いまこそ読みたい)TPP津波と津野幸人さんの「小さい稲作・大きい稲作」
2011/01/23
TPPがさわがれるいまだからこそ読みたい、わが田んぼづくりの師匠・津野幸人さ
んの言葉です。日本の稲作のことを韓国と比較して英語で書きたいという同僚に尋ね
られて探した資料でもあります。
「人すべて大地と関わりを持ち、それを耕さねばならぬのである。」
http://worldfood.apionet.or.jp/report1998/honbun.htmlからの転載です。
表などは省略されているようですが、あらましの文意はわかります。
小さい稲作、大きい稲作
-自由貿易下で日米稲作の共存は可能か-
鳥取大学名誉教授 津野幸人
緒言
最近の三年間にわたってアメリカ・アーカンソウ州で日本品種コシヒカリを栽培す
る農家に住み込み、生産の実態をつぶさに体験してきた。また、これとは別にカリフォ
ルニア州ならびにテキサス州の稲作も観察する機会をもった。北緯35度線以南で水資
源の豊かなミシシッピー河および、その支流であるアーカンソウ河流域では、地下水
利用の設備さえ整えれば、現在の畑地の多くで水稲栽培が可能である。緩やかな勾配
をもつ畑地を水田に転換するには、一圃場区画内に5~10cmの高低差を保つように等
高線を引き、その上に畦(levee)を作る。そして、最高部の区画にポンプ灌漑をし
て、逐次隣接する低位の水田区画に水を流下させればよい。
アメリカでのジャポニカ種水稲の生産は、稲作地帯でも比較的気温の低い北緯35度
を中心に分布しているので、日長時間と気温の面からみて「コシヒカリ」や「あきた
こまち」の日本品種は問題なく栽培でき、さらに登熟期の日照に恵まれているので、
品質・食味共に優れている。日本への輸出拡大が段階的に可能となれば、現在の中・
長粒種水稲から日本品種栽培へ切り替えることはさして困難ではないと考えられる(
表1、図1、表2)。
一方、四国・中国地方の小さい規模の稲作の改善に長年にわたって取り組んできた
私は、それぞれの時期において可能なかぎりの機会をとらえ、小農擁護のための提言
を行なってきた。この延長線上で、小さい稲作(日本)と大きい稲作(米国)との自
由競争を巡る諸問題を論議してみたい。なお、ここで取り上げるアメリカの稲作は、
将来わが国と熾烈な競争が予測されるところのジャポニカ系品種の生産である(表4、
5参照)。
論点をはっきりと御理解いただくために、農業をとらえる基本的な視座をここに記
しておきたい。歴史的にみて、現在ほど人間の精神文化と物質文明が厳しく対立して
いる時代はあるまい。かっては美徳とされた精神の高尚さ、あるいは感性から絶対知
に至る精神の発展(ヘーゲル)などは教育の枠外におかれ、これを口にする人は極め
て稀な日常である。物質文明の高度化すなわち経済発展が促す消費拡大は、人間の生
存環境の破壊に繋がることは理解しつつも、為すべきことの実践、つまり欲望の抑制
に踏み切れないで、徒に閉塞状態を嘆いているのがこの世紀末の世相ではあるまいか。
人間の創った文明が人間を疎外するという矛盾は、やがて新たな文明の発見という
形で統合されなければならない。閉塞された状態からの最良の脱出方法は、聡明な“
fundamentalism(根本主義・原理主義)”への回帰であろう。すなわち、人間が根源
的に精神の悦楽を覚えるところの生き甲斐、倫理の実践、万物との共生、こうしたも
のに高い評価を与える文明が人類の未来に期待されるのである。約一万年の歴史をも
ち、そこに固有のエートスを培ってきた生業形態としての農業は、未来文明への大き
な役割を担っている。小さい農業を大きい農業が食い尽くすという弱肉強食の資本の
論理から一定の距離を保ち、この産業が新たな文明の構築にどれほど貢献できるか、
といった側面からの評価が必要である。また個々の農業技術においても、生産性の向
上はさることながら人間の生き甲斐の確保と環境保全に視野が及ばなければならない。
第1章 日米稲作比較論
1.“資本主義の精神(マックスヴェーバー)”にみられる日米の相違点
a.バイブル・ベルトにおける農業の強さ:プロテスタンチズムの倫理で支えられた
アメリカ農業。ピューリタンはバイブルさえあれば孤独ではない。
無宗教の日本農村:儒教倫理の崩壊で生産倫理の混迷する日本農業。過疎は日本特
有の農民気質、共同体の崩壊とアイデンティティー(家系の継続)の喪失を重くみる。
b.(米)勤勉と節約、利潤は土地と労働手段(機械)に投資で規模拡大を実現。
(日)勤勉と土地財産の保存。婦人の過重労働。前資本主義的経営の稲作。
c.ヨウマン(独立自営農民)からジェントリー(郷紳)さらにはユンカー(農場主
貴族)を夢見る日本農民の挫折。補助金無しには何もできない情況。
企業的ファーマー(借地農民)の道を歩むアメリカ農民、その果てしない規模拡大。
d.キリスト教にはファンダメンタリズムがあるが、日本仏教、神道にはこれが希薄
だ。農民レベルで見たとき両国で職業倫理に大きな相違がある。天職、節約、誠実。
e.農業は日米共に環境への加害者の立場に立ち、市民的環境保護運動に対抗する姿
勢をとる。
2.水田基盤の相違
a.アーカンソウでは田畑輪換農地とイネ専用水田(zero grade field、一区画20~
40ha)に二極分化。ゼロ・グレイド水田は、排水不良で畑作物の導入は断念している。
b.(米)大型機械の走行で心土は硬化、透水性はほとんど0mm/日。
(日)水が豊富なために一定の透水性を確保しようと努力する。
c.田面の均平度:ゼロ・グレイド水田で高低差5cm程度、日本水田3cm程度。
e.(米)農地の基盤整備は自己資本と農閑期の労力で実施。
(日)多額の補助金で実施。
f.(米)ポンプ灌漑であるためコストがかかる。
(日)重力灌漑でコストは少ないが、水路の保守が必要。
3.稲の肥培管理と生理の差異
a.施肥体系は日米殆ど同じ(基肥-分げつ把-穂肥-稀に実肥)だが、米国の日本
品種は倒伏するために低収である。また、除草剤の薬害を受けやすいようだ。
b.本田での農薬防除回数は、無駄な防除をしないのでアメリカの方が少ない。
c.(米)中干し無しで10~25cmの深水灌漑が多い。このために根腐れによる倒伏が
目立つ。
前作のイナ藁(stubble)は圃場で焼却するのだが、降雨があれば未焼却ワラが残る。
次作のときこの分解で土は強還元状態となり、支持根(pegged root)が腐るので倒
伏の原因となる。
d.大型コンバイン収穫では、日本品種の収穫ロスが多い。原因は、倒伏と籾と枝こ
うとの分離が悪い(脱粒性難)ため、穂がワラと共に吹き飛ばされる。
e.(米)収穫初めは籾水分が20%に低下したとき。このため胴割れが多くて精米歩
合(籾→白米)が低い。
(日)約24%で収穫初め。籾→玄米→精米と工程が多い。
f.日本の場合は、必要以上に農薬を散布しすぎる。農協の経営と技術指導のありか
たに再考を要する。
g.(米)幼穂形成期前から葉鞘ヘデンプンの蓄積が多く、出穂期には穂首節まで蓄
積している。日射量が多いためと考えられる。
h.(米)5月上旬に播種すると、8月1日を中心に出穂するので高温期に登熟するの
であるが、品質・食味共に良い。蓄積デンプンに多く依存しているためであろうか。
4.農場労働者の質
a.農業機械の操作
(米)機械の巧みな運転はもとより、保守・整備の能力(旋盤、溶接、部品交換)
が常に要求されるので、この訓練が行き届き熟達している。このため機械の耐用年数
が長い。部品の供給年数も長い。
(日)運転がやっと。農機具に安全性の配慮が希薄であるため怪我が多い。修繕は
販売店まかせ。機械の耐用年数が短い。補助金で購入するため高価な機械を粗末に扱
う。
b.技術や資材の評価能力
