ルーツ)毛利家の武道の心得がある婆様の話
2005/05/30
大正時代の女の子は、みんな
橋を渡る時には、必ず欄干の外か上を通ったり、
鬼ごっこするときは、お寺の大屋根のてっぺんにまで登ったり、
毛利家の武士の娘だった婆様に、打ち首の話なんかを聞いたりして育った、
というわけではないと思うのですが、これは、そんな子供時代を送った(安渓遊地
の)母が、脳腫瘍の手術を受けるその直前に、薄れ行く記憶をたぐりよせて書き上げ
た生涯最後の作品です(結局、手術の半年後の1999年10月24日未明になくな
るのですが)。小説風のものがほとんどの彼女にしては珍しく、地名人名ともに実名
で登場します。
武道の心得のある婆様が泥棒を押さえるところなどは圧巻です。
記憶のある裡に 大正時代のある子供の生活(安渓芙美子)より
「そなたは父親に死なれても余り泣きもせず聞き分けのよい気丈な子じゃ、これか
らは婆々様がそなたに武道を少し教え姉に優る子供に育てよう」
頭を撫でる祖母の手の暖かさで何となく気がほぐれたのだろう。私は暖かい祖母の
手を両手で挟みお婆様を見上げ笑顔になった。
「お、そなたは人見知りをせぬ良い子じゃ、これからは婆々様と寝ようぞ、おわか
りか」
「ハイ、今日からお婆様の傍で寝ます。お婆様芙チャンにお話しして下さい」
「よしよし、お話はいくらもしてとらせよう。だが自分のことをチャンづけでいう
てはならぬぞ、目上にものをいう時はもっとへりくだって、私といわねばならぬ、お
わかりか」
「ハイ、わかりました」
「よしよし、秀子やこの子は存外聞き分けがよい、もっとお転婆かと思うたが存外
じゃ」
私は自分が誉められているのは解ったが、祖母の言葉遣いが普通の女の人と違って、
何かしら大人の男の人が遣う言葉のように思えて、不思議だった。
祖母が立ち去ったあと、母に祖母の言葉遣いに就いて尋ねてみたが、その訳はよく
分かった。
「祖母は毛利藩の侍の娘で幼い時から上にも下にも男兄弟が居て、その為の武家の
習慣として剣道とか武道を幼い頃から習い、祖母はどの兄弟よりも熱心に習い“この
子が男ならどれほど安心か分からぬ”と嘆かせたとのことで、そのせいで今でも普通
の男より強いのだから家みたいに女子供ばかりの家が気になって来て下さったの」
私の頭を撫でながらの母の言葉に私はすっかり満足して、何かしら気分がホッとす
るのだった。というのは丁度その頃あちこちの家に良く泥棒が入り、子供心に夜が不
安だったせいである。
「ね、お母さん、もし泥棒が家に来てもお祖母様がいらっしゃれば大丈夫なの」
「そうですよ、どんな男が入って来ても一度お婆様に掴まると身動きできなくなる
から、芙チャン、今日からもう心配しないでお祖母様の傍で休みなさいよ」
母にそういわれると子供心に感じていた一種の不安がすーっと消えるのを覚える。
(中略)
何時の間にか婆や達も姉や母も部屋から消え私はお婆様と二人だけになり気が付く
と布団の中だった。それからどれほどの時間がたったのだろう。私はオシッコがした
くなり目覚めた。枕元には灯心の燃えるあんどんの光で周囲が明るい、一人ではお便
所に行けないので、何と無く目を開いて辺りをそれとなく見回す。
すると何か動いている。あんどんの光で見るともなく見ていると、影は見たことの
ない男の影である。私は恐ろしくなり、あれが泥棒という者ではないかと、とっさに
思う。
「お婆様、お婆様泥棒がいる、芙チャンこわい、お婆様おきて頂戴」
私は思わず、大きな声になった。
「何じゃチビとババアか」
男は私の傍によると頬を撫でる。
「お婆様いやだあ、泥棒が撫でたよう!」
