ハングリー長州ファイブ)くわしいインタビュー記事の紹介
2011/01/31
力の入ったインタビューが掲載されています。
http://www.isana.ne.jp/blog/archives/2011/01/post-25.php
以下は、写真抜きバージョンをメモがわりに貼り付けただけです。
はりつけ者 安渓遊地
【ISANAレポート】 山口県庁でハンガーストライキを続ける若者たちへのイン
タビュー
2011/01/29
山口県庁で1月21日から5人の若者が上関原発建設予定地の埋め立て工事の一時中
止と、県知事が出した埋め立て許可の再検討を求めて水と塩以外を口にしないハンガー
ストライキを続けている。
メンバーは岡本直也さん(20)、小林恵歴さん(20)=東京都、松村元さん(
19)=大阪府、舩水礼さん(20)=埼玉県、米原幹太さん(20)=千葉県。声
明文では放射性廃棄物など負の遺産や問題を若い世代に先送りしてほしくないと訴え
ている。
【声明文】http://blog.goo.ne.jp/newgenerations/e/6f6c296ec12aaf51c28d2b7dc2eb6c91
ハンガーストライキ9日目の29日、5人にこれまでの経緯や今の思いをインタビュー
した。
県庁前でハンガーストライキ中の左から松村、小林、岡本さん
――それぞれが上関原発問題を知ったきっかけは?
岡本 「東京のイベントで祝島や上関原発についてのトークを聞いたのがきっかけで
す。もともと戦争に関心を持ったことで劣化ウラン弾という放射能を持つ砲弾が使わ
れている問題を知り、そこから原発につながって、本などで勉強したらよくないもの
だとわかりました。新しくできてほしくないと思って上関を訪れたのが一昨年の10月。
最初は3日くらいで帰ろうと思っていたのですが、ちょうど平生町の田名埠頭で大規
模な抗議行動が起きていたので、そのままいて関わっています」
小林 「高校の時に地球を一周するピースボートに乗り、その中で原発の持ついろい
ろな問題を知りました。その後、日本中を自転車で回る旅をしていたのですが、高校
の同級生だった岡本君から祝島のことを聞き、一昨年の12月に訪れました。
2週間くらい滞在して四国に行く予定だったのですが、魅力的な島だったし、今に
も原発予定地の埋め立てが始まろうとしている状況を知り、自分にできることはない
かと思い、約2ヶ月ごとに東京と山口を行ったり来たりしています」
松村 「もともと母が祝島に行ったことがあったんですが、家に泊まりに来た人から
上関からCOP10(生物多様性条約第10回締結国会議)の開かれる名古屋まで歩くウォ
ークに誘われて参加しました。その前に出発地点の祝島を含め山口県のいろんな所を
回りながら自然に沿った暮らしを学ぶスタディツアーに参加していい所だなと思った
のが最初です」
舩水 「父が環境や平和についてのイベント企画や出展をしていて『原発はよくない』
と言っていたのですが、以前は正直、あまり関心がなくて、よく話を聞いていません
でした。
僕は大工をしていたのですが、今どきの大工の仕事ってすごい環境破壊なんです。
ごみはバンバン出すし、ちょっとサイズが違ったり、しまう場所がない材料はすぐ捨
てるし、オール電化だし・・・。これはどう考えても環境破壊だと思って辞めました。
その頃、父がCOP10でスタッフが泊まるキャンプ場の村長を務めることになって『
一緒に行くか』と誘われました。
COP10では原発の問題がいろいろ耳に入ってきて、特に上関原発の話題は盛り上
がっていました。それで名古屋から山口まで来て現場を見たらすごいきれいな場所で・
・・また行きたいなってずっと思ってて・・・COP10が終わって埼玉に帰ったらす
ぐ「山口行ってきます!」って飛び出して、原発予定地の田ノ浦の海岸で40日間キャ
ンプしました。いればいるほどいい所でしたね」
米原 「2009年に兄が青森から沖縄まで走って旅をしてて、僕は自転車に荷物を積ん
で伴走してたんですが、山口を通った時に上関の絵を描いている画家さんの家に泊め
てもらいました。そこで話を聞いたり、雑誌『DAYS JAPAN』の特集を読ん
で上関原発問題を知りました。ずっと気になっていたところ、カフェで開かれた現地
の報告会やケニアへのツアーでこのメンバーと知り合い、今回のハンガーストライキ
に参加することになりました」
小林 「それぞれCOP10や田ノ浦を訪れた時に知り合って、5人全員そろったのは
今回が初めてです。5人とも我が強くて・・・思いが違う部分もあり、ぶつかり合い
もありました。塩を摂るか摂らないか、24時間座り込むか人の家に泊めてもらうか
とか。何だか部活動みたいです」
――ハンガーストライキをしようということになった経緯は?