(米)数字(科学的データ)を信用し、ムードで動かない。ドライな経営判断が最
優先する。
(日)数字よりもウエットな人間関係(義理)やムードで動きやすい。その一例、
義理立ての農薬散布や農協押しつけの土壌改良資材の使用。
c.大学学部卒業者の質
問題なくアメリカが高い。日本の大学は、単位取得が容易いのでアルバイトやクラブ
活動の片手間で卒業できる。その上、農学部では実践的な教育が少ないので、現場で
役に立つ人材が育たない。実学と技術教育軽視の弊害が顕著である。
5.地域社会の人間関係と自然環境
a.人間関係
(米)教会を中心とした人間関係で地域社会が結ばれている。バイブルが行動の規
範となっている。しかし農業規模拡大のために農村人口は減少し、小学校の廃校が目
立つ。
(日)旧来からの村落共同体的な人間関係で結ばれている。過疎への怖れは共同体
の崩壊が予見できるため。
b.自然環境
(米)現在、稲作が行なわれている地帯は水資源に恵まれているので自然植生が豊
かであり、地形も平坦であるので農地の荒廃はほとんど見られない。しかし、地力そ
のものには衰えが進行している様で、稲作地帯では主作物も地力に対応して棉作→と
うもろこし→大豆→水稲と遷移している。ゼロ・グレイド水田は文字どおり背水の構
えであって水稲が最終作物(last crop)であるといえる。
ここでのもっとも深刻な問題は農薬である。その全てが空中散布であるために戸外
を歩くと危険を感じる。散布時間には人はじっと屋内に潜んでいるか、窓を締め切っ
た車で移動するしかない。しかし、農地周辺の森には野生動物が多く、沼・河川には
魚類が豊かである。散布情況からみて多分、農薬に汚染されていると思われる。
(日)我が国ほど農業が野生動物を駆逐した国は、世界的にみても例が少ないであ
ろう。作物を愛護するのが農薬(くすり)散布だと受けとめる農民心情と、これを利
用して保身を図る農林系官僚技術者・研究者の行動も日本の自然を破壊するのに力を
藉している。国民の環境問題への関心はアメリカよりも薄い、例えばお茶の生産に水
稲への十倍以上の化学合成窒素が施用され、頻繁に農薬が散布されている実態を消費
者は知っているのであろうか。
6.稲作の将来展望
a.米国の稲作
日本の米市場が全面的に解放されるならば、現在の国内市場向けの中・長粒種生産
の相当部分を割いて、日本品種の生産に切り替えるであろう。この方が国内米価を維
持するうえでも好都合である。ただ、現在の日本品種の低収性(主に倒伏と除草剤の
薬害)をどのように克服するかが大きな課題である。しかし、技術的にはさして困難
ではないと考えられる。米国産日本品種の食味は、日本産に較べて遜色はないので、
これが輸入されれば価格面から日本稲作に大打撃を与えるであろう。
この根拠として伊東正一氏の試算結果を示そう。1993年における①;アーカン
ソウ州産コシヒカリ、②;カリフォルニア産キャルローズそして③;中国・黒
竜江省産米の着港価格に関税はゼロとして、通関、保管手数料、国内販売手数量を加
えてそれぞれの10kg当たりの国内小売価格を推定した。その結果は①;2,272円、
②;1,509円、③;1,065円となった(世界のジャポニカ米、食糧振興叢書p163)
。一方、国産米10kgは、4,000~6,000円程度であるので価格競争の結末は明らかであ
る。(注、アーカンソウ産コシヒカリの価格が高いのは、主として精米単収が238kg/
10aと低いために生産コストが高騰した。)
アメリカ稲作での大きな問題点は、次の二点が考えられる。
第一:社会的な面では、隣の農場を包摂する形で規模拡大がなされるので、地域人
口の減少が無視できない状態にある。農村地域の小学校数が半世紀の間で著しく減っ
ている事実は、良質な農場労働者の確保が将来は困難となることが予測できる。
第二:農業機械の性能が良くなる事は、規模拡大を一段と促すであろうが、それだ
けに除草剤への依存度が高まり、これによる環境汚染が間違いなく深刻化するであろ
う(表6)。
いま土壌保全や有機農産物への需要の高まりに応えるために、持続的農業あるいは
代替農業へ熱い視線が注がれている。その一環として不耕起栽培の試みがアメリカで
なされているが、これは輪作の強化で作物残滓量を増やし、その敷き草効果によって
除草剤からの解放を目指すものだが、水田最悪の雑草である赤米の防除には確実な効
果がある。さらに、水田は土壌保全効果が高い(エロージョン防止と脱塩効果)ので、
この面からも評価されるであろう。
アメリカのアーカンソウ州では、全米第一の稲作面積をもち日本品種の生産に意欲
を燃やしている。さらに中国東北地区の黒竜江省では北海道の品種は容易く栽培する
ことができ、企業的大農経営も一部には台頭している。将来、自由貿易が全面的に展
開された暁には、これら外国産の日本品種米が我が国の米市場に押し寄せてくること
は明白である。この時に備えて、わが水稲の生産体質の改善を急がなければならない。
b.日本の稲作
我が国には、全水田面積に水稲を作付けすれば、たちまち米の過剰供給をきたすと
いう事情がある。農業本来の在り方から言えば、余剰水田のみならず遊休農地にはと
うもろこしなどの飼料作物と大豆を栽培して、少しでも食糧自給率を高める努力が必
要である。二十五億トンに達する世界の穀物生産の全量をみて、将来の食糧供給に楽
観的な見方を採る人も多いが、1972年の旧ソ連やアメリカ農産物の不作、そして翌年
のニクソン政権下での輪出制限の事実を、我々は決して忘れてはならない。食糧自給
は一国の主権の確保に深く関わっているのである。
アメリカに対して稲作の規模拡大で立ち向かうのは、近代戦に竹槍を持ち出すよう
なものである。生産理念と手法を「量の論理」から「質の論理」に転換して戦うのだ。
すなわち、「安全性と環境保全」の強化である。このためには、政府誘導ではなく農
民の自力達成でなくてはナショナル・コンセンサスは得られない。そして、これに対
する民間食品関連業者の幅広い支援活動が必要である。
イ、国民の米離れを食い止める、学校給食にはもっと旨い米を提供する。
ロ、安全な食物の供給と環境保全の一体化をうたった有機農業の普及。この分野から
官僚は手を引け。
ハ、有機農業を環境保全管理費で政府は財政的に支援する。アメリカでは除草剤の使
用が不可欠のうえに、ここに大きな問題を抱えている。ここが攻め口だ(表7、8、図
2)。
ニ、農業を大切にするためには、何人も否定できないところの高い理想を掲げること。
“倫理・道徳の経済的適用”これを善くする文明が未来社会で生き残る。
第2章 道徳の経済的適用
緒言
「農業は精神論では救えない」、これはある農業経済学者の講演内容の新聞見出し
である。果たしてそうだろうか!精神論だけでは経営は成り立たないのは自明である
が、むしろ精神論を欠いた資本の論理丸出しの経営理念が日本農業を歪なものとし、
補助金無しでは何もできない無気力なムードを醸してしまったのではなかろうか。前
章では、わが国の零細規模稲作とアメリカの大規模稲作をいくつかの角度から比較検
討した。これは一見両国間の米生産性の比較と受けとめられるかもしれないが、こと
米に関しては我が国の歴史、文化の全域に深く関わる最重要の農産物であって、一農
産物の生産とその国際競争力の比較として捉えるにはあまりにも重い課題を多分に含
んでいる。だが、このことは関係なく現実には完全自由化に向けて米市場を外国に開
いていく政策が採られていることは周知のとおりである。
すでに、国際市場の自由競争にさらされた我が国農産物の運命は、小麦、大豆にみ
られるように極端な自給率の低下で示されている。食糧自給は国家の主権に関わる重
要問題であって、一部の重商主義者が唱える国際農工分業論が国民の多数から支持さ
れているとは考えられない。さりながら、一方では安い食糧を世界に求める消費者の
