナウンスに対して、デモ隊から割
れるような拍手。渉外担当責任者は「社長に伝えます」と答弁した。
それから代表者たち数名がその約束の履行を求めて中電側と話合いをするというこ
とで中に入って行きデモ隊はそこで待機することとなった。もう午後6
時近くとなり私たちはそこを後にすることにした。後ろ髪引かれる思いではあるが、
そこに残る人々に挨拶をして帰路についた。
ヒロシマの反核運動といえばその多くが「唯一の被爆国」として「反核兵器」に限
定され、「反原発」は「原子力の平和利用」路線からは無視され続けて来た。
このような反核のヒロシマにおいて「反(脱)原発」の市民大行動が平和的に賑や
かに行なわれたこと。大きな組織もない市民たちおよそ千名も集まり街頭デモをやり
本社前で理路整然と中電の非を指摘し挙げた事は私たちの主張に正義のあることを実
感しました。
下関から行った皆さん、ご協力いただいた皆様ありがとうございました。主催者の
みなさん本当にお疲れさまでした。
引用終わり