わが師)戸崎君!今ごろの教授はなっちょらん!――戸崎教授最終講義「無行の行」から
2005/06/11
山口県立大学国際文化学部戸崎宏正教授最終講義(2001年1月30日)
ずっと年上の同僚であり、学部長でもあった、戸崎先生の最終講義からです。
会議が袋小路に入りかけるとき、「みんな、もっともっと勉強しよう」としんみり
言われて、一同しゅんとなったということを覚えていますが、いろいろなことを教え
てもらったと思います。
途中で面白くなってメモを取りはじめ、あとから、サンスクリットやらのわからな
いところは、後任の鈴木先生になおしてもらいましたが、なお、まちがいがあれば、
安渓の責任です。写真は、2000年に、徳地町の少年自然の家でやった、QOL(生
命と生活の質)という大学院向けのオムニバス講義の中の一幕で、草の上にみんなで
座って講義を聴いているところです。
タイトル「無行の行」(からの抜粋)
西谷啓治先生が「これからの実存哲学に新しい光を与えるものは、仏教である」と
言っておられました。私も、大学に入るころこれを聞いて、よし、仏教をやろうと思っ
た。
ところが、入ってみたら実存どころかサンスクリットでものすごいしごかれるんで
す。たったひとりの学生でね。110分もたせる予習は大変。ただ良いことは、私が
休むと休講(笑い)。結局、これで力がつきました。
僕は運がいい人間だと思いますね。希望より一年遅れでインドに留学にいってみる
と、とても運がいいことに、私が習いたかったカルカッタ大のムッケルジ先生は、定
年で、私が行った研究所の所長になってきていました。その先生は、歯がないのに、
英語が速い。耳をならそうといつも先生のそばにいました。手があくと、「ミスター、
トサキ」と言われてよんでくれます。
そのうち先生が「書きなさい、学位をやる」というんです。
法称(ほっしょう)と中国語で呼んでいるインド論理学の人ダルマキールティ(Dh
armakiirti)の「正理一滴」原題はニヤーヤビンドゥ(Nyaayabindu)の注のチベッ
ト訳版を訳して注をつけよ、といわれました。
2年半ほど努力してほぼできましたが、先生が病気がちでしかたがないので、帰ろ
うとすると、「イントロダクションを50枚書け、そうしたら100枚にしてやろう」
と。なかなかやさしい先生なんですね。
ところが、一点だけ、わからないことがある。それが分からないとイントロダクショ
ンが書けません。それが結局一生の研究になるんです。というのは、法称は、唯識学
派だと言われていたのに、そうではなくて、それと反対の経量部だと書いてあるです。
この人の主著をなんとか読みたい。ところが、ミッケルジ先生も無理だといいました。
こった韻文、詩で書いてあるんです。このへんに書いてあるだろうと見当をつけて、
一部だけ読んでいたら、助教授にはじめから読めとしかられました。よし、と読み出
したらこれがなんと読めたんです。その主著というのが僕が生まれた1930年に印
刷されたプラーマナ・ヴァールッティカ(Pramana-varttika)です。
シチュエーションがよかったですね。この本のサンスクリットによる注釈は2つほ
どで、これだけではなかなか読めなかった。注釈のうち7つほどはチベット訳しか残っ
ていない。僕らの代にはチベット語がしだいにできるようになってきていましたから、
おかげでこれが読めた!とても運がよかったです。
法称は、ちょうど西洋哲学ではヘーゲルにあたるような人。後代にいろいろ批判を
あびているです。ところが、ある批判は法称を経量部として、ある批判は唯識論とし
て扱っている。それをカードにとって整理してみると、意外なことがわかりました。
4章からなる本文のうち、前半部分が経量部として、後半は唯識論として扱われてい
るんですね。
そこで僕は、こんな仮説を思いつきました。西洋の学問と違って、インドの哲学書
は実際の修行のための実践の書。初心者向けには経量部の教えを展開し、後半ではよ
り深い教えを説いたのではないか。そういう観点からみてくると、ピシャリあたるん
です。
若造には、なかなか発表の機会も来ないもんですから、早く次の学会がこないか、
とまち遠しいような毎日でした。
そうそう、タイトルの「無行の行」のことを言っておかなければ(一同笑い)。
「バガヴァッド・ギーター(Bhagavad-giitaa)」という本があります。これはガー
ンディーさんの座右の書。聖典の中の聖典です。インド人は議論して何かというとこ
れを持ち出します。読んでおかんといかんと思って、原典は時間がかかりますから英
語訳で読みました。
就職もないし、こんなことをやっていて食っていけるか?この悩みの中で、ギーター
の中の言葉に出会いました。「無行の行」。これに救われたんです。こんな説話が書
いてあります。
アルジュナ王子の物語。彼が戦場に向かうんですが、馬に牽かせた戦車の御者。こ
れがクリシュナという神なんです。さて敵陣を見ると、叔父もいる、こんな身内を殺
していいのか、と悩んでいると、御者がいいます。「戦うことは君の義務だ。結果を
考えるな。」クシャトリアという戦士のカーストですから、戦うことが義務。
私は義務ということばは嫌いですが、好きでやればいい、専心すれば結果はおのず
からついてくる。そう思えました。ですから、今日のタイトルの意味は、結果を考え