絶叫に近い子どもの声は一辺に家中を起こしたようだ。瞬く間に家中のあかりがつ
き母も姉も兄も私と祖母の部屋にやってきたが、
「ヤーイ、泥棒がお婆様の膝の下で泡吹いてるよう」
兄の大声におどろいて隣に寝ている筈の祖母をみると、祖母は泥棒を押さえつけ、
「秀子さん丈夫な紐を持ってきなされ、身動きできないよう縛りつけるほどに」
と、ニコニコ笑っている。泥棒は苦しそうに溝落ちを手で押さえながら、
「クソババアとガキだと思うたのに、なんちゅうこっちゃ」
と、思っている。
「タダのババと思うたがそちの失敗じゃ、ワシの武術で死ぬものを居るのぢゃ、ひ
と様のものを夜に盗もうとする悪党には当然の報いぢゃ、もう一発喰らわせてつかわ
そうか」
祖母が少し身動きすると、泥棒はペシャンコの姿になり、
「もう悪いことは致しまへん、へえ何卒堪忍しとくれやす、ワシ息も出来まへん、
もう悪いことしまへん、へえ何卒堪忍しとくれやす」
子どもの私が見ても一寸可愛想な程泥棒は青い顔を畳にすりつけ、お腹を痛そうに
押さえつけ、涙を流している。
「そなたごとき悪者には容赦せぬが婆々の武道じゃ、三人や五人が掛って来ようと
もびくともせぬのが毛利家の武道というものじゃ。まだ生かしてとらせただけ有難い
と思わっしゃれ、婆々と子供と侮ったがそなたの地獄じゃ。痛かろう、二度とこのよ
うな悪さをするでないぞ、世の中にはまだまだ強い婆様が一杯おるぞよ」
「へえ、もう二度と悪さは致しまへん、けどこんな強い婆様におうたは初めてじゃ」
「馬鹿いうな、我等年寄りはそなたらと違い皆武道の心得があるのじゃ、性懲りも
のう悪さをすれば何れそなたの命はなくなるのじゃ、わかりたか」
「へえ、もう肝に命じてわかりました」
艶のある泥棒の額を祖母は二本の指でチョイと押したが、彼は「痛々々」と大声と
共に涙をポロポロ零し、子供心にも一寸この泥棒が可愛想だった。
「オッチャン、お婆様の強いこと知らんかったの、お祖母様日本で一番強い人だっ
たのに、そんなとこへ泥棒に来たから罰当ったんや」
「さいでおます。さいでござります。へえ」
と、ヘコヘコ頭を下げていると、姉たちが呼びに行ったお巡りさんが三人も来て、
「こら正公、又お前か、今度の懲役は長いぞ、ここの御隠居には一ころやろ、ざま
見ろ世の中なめとるから罰じゃ」
正公といわれた泥棒は鼻水をすすりながら、
「へえ強い御隠居様、もう泥棒は懲り懲りです。今度出てきたらマトモに働き御挨
拶に参じますで伺います。へえ」
「まさ、お前その言葉忘れるなよ」
お巡りさんの一人が祖母の前にやってきて、
「御隠居さんは相変わらずお達者で結構でございますなあ。一度我々にもその毛利
家の武道というもの教えて貰いたいもんですなあ」
(後略)
全文は、pdfファイルで添付しました。
おまけ
ワープロ入力を孫に依頼する手紙がついていて、それには次のようにあります。
「長い間ひきずっていた余り面白くないパッとしないお話をやっと終わらせること
ができました。こんな下らぬ話を五十枚近くもワープロ打って頂くのは申し訳ないけ
ど何卒よろしくお願いします。
何か仄(キラ)めくようなお話あればもっと面白いこと書けたらいいなあと思いま
す。 昔日本が戦争に負ける前に蒙古へ言った話の方が書きやすかったのにナーと思
います。 お家に蒙古人が来ていたそうですね。優しい心を持っていたジムトルチと
いう若い蒙古人を思い出しました。それをとワンチーウイ(多分、王子義?)という
優しく親切だった中国の若者も思い出しました。
貴方のお閑な時で結構です。よろしくお願いします。
ご両親に何卒よろしく。お爺チャンがお世話になるそうでこれも何卒よろしくネ。」