要望も無視することはできない。しかしながら、我々が未来に直面する食糧問題は、
貿易だけで解決可能な枠組みを大きく超越した事態を視野に入れておく必要があるだ
ろう。たとえば、幾度も指摘されているように、一国内から離れて地球規模の問題に
目を転じると、われわれはエネルギー資源や環境問題が抜き指しならぬ危機的情況に
あることに気付くのである。その環境問題の一環として農地の荒廃や農薬汚染も見逃
すことのできぬ情況にある。これらは現代文明の特質とも言える物財の加速された消
費に基づくものであって、この文明の方向修正なしには解決できない問題である。
結論から先に言えば、二十一世紀においては農耕文明の特質といえる省資源・循環
的物財消費への回帰が図られるであろう。また、そうならなければ人間存在を脅かす
環境問題の解決の糸口は見出だせないのである(図3、表10参照)。いかなる文明も
それを支える精神がある。もちろん農耕文明にも固有の精神があるに違いない。その
精神を遅れたもの、前近代的なものとして排除してきたのが現代資本主義文明ではあ
るまいか。本論では農業生産の背後にある形而上的存在に価値を発見し、それを経済
行為のなかに積極的に生かしていこうという提案を行なってみたいのである。
1.無農薬有機米の選択
三十ヘクタールの水田営農規模といえば我が国では大農のカテゴリーに属するが、
この面積はアーカンソウ州における一枚のゼロ・グレイド水田にも及ばないのである。
農業従事者の質を稲作部門に限ってみても、大型農機具の駆使に長けた農業労働者と
独立独歩の道を歩む経営感覚に優れた経営者、そして、多量の収穫物を迅速に処理す
る一連の貯蔵・加工施設の完備、さらには、ゆるぎない実学の精神に貫かれた農業関
連の研究機関と農家との緊密な連携、どれ一つとってもアメリカの方が我が国よりも
優位に立っている。もし我が国の米市場を全面的に解放された暁には、アメリカ産日
本品種米に国産米が価格のうえで敗退し、稲作農家は苦況に陥ることは今からでもた
やすく予見できる。
これに対する意見をアメリカの米生産者に徴すると、「同じ土俵で競争すれば生産
性の面からみてアメリカが勝ちを制するのは決まっている。日本稲作は、アメリカ産
日本品種米とは差別化できる方向を歩むのが賢明ではないか」と、何人もの口からつ
ぶやかれたのである。また、ある人はこうも言った。「日本から自動車や電気製品を
輪入しなくともアメリカはちっとも困りはしない。だが、かりにアメリカが食糧を輸
出しなければ日本はどうなるだろう」と。世界的な不作年を想定したとき、この発言
を子供じみたものと笑い飛ばすことができようか。では、一体どのような方法で差別
化(特殊化といってもよい)を実現すればよいのか。この具体的な提案を競争相手に
期待するのはまさに愚の骨頂である。我々は食糧自給率の向上を念頭に置きつつ、衆
知を集めてまず日本の稲作を守る方策を見出ださなければならないのである。
すでにみたように、同一品種の白米で外見と食味が等しければ、消費者は安いほう
を選ぶのが当然である。これを食い止めることは誰にもできない。国産米が価格競争
で生き残るためには、外国産日本品種米よりも何等かの点において優れた特質を持た
なければならぬ。この優れた特質を付与することを特殊化と呼ぶならば、いま最も消
費者に受け入れられている特殊化とは食味の良さか安全性の何れかであろう。この二
つを兼ね備えた米ならば、十分に外国産米よりも高価格で太刀打ちできる。現に国産
米の中においても際立った高値で取引されているのは無農薬有機米である。用語の煩
雑さと正確を期するために、いわゆる無農薬有機米を有機農業米と呼ぶことにすれば、
この米を生産する意義、すなわち「食の安全性」と「国土の環境保全」を消費者に訴
え、それに見合う対価を通常米価に上乗せする方向を選択するのが妥当であると思わ
れる。
最近、環境庁が発表した内分泌攪乱作用を有する(環境ホルモン)と疑われる化学
物質67種類のうち、農薬として使用されているものは実に44品目に及び、その内訳は
殺虫剤27、除草剤10、殺菌剤7である。この他に使用されている農薬はおそらく数百
種類をこえるであろうが、環境庁があげた44品目以外は安全だというわけでは決して
ない。事実、史上最強の毒物といわれるダイオキシンについても1970年初頭では、そ
の毒性を知る日本の化学者はきわめて稀であった。私の学生時代の昭和二十年終わり
では、いまや危険な有機塩素系農薬として人ぞ知るBHCは、人畜無害であるから一
摘み米俵に入れるとコクゾウムシがつかないと農薬学の講義で紹介されたものだ。農
薬に限らず現在商業的に生産されている化学物質は約十万種あるといわれる。たとえ
製品として問題はなくても分解過程で生成する毒物-例えば塩化ビニールの焼却で発
生するダイオキシン-に想いを巡らすとき慄然とせざるをえないのである。
すでにみたようにアメリカの稲作は、大型農機具と農薬なしには成り立たない。こ
の点、我が国は小回りの利く小農稲作がほとんどである。表11は近未来における日本
農業の類型を示した(拙著、小さい農業、1995農文協刊)ものであるが、表の番号1
にある定年退職者の帰農が目立ってきたのも昨今の現象だ。農水省の夢想する大型稲
作は平坦部でしか物理的に展開できない。起伏の多い地形で谷間に作られた日本の水
田は、有機農業一色で塗り潰すほどの決意で国際間米戦争に望まなければ勝ち目はな
い。
2.有機農業米の生産を阻むもの
a.官僚技術と有機農業
有機農業を提唱し、それを全国組織の有機農業研究会(1971年発足)に育てられた
一楽照雄さんが、「苦労して自分達民間でやってきた有機農業を、欧米で実績が上がっ
てきたので、これまで水を差していた役人が自らでコントロールしようとする動きが
ある」と、以前に私に憤慨されたことがある。その後の経過の一端はこうである。
農林水産省は「環境保全型農業推進本部」を設置し、平成6年4月「基本的考え方を
公表」。「全国環境保全型農業推進会議」を結成し、熊沢喜久雄氏が会長となる。こ
の事務局は、東京都千代田区大手町のJA全中農業対策部営農課内に置かれた。そして、
この「会議」は、「環境保全型農業推進憲章」づくりに向かって動くのである(平成
8年2月27日第5回会議)。「会議」の設置趣旨では、・・・生産性との調和などに留
意しつつ、土づくり等を通じて化学肥料、農薬の使用等による環境負荷の軽減に配慮
した持続的な農業(環境保全型農業)を全国的に推進していく必要がある。と、うたっ
ている。憲章素案では環境に対する負荷を極力小さくする、ことが打ち出され「人と
自然にやさしい農業」を目指している。一楽氏の危惧のとおりに、有機農業本来の化
学肥料と農薬とから絶縁するのではなく、生産性との兼ね合いで環境負荷を減らそう
というのであって、有機農業本来の意義は見事に美辞麗句でぼかされてしまっている。
各県の農業研究機関の動きも中央の意向を汲んで、「生態系活用型農業における生
産安定技術」の確立に取り組んでいる。これは、農水省技術会議の助成事業として実
施されており、水稲栽培の内容は減農薬・減化学肥料であって、あくまでも収量水準
を慣行(化学)農法並みに保つのが基調となっている。私にとっては甚だ不本意なこ
とだが、完全無農薬を目指して完成した水稲の再生紙マルチ栽培も、官僚研究者・技
術者の扱いでは減農薬栽培という形でマニュアルが作られ、元肥が有機肥料で農薬散
布回数は1~2回の減少という程度である。これではお茶を濁していると非難されても
致し方なかろう。消費者は、化学肥料と絶対的に農薬を使わない米を望んでいるので
あるから。
こと水稲に関しては、完全無農薬・有機栽培で毎年安定した収量を上げている農家