岡本 「もともと僕が呼びかけた上関原発の中止を求める10代の署名723人分を上
関町長に提出する予定で、町議の方を通してお願いしたら町長と話し合う時間もとっ
ていただけることになり、5人で一緒に行くことにしました。ところが、前日の午後
になって町長の急用でキャンセルになってしまい、役場の職員の方にも受け取っても
らえず、結局町議さんから渡してもらいました。
そのあと、せっかく5人集まったのだから何かアクションをしようと話し合い、僕
がハンストを呼びかけたらみんな賛同してくれました」
小林 「町長さんはこれまで推進派、反対派を問わず話し合いは断っていたそうなん
ですが、OKが出た初めてのケースということで僕らも気合が入っていました。
上関町が過疎化対策のために原発を誘致しようとしていることや、推進したい人が
多いのも知っていたので、上関町がいかに魅力的な所で、もし原発ができてしまった
ら逆に過疎化が進んでしまうということを伝えたかった。過疎化を食い止めるには若
者が来なければならないので、そこで僕たちにできることがあるんじゃないか、町の
過疎化対策で協力できないかという話し合いをしたかったんです」
――なぜハンガーストライキという手段を選んだのですか?
岡本 「まず、原発の負の遺産の影響をもろに受ける若い世代に関心を持ってほしい
という思いがありました。そんな時、COP10で山田さんという方がハンガーストラ
イキを10日間、水も飲まずにやってすごい反響があり、会議場に入れる機会をもらっ
たと聞いて思いを強く訴えられる手段だなと思いました」
小林 「僕と岡本君はその方がハンストされている時、山口にいてお会いしたことは
なかったんですが、海外のメディアにも取り上げられたりして、現場から遠く離れて
いても命をかけて訴えようとしてくれている人がいるんだと、素直にありがたく、う
れしくなりました」
――今回の行動に対して県庁から何か反応はありましたか?
岡本 「4日目に商政課の方から話を聞こうかと言っていただいて、会議室で話をさ
せてもらいました。そこで10代署名を提出させてもらえるか相談しましたが、県の方
針で県外の人からは受け取れないと言われました。
『原子炉設置許可が下りていないにも関わらず埋め立て許可を出しているが、原子
炉設置許可が下りなかった場合、埋め立ててしまった海をどうするつもりなのか』と
質問したら『許可が下りないというのはあまりに具体的でないから考慮する必要はな
い。土地利用計画というのが国で決まっているからそれに沿って許可を出しただけ。
地元の理解とか工事の進め方というのは県は関係なくて事業者がやるべきこと。工事
を取り消す権限などは県にはない』と言われました」
――県の対応以前にハンガーストライキは絶対やると決めていたのですね?
岡本 「広島の20代の会や山口若い衆の会が行った時もそうだし、祝島の人たちの話
も聞いてくれなかった県の対応を知っていたので、これが僕らの思いを伝える一番い
い方法だと思いました。
ただ、職員の中には立場上反対とは言えないけど頑張ってくださいと庁舎の中に入
る前に声をかけてくれる人もいますし、職員の方から敵視を感じたことはありません。
初日はロビーに入ったのですが、総務課の方と話して中でやってはいけないと言われ、
外も敷地内はいけないと言われましたが、絶対にどかないとここに座って・・・1時
間ごとに注意しにこられるんですが、逆に体調を気づかう言葉もかけていただいたり
してます」
県職員の話を聞く若者たち
――塩と水だけで9日目ですが、体調は大丈夫ですか?
岡本 「立ちくらみくらいかな?めっちゃ細くて薄いです、僕ら今(笑)。3日前の
時点で10kg減っていたので、今はもっと減ってると思います」
小林 「尿は出ますが、大便は一切出てないです。近くに一ヶ月半断食した人がいて、
終わったら4日間、しっかりとアフターケアしてくれることになってます。昨日と一
昨日は宇部からお医者さんが来てくれて体調をチェックしてくれました」
岡本 「一昨日は問題なかったんですが、昨日は一人が貧血気味で、僕は赤血球と酸
素の結びつきが弱いと言われました」
――この9日間であらためて気づいたことや思いが深まったことはありますか?