るな、という教えです。
さて、本題にもどります。
ある時中州で飲んでいました。たまたま文学部の庶務課長と会いました。これが飲
み助でしてねえ。「戸崎君!今ごろの教授はなっちょらん!だれにでも90点や85
点をつける。その点おまえの先生平田先生は、エライ!おまえに79点つけた。」と
誉めるんです。ところが、この点では博士課程に入れません。80点必要なんです。
どうせならあと1点ぐらい、とおもうんですが、先生は、教授会で、頭を下げて頼ん
でくださったそうです。「あいつは足らないから、人が5年で書くところを10年か
かるかもしれない、それでもなんとか入れてやってくれ」と。それを聞いてなにくそ
と踏ん張って、結果的には九大の文学博士論文第1号になりました。
興味のある方は、岩波書店の『東洋思想』第10巻の中に「認識」という章を書い
ていますので読んでみてください。昨日飲みながら読みかえしてみると「我ながらな
かなかいいことを書いとる」と思いました(笑い)。それをかいつまんで紹介します。
ヨーガ。精神統一。これは禅と同じです。これをもっぱら修行するのが瑜伽行派(
ゆがぎょうは)。これは、唯識学派としての瞑想に入った時は、どういう心の状況に
なるか、を説明するんです。
瞑想するとき心が起こってくる。例えばここにある花のように、青色のものがある
と、青の形象をもって心が輝いている。それが悟り。しかし、ふつうの人間は無明が
ある。まあ、惑い、汚いこころをもっているとでもいいますか。それが付くと、心の
中に半分は主観的契機、半分は客観的契機が現れる。こんな風に理論的には考えられ
る。しかし、無明にとりつかれた人間は、心の中におこる客観的契機を外界にあるも
のと思い違いをするのだ、と説明するのが唯識の考え方です。
これは、かなり座禅などをして瞑想をしてそこに至った方の境地で、私にもわかり
ません。ふつうの人や入門者には無理です。そこで法称さんたちが説いたのが、一応
外界を認める認識論。ですから経量部の認識論は、あと一押しで唯識論に至るような
ものだったんですね。
私があって、青という対象があって、眼という感覚があって、そして青を見る、青
を知る。青の知を得る。青を認識する。これがふつうの考えですよね。
ところが、仏教では釈尊以来、無我です。私と思っているのは妄想にすぎない。そ
もそも「私が」などとはいえない。外界を認めるとしても、それをどのように立てた
らいいのか。永遠不滅の主体としての我はないけれど、心というものは、瞬間瞬間に
変わっていく。心はあると認める。心の連続は認めない。前の心が起こってそれが滅
すると次の刹那には別の心が起こる。でも、前の心のアクというか、しがらみのよう
なものがへばりついていく。そんな連続性はある。
青が因になって知が果になる。知が起こってくるだけだという考え方です。
言い換えると、心に青の相(すがた)が写る。心が青をつかむなどということは認
められない。因果説なんです。これだと「私が」というものが必要でない。結果とし
て生じて生まれてくるだけ。
だから、「私が何々する」ということはない。何かやっているうちに、結果が生じ
てくる。
日本の文学でも、芭蕉のお弟子さんの服部土芳の俳論に、「松のことは松に学べ、
竹のことは竹に学べ」と先生がおっしゃったとあります。その意味は、と考えていっ
て、「学ぶ」とは「私意」がなくなることだ。そして、心がすうっと松の中に入って
いく。「その実の現るや句となる」と述べられている。これは、仏教の認識論と重な
る世界です。
九大でやった仕事は、般若経の訳です。中央公論社でサンスクリットで残っている
経典をすべて訳そうというシリーズを出しました。その中の「善猛勇般若経」を訳し
た。専門ではないけれど、サンスクリットが読めるので、訳しました。私の期待に反
して家を建てるほどのお金にはなりませんでしたが、こんど文庫に入ります。これは
宣伝です。
法称のこれが読めるようになって、いろんなことが読めるようになって、その結果、
多くの人々がどっと法称の研究をするようになりましたね。
この大学は、人使いが荒くてね、7年半の生活で、2本ぐらいしか論文がかけませ
んでした。だが、講義をする中で、ふと「初心は何か」と思って、仏教の本義を考え
る、ということにこだわったのがこの7年半です。
今考えていることを申し上げて結びにしましょう。初心を求めるうちに、一遍上人
にであった。私は、太宰府に家を建てたんですが、そこは、一遍上人が出家した場所
なんです。
一遍は「捨聖(すてひじり)」と言われます。すべてを捨てることを徹底した人。
私の家は小さいときから浄土真宗の寺です。そこでは、信があれば念仏はあとからつ
いてくると親鸞さんはいいます。これも、阿弥陀様からもらったもの。私が信仰をお
こすのでないと。
私はおやじといつも議論をしてくってかかったもんです。「それなら、なぜ、私に
信が起こってこないんだ?阿弥陀さんは何をしているんだ?」と。しつこいのにあき
れたおやじに「もう少し年をとらんとわからん」といわれました。
一遍は「信不信を問わず」と言っています。これはすごい。圧倒されました。これ
は、また法然にもどっていくわけですが。この大学に来て、学問はすこししかできま
せんでしたが、得るところが大きかったと思っています。(拍手)