は数多く存在している。ただし、収量水準は500kg/10a内外だ。あと100kg多く取ろう
として病気や害虫にやられてしまう。試験研究機関の成績は、有機農法と慣行農法の
一作だけの収量を比較している。一楽照雄氏が有機農法あるいは有機栽培ではなく、
「有機農業」という名にこだわったのは、単なる一作物・一作だけの収量ではなく前
後作を通して輪作農法的に土を豊かにし、また畜産部門との結合を通して土を肥やし
て、その反映として安全な食物を得るという農業本来の形を頭に描いておられたから
である。
なお是に私見を付け加えれば、有機農業における技術の本質は、たくさんの収穫物
を取ろうとするのではなく、限度一杯に取ろうとする欲望を抑制して、控えめな収穫
物を農地から戴くところにあると思う。有機農業、自然農法の成功者の事例からも、
また私自身の経験に照らしても、抑制こそ技術であると結論できるのである。この点
において、「農家のため」を標榜して生産性を強く意識する官僚技術と、「抑制」で
もって安全性を追求する覚めた民間技術との隔たりは大きい。
有機農業に関して生産性信者の官僚技術者は、そっと見守るだけでいてほしいもの
だ。ついでながら言えば、自然生態系を活用しない農業は植物工場くらいのもので、
少なくとも農地を利用する農業では生態系の活用無しには存在できないのである。こ
とさらに生態系活用型農業と言うのは、慣行農業が生態系を破壊していることを意識
して名付けたのであろうか。それならば命名者にブラック・ユーモアの才ありとして
万斛の敬意を表さなくてはならぬ。
さて、有機農業は抑制を基本技術とすると言ったが、その根拠をここで説明してお
こう。農業一般の法則として収穫逓減の法則が存在することが広く認められている。
これは、生産資財の投入量(x)を横軸に、そして収量(y)を縦軸に取り、その関数
関係を求めると、
y=A(1-e-ra)…………………(1)
上式で示される。ただし:Aは最大値。rは増加率。aは投入量。
すなわち、最初の投入資財1単位の生産効率は高いが、投入を加えるごとに効率は低
下して、最大値Aに近づいていく。(1)式を図示すればAを漸近線とする直角双曲線
のような形となる。投入量aを大きくしてもある上限値A(収量)は多くならないとい
う内容である。
なぜ、このような法則が広く存在するかといえば、成長を量的に支配する資源量(
S)が一定空間で有限であり、これをそこの空間内に現存する生物個体の総細胞が分
配しているからである。
一般に、生物の個体数あるいは細胞数(N)の初期増加は、次のとおりに示される。
N=nert ……………………(2)
ただし:rは増加率。tは時間。nはt=0における個体・細胞数。
したがって、時間が経つにつれて指数関数的にNは増大するが、個体あるいは細胞
に分配される資源Sは一定であるから次のとおりに減少する。
S/N=S/nert ……………(3)
S/Nが減少すれば細胞の活力は衰えて老衰から死に至るのである。(3)式で示され
る関係が自然界を支配しているために、生物集団が過度に増殖すると、やがては全体
が死滅に至ると考えられる。
(1)式を水稲にあてはめて具体的に説明する。もし投入資財がチッソ肥料であれ
ば最高収量Aに近付くと効率が落ちるばかりではなく、生育状態が過繁茂となって病
虫害の抵抗力が低下するので、農薬散布が必要となるのである。さらにチッソを投入
すると収量は最大値Aに達したのち、防ぎきれない障害のために激減していく。化学
肥料ベースの慣行栽培は、成長についての最大の制限因子であるチッソを容易く補給
することができるので、初期生育を旺盛にすることで多くの籾を確保できる。いっぽ
う茎葉も大きくなり、その活力を保つために継続的にチッソを与え続けなければなら
ない。このように慣行稲作は最高収量を巡っての危険な綱渡り(肥料施用)を毎年繰
り返しているのである。それ故に、農薬なしでは生産が不安定となるわけだ。生産を
安定させるのは至極簡単で、チッソ肥料を減らせばよいのである。だが、これまで増
産一点張りで農家の信頼をつないできた官僚技術者からは、「収量を落として安全に
イネを栽培しましょう」などとは絶対に言えない。ここを察して従来の感覚をもつ官
僚(JAも然り)は、有機農業の分野からは手を引きなさいと勧告しているのである。
しめくくりとして最高収量Aをめぐる問題を整理しておきたい。戦後しばらくは朝
日新聞社の音頭とりで、かなりの年数をかけて稲作日本一競技会が全国規模で行なわ
れた。この最高記録は、天候に恵まれた年で玄米1000kg/10a内外である。なぜ、この
辺りに現在の日本品種の収量限界があるかという点を考察する。
玄米単収1000kgといえば平方米当たりでは1000グラムであるから、玄米1粒を22ミ
リグラムとすれば45,455個の玄米がなければならない。現実には全部の籾に完全な玄
米が実るわけではなく、最高にみても90%の籾に市販できる玄米が実る。それゆえ、
1000グラムの玄米を得るためには最低限50,505個の籾が用意されなくてはならぬ。こ
の籾に玄米が充実するためには葉の光合成によるデンプン生産が必要で、これには穂
が出た時期に籾1個当たり1.5~2.0cm2の葉面積を持たねばならない。この葉面積を50
,505個の籾に掛け算すれば、平方米当たり7.58~10.10平方米の葉面積が必要となる。
一方、イネ群落の最適葉面積は、我が国での好天侯のときで7平方米(土地1平方米当
たり)とされている。葉面積10平方米では過繁茂となり倒れてしまう。そこで、葉面
積を7程度に抑えておいて、その光合成能力を高めるために穂揃期からチッソをたく
さん吸収させるのが多収穫技術のコツとなる。このため、多収穫された米はチッソ濃
度(蛋白含量)が高まるので食味低下の大きな原因となる。
平方米当たりに5万個の籾を確保するには、生育の早い時期からチッソをたくさん
イネに吸収させる必要がある(図9参照)。チッソ肥料を効かせて多収穫を狙うイネ
作りでは、常に稲体のチッソ濃度が高いために-倒伏防止のため幼穂形成期にチッソ
を抑制することもあるが-稲体は軟弱で繁茂度が高くなる。そこで農薬散布が不可欠
の作業となるのである。技術指導にあたる諸先生方は、上の原理はよく理解されてい
ると思うが、JAの要請で思い切った資材節約による安定稲作に踏み切れないのが現実
の姿と推察する。さらに、農法的な発展策が見出だされぬままに、休耕田や荒廃農地
が日を追って増加する現実を前にして、ともすれば無気力に傾く気持ちも理解できる
が、有機農業に水を差す行為を屈託した気持ちのはけ口とすることだけはごめんだ。
環境保全型農業の推進の流れを受けて、官僚技術者のなかにも有機・減農薬を指導
する動きもある。この時、畜産から出てくる糞尿を未熟なままで水田に投入すると、
表土層低部の土壌溶液ではアンモニア態チッソ濃度が化学肥料(化成肥料)を施した
場合よりも著しく高まることがある(図6)。これでは必ずといってよいほどイモチ
病がでる。そこである程度の農薬は絶対に必要だと、農家に向けて宣伝するのだ。地
力は全面的に士壌に含まれる有機物と土壌の粘土特性が関わっている。粘土特性も良
質な有機物の施用でカバーすることができる。しかし、毎年1トン/10a程度のイナ藁
還元では炭素含有率(有機物量)の増加は0.02%程度で、水田に4トン投入を15年続
けてやっと0.0124%の増加でしか過ぎない(図6)。一方、アフリカ・ザイールの熱
帯雨林での休閑年数と炭素率との関係を図5で示したが、これは図6とは桁違いに大き
な増加を見せている。このように土壌有機物を増やすには自然生態系の力を借りるの
が最もよい。だが、連年耕作する常畑では、適切な輪作と完熟堆肥の施用が望まれる。
未熟なC/N比の高い堆肥を田に施すと、それが分解する過程で根に害を与える。表12