松村 「もちろん、お腹がすいたなっていうのはあるんですけど、苦しいとか、もう
無理とか、そういうのはないです。みんなと一緒にやってて一人じゃないっていうの
があるし。
食べてないと頭の中がクリアになってずっと考えていられます。原発は世界とつな
がっているというのがはっきり見えてきました。はじめは放射能とか温排水とか、個々
の問題しか見えてなかったけど、ケニアに行ったり映画や本で調べたことなども含め
て整理されてくると、日本でできた原発がケニアに送られて、僕が大好きなケニアで
原発事故が起きたらどうするの?って自分の中でつながってきました。(劣化ウラン
が)戦争に使われたりするし、日本だけじゃないよって。
でも、それを伝える難しさは感じます。まずは電気や原発のことを知識として知っ
てもらえたら、やってる意味があるかな。人が変わっていくのが見えるのは楽しいで
す。例えば、一番近くの友だちが、これまで全然知らなかったけど、ハンストがきっ
かけで知ったよって言ってくれるとうれしい。自分の経験にも成長にもなります」
小林 「”食”を見直すすごくいい機会になりました。『玄米先生』というご飯がテー
マの漫画をみんなで回し読みして、料理を想像してはよだれをたらしてます。今、山
口市内のあるお宅に泊めていただいてるんですが、一緒に食事ができないのでコミュ
ニケーションが少ない。食べものがないと上手く話すきっかけが持てないんです(笑)
」
舩水 「原発に関係ないですけど、食べることって相当大事だなって(笑)。お腹が
空いたからとかじゃなく、やっぱり1日の楽しみがないですよね。お昼にあれが食べ
られるからという目標がない。こんなにご飯を楽しみに生きてたなんて、ハンストや
るまで気づきませんでした」
米原 「僕も食の大切さっていうのは以前より全然深まった。食べないと生きていけ
ないな、ありがたいことだなと実感できました」
――ハンガーストライキへの反響はどうですか?
小林 「初日にブログを立ち上げた時点で約2000人のアクセスがありましたが、一昨
日、昨日はそれぞれ13000人を超えました。150万人がやってるブログの中で33位にラ
ンキングされていてびっくりしました。それだけ注目されるとは予想していませんで
した」
岡本 「県知事に考えてほしい、周りの人に声をあげてほしいということだけで始め
たので・・・」
小林 「全国紙に載るといいなと思っていましたが、ツイッターなどネット上の反響
の方がすごいです。激励のはがきやFAXも昨日だけで40通以上届いて合計100通を
超えました。県庁宛てに出されて僕らまで届かなかったものもあると思います」
舩水 「今日は商店街でプラカードを持って座っていましたが『食べなきゃダメだよ』
、『考えなきゃいけない問題だけどハンストっていうやり方はいけない』、『これで
終わりじゃなく地道に解決していきたいね』などと声をかけていただきました。ただ、
声をかけて下さる方はまれですが」
米原 「ハンストをしたことで『そんなに本気なら調べてみます』、『意識してみま
す』と言ってくれる人が結構います。そういう反応はこれまではなかなかなかった。
ブログのコメントにも反応が多いです。賛成、反対を超えたところに可能性があるん
じゃないかな・・・食べてないというのは誰でも共有できるので、それがいいのかも
しれません」
全国から届いた激励のはがきやFAXの一部
――ブログのコメントやツイッターの中にはハンガーストライキについて「他のやり
方があるのでは」とか「体を大事にしてほしい」という意見も多いようですが?
小林 「”食べない”というのはインパクトが確実にあると思うし、何を言われても僕
らが納得しないと終われないので、心配はありがたいですが、けっこう元気なので大
丈夫です。心配とか否定も含めて反響があったのはうれしいです。成人したばかりの
若者たちが食べずにここにいるというだけで周りの人々が動いてくれたというのが」
松村 「無視されるよりいいです。無関心より関心を持ってもらった方が結局はつな
がります」
小林 「やっぱり”食”って人にとって大きいんだなと思います。”原発反対”だけで座
り込んでると賛成の人や何かに反対すること自体が嫌いな人は見向きもしないと思う
んですが、食べないってことに関心を持ってくれる人はいて、商店街を歩いていたら
女子高生に「食べないの~!?」って大爆笑されました。「笑いごとじゃないよ!」っ
て(笑)。そういう風に新しく興味を持ってもらえる要素があるな、と」
舩水 「指摘していただいたご意見には確かに一理あると思います。けれど、今まで
父の活動やイベントを通していろんな方法で日本中にそういう問題意識を広めようと
いう運動を見てきたけれど、そういう場にはいつも見る人や身内が多かったんです。
ハンガーストライキでは、原発のことは知らないけれど『何やってるんだろう』っ
て関心を持って近づいてきてくれる人が多くて、それは他の方法にはないと思います。
捨て身だけど」
米原 「僕も同じようにいろんなやり方を見たり手伝ってきました。もちろんハンス
ト以外にもいいやり方があると思っていて、そこを目指す上での試みというつもりも
あります。あくまで非暴力で訴えたいので、その中では長けた訴え方なのかなと。身
内だけで盛り上がっているように見えるやり方は超えたいなと思っていました。
食べないことっていうのはみんなが共有できる感覚なので、それをきっかけに何に
対してやっているのかということに目を向けてもらえばいい。本気で変えたい・・・
原発というものをみんなで意識して、日本自体の意識を変えたい。それにはやっぱり
命を賭ける・・・大げさじゃなくて、それをしないと変わらないところまでもうきて
いると思っているので。何かを賭けないと動かないし、見えない壁はすごく高いので、
そこへの挑戦であり、本気で言ってるんだよって伝えるための手段です」
――ハンガーストライキが終わったあと、こうしていきたい、というビジョンはあり
ますか?