はC/N比が低くてチッソの多い泥土を連続無肥料田に客土したときの収量の変化をみ
たものである。収量は270kgより一挙に550kgと驚異的にふえたが、その翌年は土壌チッ
ソの減少で350kgに低下した。これらの事実は、有機農業の展開にとってきわめて示
唆に富んでいる。
数千年の歳月をかけて、無数の試行錯誤の結果により導かれた伝統農法は、図4で
示すごとく、自然の営為を人間が代行しているのである。人間の役割は、自然の営み
の時間を短縮しているに過ぎない。この自然と人間との関係を有機農業の根本に据え
なければ枝葉末節の迷路に踏み込み、果てしない空疎な議論と出口の見えないトンネ
ルのなかを有機農業は彷徨うであろう。さらに農業の永続性を保つためには、自然に
ついての深い洞察と、自然に害を加えるところの技術を断固として排除する勇気が必
要である。
b.多収穫の呪縛にかかった自然農法
いま「有機農業」の実施者の中には肥料だけは有機肥料で、農薬は最低限使用して
いる人もいる。完全無農薬の人からみれば、それを有機農産物として出荷されたので
は詐欺に等しい行為だと憤慨するのも無理からぬことだ。だからといって、公的機関
や役所の権威にすがって認証制度を求めるのはあまりにも早計である。これは後で論
議するとして、ここでは完全無農薬・無化学肥料栽培を標榜している「自然農法」を
とりあげて検討してみたい。
数のうえからいって、いわゆる「自然農法」を実施している人の多くは世界救世教
の信者である。これはこの教団の創始者である岡田茂吉教祖が当時の大日本観音教・
教団本部の置かれた玉川郷(東急大井町線上野毛駅の近く)の庭で昭和11年(1936)
より同14年まで自給菜園で野菜作りと養鶏を行なった結果から「神示の農法」に到達
した。要するに、「人間に対する医療に行き過ぎや過ちがあるように、従来の農法に
も自然を無視した誤謬が潜んでいることを見届けたのである。すなわち、金肥、人肥、
きゅう肥、などの肥料や農薬が、作物や土に害毒を及ぼしたり、病虫害の原因になっ
ていること、さらに、その肥料や農薬が人体や家畜の健康に大変な悪影響を与えるこ
との具体的な裏付けを得たのであった。」(東方の光、下巻p141)。こうして昭和17
年より水稲にまで無肥料栽培の実験を広げた。さらに、箱根の強羅に転居したのちも
実験を続けた。
本格的な普及活動の開始は戦後の昭和23年からである。その年の12月に機関誌「地
上天国」誌では「無肥料栽培」と発表されたが、同25年(1950)にこの新農法の名を
「自然農法」と統一したのである。名はともかく農法の内容を岡田自観著「無肥料栽
培法」(日本五六七教会発行昭和24年p94)より抜いてみると、「前述のごとく金肥
及び人肥は必要としないが、天然堆把は大いに利用する必要がある。それに就いて述
べよう。あらゆる植物を成育させる場合もっとも肝腎なことは、根の未端である。毛
細根の伸びを良くすることであって、それには土を固めないようにすることである。
堆肥はあまり腐らせ過ぎると固まりやすくなるから腐れ位がいい。草葉の堆肥は早く
腐食するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから長期にわたって十分腐食させるべ
きである。」このようなやり方での「実験報告」が同書のほぼ80%に及ぶ16~90頁に
載っているが、大部分は増収効果があったという記事だ。最後に、神農生(教祖)の
感想として「要は、汚穢のない最も清浄なる土壌であらねばならない。それによって
驚くほどの効果を挙げ得るのである。故に無肥料栽培が全国的に行なわれるとすると
すれば五割の増収は容易であり、農民の収入は現在の倍額となり、労働時間は現在の
半分で済むことになろう。」と結んでいる。
その後、昭和28年に刊行された岡田茂吉著「自然農法解説」(世界救世教発行)で
は、畑作は枯草、落葉で、稲作はワラをできるだけ細かく切って、土によくねり混ぜ
れば良いとしている。ただ気になるのはこの本の表紙に「実績報告五十三例掲載。金
肥人肥を使わず、五ケ年にして五割増産確実」と印刷されている。この教団の忠実な
信者は教祖の示した方法を真剣に守ってきたのである。岡田茂吉教祖は、医療の薬害
を体験したことから近代科学と唯物主義に疑問を抱き、霊を浄めることで病気を直す
という教団を育てた。その延長線上に土を浄めるということを根本に据えた自然農法
を提唱したのである。
私が初めて世界救世教の自然農法に接触したのは昭和56年であった。この時の鳥取
県での自然農法稲作のイネの姿は惨めな状態であった。一言でいえば、雑草発生を防
ぐために深水灌漑をしており、このために根腐れに犯されていた。したがって、慣行
稲作では滅多にみられない胡麻葉枯れ病が随所にみられ、典型的な秋落ちイネがほと
んどであった。そのなかで、鳥取市周辺の伝統農法であったヨシの刈り敷きでのイネ
作りは、すばらしい出来栄えであった。そのイネの美しさに魅せられて私も自然農法
稲作の研究を始めたのであった。研究結果の一部を示せば、自然農法といえども慣行
農法と同じ収量成立のルールにしたがっており、前項で延べたチッソ吸収と籾数との
関係は図9のとおりに、見事に同じ回帰線に乗る。また、ヨシの刈り敷きなどで地力
を強化した自然農法の田では、地力を高めた上で化学肥料の追肥を多く施した田と同
程度の収量を上げていた(図10)。
合計十四年にわたって大学の試験水田でワラに米糠を混ぜた堆肥、それに菜種油粕
の追肥という内容で自然農法稲作を行なってきたのだが、その間に病虫害に悩まされ
たことは一度もなかった。試験結果と自分の観察から導いた結論は、表13で慣行:有
機を対比したとおりに、小振りなイネを育てて稲群落の風通しと、下葉にまで太陽光
線が当たるようにすることである。すると、稲体の珪酸含有率が高まって(図8参照)
、イネは病虫害に対する抵抗性が高まるという筋道が見えてきた。問題は、収量を慣
行稲作よりも低く抑えることだ。(注:下葉にできるだけ光が当たるように育てれば、
小型のイネとなり、穂数が少ないので減収となる。ただし、地力があれば実入りがよ
くなり、食味も向上する。)とはいっても、これを実行することは容易ではない。即
物的な技術の問題ではなく、窮極すれば精神・心の在り方の問題となる。
その当時、無農薬で稲作ができるとはどうしても信じられなかった。しかし、信者
のイネ作りの実態がわかるにつれて、世界救世教の自然農法稲作だけは無農薬・無化
学肥料という点では本物であることが納得できたのである。戦後の食糧難時代には低
収のために米の供出に苦しみながらも、教祖の示した農法にしたがえば必ず増収する
と信じ切って、ひたすらワラを刻んで田に施すだけでやってきたのだ。世間から嘲笑
を浴びせられながらも、この人たちが無農薬・無化学肥料でも稲作はやれることを実
証したのである。しかも、低位収量ばかりではなく、それぞれの土地の伝統農法を積
極的に取り入れた少数の信者は、慣行農法並みの収量を上げている。
しかしながら、自然農法提唱当時から付きまとう増収信仰は、依然として現教団に
引き継がれている。過去の経過を冷静に分析すれば、低位収量で満足すれば虫にも病
気にも犯されないという法則が導かれるはずである。そして、欲を制するという行為
を習いとすることが、宗教の究極目標とも矛盾しないものであることを悟るはずであ
る。しかるに、現状では有効微生物利用農法、あるいは化学肥料に近い高濃度の肥料
成分を含む資材の利用でもって増収を図ろうとする動きが強まってきた。農法をとお
して精神の発展を期すという、農業本来の意図とは大きく隔たったところに低迷して
いる状態である。
世界救世教の自然農法には増収への傾斜が濃厚に認められるが、おなじ自然農法を
名乗る福岡正信氏の書物も自然農法の増収効果が歌い上げられている。その一例だが、
福岡「自然農法」で10a当たり7石(1050kg)取れたという(「緑の哲学」p293)。同
氏とは郷里も同じで、昭和42年以来その水田作を注目してきたのであるが、田全体が
揃って高収量を上げた光景にはお目にかかったことがない。部分的によい生育の場所
を示して多収穫の可能性を強調される。それを信用して福岡農法を実践し、かつ多収
穫に失望した人も多いはずだ。
福岡氏は、さかしらの科学知を乗り越えて、自然に任せるならば増収すると説く。
多分に中国の老荘思想を受け入れておられるようである。が、老荘が自然に任すとい
うのは、人間社会の俗事を超越して、心の自由を自然の原理すなわち「道」に任せきっ
ているのである。こと世俗の生業については体を労することを宿命と認め、生業の業
の巧みさには称賛を惜しまない(たとえば包丁使いや車輪作り、「荘子」岩波文庫)。
なお心の有り様として注目すべきは荘子・外編十一にある次の物語である。これは
工業文明にどっぷりと浸かった我々に心地よい清涼感を与える。孔子の弟子である子
貢が旅をしたとき、深井戸から水を瓶にいれて担いで上がり、孜々として畑に水をやっ
ている男をみた。そこで、子貢は跳ね釣瓶の便利なことを縷々と男に説いて聞かせた。
その男曰く、「機械(からくり)ある者は必ず機事(からくりごと)あり、機事ある
者は必ず機心(からくり心)あり。機心、胸中に存すれば、即ち純白(純真・潔白)
備わらず。」純真・潔白なものが失われると精神が安定しないから跳ね釣瓶を使わな
いのだ。という答えに子貢は驚いて、仕事に成功を求めたり、骨折りを惜しむ心で本
質を損なう、ことを恥じたのであった。この純白の心を尊ぶ姿勢は長く漢民族の伝統
として保たれ、あるいは形をかえて儒教の至誠を尊ぶ精神として漢民族の倫理を形成
するのである。
自然農法を批判する官僚技術者の論点は、一にかかってその低収性と不安定性であ
る。収量を低く抑えることと安定性は一体化したものである点に目が及ばないのであ
る。また自然農法実施者も増収の虜となり、いかがわしい資材に飛び付いて資金ばか
りか貴重な心を失っている。増収信仰から自由となり、永続的な伝統農業に規範を発
見していくのが最もまっとうな有機農業の進め方だと私は考えるのである。
2.代替文明の必要性
a.代替農業について
アメリカ農業は、1980年代に色々な意味で大きな転機を迎えたといわれている。こ
の年代の半ばには作物価格や土地評価額が下落すると、多数の農場や地方行政の財政
が悪化して、20万戸以上の農場が破産した。86年以降は主要農産物の価格が上昇した
ことと輸出の増加によって農家経済は回復をみた。しかし、一方では農業生産による
環境汚染が抜き差しならぬところまで進行していることに気付いたのである。たとえ
ば、農薬汚染、化学肥料ときゅう肥がもたらす地下水の碩酸塩汚染、さらに食品中の
抗生物質や残留農薬問題など、深刻な問題となってきた。そこで、現在の主流である
工業的・資源浪費型農業に替わりうる農業(Alternative Agriculture,代替農業)
を探索・調査するいくつかの委員会が設置された。そのレポートでは、「多くの農民
が、経営コストと環境に対する悪影響を軽滅するための手段を講じてきていることを
みた。………… このように代替手段を取り入れた農民は、自然の過程や農地内の有
益な生物相互作用をできるだけ利用すること、農外からの投入資材を軽減すること、
そして経営効率の改善することなどに努めている。」ことに着目して、その科学的根
拠と経済的評価を行なっている。(「代替農業」久馬一剛ら監修、自然農法国際研究
開発センター、1992)。これによれば代替農業の殆どは伝統農法の成功例に学び、そ
の原理を活用しているようである。
アメリカにおける代替農業の探求は、環境保全と土地の長期的利用という経済観点
の両面から冷静に計画・提案されたものであって、これに較べて我が国研究者の一部
が取り上げている不耕起栽培の動機には理解しがたい一面がある。その理由は、輪作
を意識しないイネ単作の不耕起栽培では、たんに流行を追ったところのアメリカ流の
真似事ではあるまいか。これを地に着いたものにするには、小麦、大豆、水稲といっ
た輪作体系を等閑にしてはいけないのである。
伝統農法のなかから優れた技術なり、技法を発見して、それを時代に生かすという
やり方は、すでに今世紀のはじめにイギリス人、アルバート・ハワードが見事なお手
本(農業聖典)を示している。かれは、私の新しい教師はインド農民と、彼らを悩ま
せる病害であった(有機農業、p21)、と述べているように、通気性がよくかつ有機
質含量が高い土壌には病害が見られなかったという事実から啓示を受け、中国農法に
ある農場廃棄物の堆肥化のインド版を工夫したのである。この簡便な堆肥製造法を19
30年代のインドで普及させた。
中国農法がヨーロッパで注目されたのはF.Hキングの著書「四十世紀の農民」によ
る紹介で、この中の数百の写真がとくに関心を呼んだらしい(J.Iロデル「有機農業」
一楽照雄訳、協同組合経営研究所、昭和49)。すでに幾度も書いたのでくどくは言わ
ぬが、伝統農業に学ぶこと、「温故知新」がいつの時代にも必要である。
b.重商主義から重農主義へ
ご承知のとおりに、現在の日本経済は不況のさなかにある。これから脱出するため
にGDPのうちで最大の比率を占めるところの個人消費の拡大によって、景気を回復し
ようとする強引な経済政策が採られている。端的に言えば浪費の奨励だ。しかし多く
の国民はバブル景気という消費エラーの反省に立って、自らの生活スタイルそのもの
の再点検を行なうという動きが目立ってきた。これに連動して注目すべき意見「足る
を知る21世紀の資本主義へ」が飯田経夫から雑誌(This is読売、平11、2月号)に発
表された。その一部を要約すれば、個人はもはや買いたいものは何もない飽食の状態
にある。これは貧困からの脱出という長年の国民の目標が完成域に達したのであって、
足るを知るという喜ぶべき境地に立ち至ったのではないか、とするものだ。消費拡大
による経済発展を至上とする資本主義の在り方への疑問をなげかけたものであるが、
これが今日すんなりと共感を以て我々の胸に落ちる背景には、物財の無定見な浪費が
地球環境の破壊につながる事を、大衆が肌で感じるようになったからである。
いまや世界の目覚めた消費者は節約とシンプルライフは苦役ではなく、むしろ知的
満足感をもたらすところの価値ある生き方として選択され始めた。さらにはデンマー
クのように浪費なき経済成長を追求する国家も現われた。74年の石油危機に直撃され
たこの国は、国家目標をエネルギーの自給率を引き上げにおき、化石燃料にも原子力
にも頼らないで、風力、太陽、バイオマス燃料の利用を行なう基幹産業を興した。こ
の結果、74年当時の一次エネルギー自給率1.5%から十数年を経て50%台を大きく超
えるまでになった。二十一世紀に向けて個人レベルでも国家レベルでも、全ての分野
で既存モデルを超えた新しいモデルが模索されているのである。こうした時代のうね
りの中で我が国の農業の行く手を模索しなければならないのである。
我々の精神文化が最も大きな影響を受けた中国の歴史をみても、覇権主義の帰結と
して権力者(統一国家の帝王)は、必ず宮廷貴族と共に浪費に走り、税収を伸ばすた
めに重商主義の政治を行なう。その結果人身が離れて乱世となり、それを平定して覇
者となった皇帝の行なう政治の始めは重農主義である。やがて貴族による浪費が重商
主義の時代を求めるという図式の繰り返しである。
いま、重農主義が顕著にあらわれた年代を見ると、B.C 202年前漢の成立、589年隋