松村 「メシ食いたい・・・とりあえず(笑)。これが終わったら沖縄に行くんです
が、そこで思いを伝えられる場があるので楽しみです。それと料理がしたいです。今
回のハンストは同じ年齢のメンバーなので、言いたいことを言い合えてゆるい感じで、
どういう風に料理したらおいしいかとかそんなことをよく話しています。
僕自身、変わり始めたのが祝島に行ってからなんです。それまで普通に高校出て普
通に街の暮らしして遊びまくってたんですが、祝島でネイティブな暮らしを見て、ケ
ニアに行ったり、ウォークしたり、ハンストして人に訴えたり。こういう動きになっ
たのもほんの7カ月前からです。
アメリカでインディアンの聖地などを歩く2ヶ月間のウォークにも行く予定です。
自分のルーツみたいなものを知りたい。そういうのを取り戻す時期じゃないかと思っ
てるんです、みんな、一人ひとりが。自然とつながって生きていく・・・もともと日
本人はそうしていたし、もしそういう世界を望むのならルーツを取り戻すことが一番
の近道で、自分がそうなることで周りの人にも影響を与えることができると思う。経
験していきたいですね。トークや映像で伝えていくことも面白いし、ワクワクするこ
とをやっていきたいです。
日本の中のルーツが感じられる場所・・・アイヌの地などにも行きたい。それに触
れることが世界が変わることなんだなってわかったんです。COP10で先住民のグラ
ンマが来日していたんですが、そのグランマが教えてくれたのも「ルーツを取り戻せ」
ってことでした。これから”ルーツ・ムーブメント”が起こるんじゃないかなと思って
ます。先住民に初めて会ったけど、これは日本人にもあるだろって、僕らももともと
こうなんだ、って。忘れてるだけで、ワクワクすることやってたら取り戻せるんじゃ
ないかなって思います」
小林 「僕は梅干しが食べたいです(笑)。桧原村という東京本土で唯一の村で、山
と川しかない所に住んでいるんですが、帰って畑をやるので料理もしたい。ハンスト
してますます畑と料理をしたくなりました。エネルギーも自給自足して、都心から近
いので疲れた人が来たら休んでいけばって感じで」
岡本 「まずメシが食いたい。ハンストで山口の人にいろいろ助けていただいたので、
そのお礼と、ハンストだけで終わりじゃないので、いい運動をしていくためにいろん
な人とつながりたい。支援、応援してくれた人たちとできる何かを探していきたいで
す。上関町は推進、反対で分断されてしまっているけど、ひとつの場で食べ物でも音
楽でもいいから何か共有できるものが作っていけたらいいなと思います」
小林 「ハンスト中だからこその思い付きかもしれませんが、食べるって推進とか反
対とか関係なく人間共通のポイントなので、そういうことから始めたら溝が埋まって
いくかもしれない。祝島や上関の特産物を持ち寄ったポットラックパーティーとかい
いかもしれません」
舩水 「今は仕事してないですけど、いずれにせよ手に職がつくようなしっかりした
仕事をしたいです。上関原発に関することには関わっていきたいです。若い人の話し
合いや原発以外で町を活性化するための話し合いなどにはぜひ行きたい。自分たちに
よくないものを残すまいと思って頑張ってるわけだから、仕事に就いても『忙しくて
できない』と言わずにやっていきたいです」
米原 「自分で決めて生きていきたいです。人に流される行為自体も自分で決めて流
されるとか。言い訳しないで生きたい。
野菜を育てようかな。あとは・・・なにより楽しく、仲間と一緒にやっていきたい。
僕もこちらで何かイベントがあるならフットワーク軽く参加したい。日本の中だった
らすぐ行けるし、現場を見に行くのが好きなので。もうメディアはあまり信用してま
せん。現場を見て、友だち作って・・・そしたらもう自分のことです。友だちのこと
は自分のことだから。そういう風に、自分で納得できるように生きたいです」
プラカードを持つ左から米原、舩水さん
(インタビュー終わり)
30日には社民党の国会議員がハンガーストライキの現地を訪問する予定で、5人は
開始からちょうど10日間にあたる31日の昼ごろまでは続けたいと話している。