の中国統一から唐初期まで、1386年明の成立、それから1949年の中華人民共和國の成
立当初もこれに加えることができるだろう。現代は工業化社会あるいは情報化社会と
いわれるが、経済発展を至上価値とするかぎりでは重商主義といえよう。
すでに本論の文脈から察せられるとおりに、来るべき時代は重農主義の濃い文明に
人々は価値を認めるであろう。浪費をつつしみ物質文化よりも精神文化に意義を発見
する時代を期待するのである。それが具体的にはどういうものであるかを示すために
有機米をとりあげてみたい。
ここで言う有機農業米とは、もちろん完全無農薬で有機農法によって生産された米
を指す。この生産にあたっての技術的問題はすでに触れたので改めて問題としないが、
順序として検討しておきたいのは、安全性とか環境保全という経済外的要素を固定的
に商品の価格体系に組み込むことが可能であるかという問題である。端的に言えば、
同じ品目の二つの商品を並べたとき差別化された形而上(metaphysical)部分に消費
者が価値を認めるか否かにかかっている。商品を単なる物財としてみたときは、計量
される物財の効用について貨幣で以て対価が支払われるのが市場交換の原則である。
ここでの主題である米を物財以上のものと認識する-形而上的価値を認める-例とし
ては、神社の配る御神米を挙げれば適当であろう。これを有り難がるのは神の権威に
裏付けされた呪術性に単なる物以上の価値を認めるのである。しかし、一般的価値と
はいえない。
少なくとも有機米の価値は、物に安全性が付加され、かつこれへの対価には環境保
全という形而上的価値が知的に認識されねばならない。さらにいえば、それが生産者
と消費者との文化的連帯を促す。始めは生産者の生活スタイルへの共感が消費者に生
まれる。お互いに顔の見える消費者と生産者とはそういった文化的関係なのである。
もっと言葉を足すと、生産倫理と消費倫理との結合が有機農業を支えなければならな
い。これが未来の農業を支えてくれると信じたい。農業者は、文明のアイデンティティ
ーとしての基底文化を堀り起こし、それを今日にまた未来に開示していく。ここに農
業の役割があり、その手段がとりも直さず道徳の経済的適用である。
3.道徳の経済的適用
食糧の様な人間生存の基本財についても、その生産動向の未来予測はせいぜい十年
が限度であろうと専門家は言う。はなはだ言い古されて月並みな論の設定であるが、
我々の未来には気候変動、環境汚染、資源枯渇そして戦争など推定不可能な要因が多
いのである。現在は民族主義の対立による小規模な戦闘が行なわれているが、将来は
新たな大戦争勃発の可能性も否定しきれない。たとえば、サミュエル・ハンチントン
によれば冷戦が終了しても国際間で対立がなくなるどころか、むしろ文化に基づく新
たなアイデンティティーが生まれて文明間の対立が生じているというのである。
つまり、人間は自己の利益を追求するうえで、合理的な行動をとる前に、まず自身
を定義付けなければならない。そうした自身の定義付け、つまりアイデンティティー
としての文明が相互間の紛争につながるというわけだ。かれは文明を西欧、中国、イ
スラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテン・アメリカ、アフリカそして日本の八つに分類
する。そして、世界に西欧民主主義という普遍的な文明が広がるという考えを排して、
将来は中国文明とイスラム文明の勢力が拡大して、儒教-イスラム・コネクションを
形成し、これが西欧に敵対する構図が出現する。やがて日本も中国と組んで西欧対非
西欧という対立構図の一翼を担うだろう、と予言する。(文明の衝突、鈴木主税訳、
集英社)。
よく知られるようにこの説は世界的なセンセーションを呼び起こして、さまざまな
論議を生んだ。ここでお断わりしておくが、戦争、気象変動などの不確定要素をあげ
て、我が国の米を守れ、とか食糧自給率を向上しろとかの論を展開しようとしている
のではない。だれの目にも明らかな工業文明による環境破壊の実態を見据えて、この
劣化した環境を修復しながら食糧生産の永続性を図ろうという文脈で論を展開してい
るのである。
西欧対非西欧の対立構図はともかくとして、いまの世界すべての国でそれぞれのア
イデンティティーを求める気運がたかまり、固有の文明を意識し始めたのは確かに感
知することができる。ハンチントンは、宗教は文明を確定する中心的な特徴であり、
「偉大な宗教は偉大な文明を支える基礎である」(クリストファ・ドーソン)と、と
らえた。彼の八大文明に宗教を対応させれば、西欧:カトリック、プロテスタント混
淆地域、中国:儒教、スラブ:東方正教会、ラテン・アメリカ:カソリック、となる
がアフリカと日本に対応する宗教をしいて探すとなると、両者に共通するのはアニミ
ズムであろう。だが、アフリカ宗教はいざ知らず、我が国の場合は神道・仏教・儒教
が完全に混淆した多元的融合宗教とでも言えるかもしれない。この歴史をさかのぼれ
ば、わが国が本格的に大陸文化を受け入れたのは隋・唐の時代であることは広く知ら
れている。この時、中国大陸では儒、佛、道の三教一致の時代であった。三教一致の
思考が伝えられて、わが国の知的風土の中では道教の色彩が弱まり、その代わりに神
道が融合したものと考えられる。後述する二宮尊徳は、自分は神儒佛を丸薬にして飲
み込んでいる。その匙加減は、神道一匙、仏教、儒教それぞれ半匙といっている(二
宮翁夜話)。
さて、本論で問題としているアメリカ合衆国は、その歴史的成立の過程から分かる
とおりに、神に対する信仰は、秘跡などの制度やそれを司る司教の仲立ちによらない
で、個人それぞれが聖書に書かれていることをのみ絶対的に信じるというプロテスタ
ント(新教)の勢力の強い国である。そのなかでも中・南部の農業地帯は、職業労働
への献身を神による召命と解するピューリタン(清教徒)の多い地域である。彼らと
日常を共にして感じたのであるが、勤倹、勤労、そして教会や社会福祉への献金(推
譲)は、まさに二宮尊徳が説いた農村振興運動そのままのものであった。
この清教徒と二宮尊徳との類似点は、すでに1907年(明治40年)に内村鑑三によっ
て次のように指摘されている。“道徳力を経済問題の諸改革における主要な要素とす
る斯くの如き農村復興計画は、これまで殆ど提案せられたことはない。それは「信仰」
の経済的適用であった。この人には清教徒の血の通っている所があった。あるいはむ
しろ、この人は未だ西洋直輪入の「最大幸福哲学」に汚されざる純粋の日本人であっ
たと言うべきである。”「代表的日本人」(岩波文庫)。(余談となるが私は、この
言葉が契機となって清教徒と深く交わり、彼らの信仰と質実・勤倹の生活態度に敬意
を抱きつつも、さらにはキリスト者内村が敢えて言う「最大幸福哲学」に汚染されて
いないところの純粋の日本人を求め続けているのである。)
内村鑑三の尊徳への傾倒ぶりは、すでに明治27年の講演速記にみられる。すなわち、
“この人の生涯を初めから終わりまで見ますと、「この宇宙というものは実に神様-
神様とはいいませぬ-天の造ってくだっさたもので、天というのは実に恩恵の深いも
ので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだからもしわれわれがこの
身を天と地に委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天
がわれわれを助けてくれる」というこういう考えであります。(中略)「もしあの人
にアアいうことができたならば私にもできないことはない」という気を起こします。”
二宮金次郎先生の生涯から“私ばかりではなく日本中幾万の人はこの人から「インス
ピレーション」を得たでありましようと思います”(後世への最大の遺物、デンマル
ク国の話、岩波文庫)。と語り「報徳記」を読むことを奨めた。
うえの講演に引き続いて内村鑑三は、北欧の小国デンマークが1864年にドイツ・オー
ストリア連合軍に破れ肥沃な領土を二国に割譲したのち、残された痩地を植林と牧草
で豊かな農地として経済発展をとげた話を紹介したのち、次のような卓見を述べる(
上掲書)。“ゆえに国の小なるはけっして嘆くに足りません。これに対して国の大な
るはけっして誇るに足りません。富は有利化されたるエネルギー(力)であります。
しかしてエネルギーは太陽の光線にもあります。海の波濤にもあります。吹く風にも
あります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみ
なことごとく富源であります。かならずしも英国のごとく世界の陸地六分の一の持ち
主となるの必要はありません。デンマークで足ります。”このデンマークをモデルに
した我が国の農村振興計画が真剣に検討された時期もあったのである。
自然環境の保全あるいは調和なしには農業の永続性はおろか、人類の生存すらを保
障することができないことは、今日では市民の常識となりつつある。工業文明に替わ
るべき文明は、夙に内村鑑三が指摘した自然エネルギーを軸とした文明が一番受け入
れやすいであろうが、ただ、そうした文明では人間の生存の意義に関わる問題は依然
として解決できないであろう。伝統農業の担い手たちが経験してきたように、存在者
に関わることによって“「存在」の意味が開示される”(ハイデッガーによる)、こ
とが必要である。まさに我々の先祖たちは、裸の労働で以て直接的に自然と関わるこ
とによって自然の意味を開示し、それを農法としてきたのである。ところが、工業文
明の発達に伴う産業社会の発展は、農業とその技術に大きな変革をもたらした。すな
わち手作業や畜力利用の道具の段階から、動力機械利用の段階に突入して大規模モノ
カルチュアー農業を実現した。大型動力機械のもっとも苦手とする除草作業は、強力
な除草剤の駆使によって生産性を引き上げてきた。こうした現代農業技術は、人間と
自然との関係をよそよそしいものにしてしまった。かっての自然災害は、ある意味で
は農業のやり方に対する教師の役割をはたした。その教訓に従うことによって彼らの
実存を得たのである。そして、それが固有の文化を育て、それになれ親しむことこそ
がこの国のアイデンティティーを形成したのだ。
さきに我が国の宗教は多元融合的で世界の既存するどの宗教カテゴリーにも属さな
いと述べた。大衆レベルでとらえた我が国の宗教的情緒の特徴を強いてあげれば、精
神的にも物質的にも「清く美しくあれ」と願う心であろう。かって江湖の耳目を集め
たことだが、中野孝次は、清貧とは清らかで自由な心の状態と規定したうえで、次の
ように説く“もし「清貧の思想」がかれら一部の文人たちだけに限られるものであっ
たら、それは一国の精神文化の伝統と呼ぶに値しないでしょう。が、彼らが言葉にお
いて表したものは、かれらのように言語表現能力を持たないふつうの生活者の中にも
根強くひろく行き渡っていたのでした。富んで慳貧であるものを軽蔑し、貧しくとも
清く美しく生きる者を愛する気風は、つい先ごろまでわれわれの国において一般的で
した。”(清貧の思想、草思社版p192)。ついさきごろの一般的な気風こそ、我々の
心の故郷であり、回帰の原理たるべきものである。有機農業米は、こうした文化的行
為から生れてこそ国民的意義を問う資格がある。
4.結論
三十カ国余りの世界各地の農業調査を行なってきたが、わが国ほど農薬のために生
物が農村地帯から姿を消した国を知らない。世界でも稀に見る美しい風景を誇った日
本が、経済開発のために醜い汚染列島に変貌したことに疑問を投げ掛けるオギュスタ
ン・ベルグは、自然/文化の交替(風景の構成・筆者注)は現実の風土性mediance(
仏)のなかで通態的trajectif(仏)に現われるものであるとして、その中心課題は、
“自然をその固有の領域、すなわち自然性において超越しようとする人間の(通態的、
かつ歴史を通じて築かれた)意志、換言すれば、自然を創造しようとする意志。”だ
と指摘する(「風土の日本」篠田勝英訳、ちくま学芸文庫、p 248)。これはなにも
彼の独創的な意見ではなく、すでに私も伝統農業において自然を改造する人間の意志
は、自然の営為の代行として表現されている(図4)ことを拙著(「小さい農業」農
文協刊)で述べた。ただ彼の著書に注目するのは、日本の学者・文化人の感覚的な環
境決定論を、冷徹な目で以てことごとく批判した上で、「自然は文化に還元できない
のだが、それでも自然は文化を灌慨し続ける。-中略-合理的な唯一の方法、それは
表象の空間構成的な秩序をたえず養い育て、まさにそのことを通じてますます意識的
に、その秩序の裂け目を明確にすることである。裂け目を塞いではならない。そこか
ら現実が現われるからだ。」(同書p373)、という主張である。
我々は、現代農業がもたらす環境破壊から目を背けてはならない。あくまでもこれ
を見据え、秩序の裂け目を拡大して意識すると同時に、再び好ましい秩序を創造して
いかなければならないのである。一時として農の営みを中止するわけにはいかない。
農を営む中で環境を修復する道しか選択の余地がないのである。ここにおいて有機農
業が輝いてくるのである。
農業労働は、自然に制約されるがゆえに外なる自然と内なる自然(精神)を開示す
る特質を持つ。換言すれば、労働が自らを高めるところの数少ない職業である。それ
は芸術家の制作活動に似ているといえよう。この働きで以て安全な食品を作り、同時
に環境を守ることができるのだ。こうした行為が輝きをもつ時代はすぐそこにきてい
る。が、これは大地を耕す者の、精神の発展なしには実現できない。それをヘーゲル
のいう世界精神の目覚めに模してもよい。すなわち、漫然とした感性は、主観的精神
から客観的(社会的)精神へ、さらに絶対的精神(宗教)へと進み、ついには絶対的
な知(神の領域)に到達するのである。この発展するべき世界精神は、常にわれわれ
の内にあって眠っているが、労働によって徐々に姿をあらわすという。小さい農業は、
このような労働を可能とするのだ。
労働を通して宗教的境地にいたる過程を明らかに指摘し、それをわれわれに示して
くれたのは鈴木大拙師だと思う。その著書「日本的霊性」(岩波文庫)から要点を拾
うと次のとおりである。「精神と物質との奥に、いま一つ何か(霊性、筆者注)を見
なければならぬのである。p16」、「天は遠い。地は近い。大地はどうしても母であ
る。愛の大地である。これほど具体的なものはない。宗教は実にこの具体的なものか
らでないと発生しない。霊性の奥の院は、実に大地の座にある。p43」、「鍬の数、
念仏の数で業障をどうこうしよう、こうしようというのではない、振り上げる一鍬、
振り下ろす一鍬が絶対である。弥陀の本願そのものに通じていくのである、否、本願
そのものである。p96」、「鍬をもたず大地に寝起きせぬ人たちは、----大地を具体
的に認得することができぬ。p131」、「大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めること
である。ただ鍬の上げ下げでは、大地はその秘密を打ち明けてはくれぬ。大地は言挙
げせぬが、それに働きかける人が、その誠を尽くし、私心を離れて、みずからも大地
となることができると、大地はその人を己れがふところに抱き上げてくれる。p 131」
これほど農耕労働のもつ本質を言いあてた言葉はないと思うので、あえて此所に引用
させていただいた。
畢竟すれば、人すべて大地と関わりを持ち、それを耕さねばならぬのである。