上関)子供のころ田ノ浦の海は薄暗いヘドロの海だったという人がいますが打ち寄せられた寄り藻の思い違いのようです
2010/11/29
改訂 新井さんの指摘で表題を修正しました(11/29)
原発予定地の田ノ浦の海の自然環境の変化をめぐって、twitterでのやりとりの中
で、こんな疑問がでていました。
中電がボーリングや埋め立てて今のきれいな田ノ浦をつくったというのは、その詳
細調査以前のきれいさを知る者としては、目が点になる発言なのですが(『奇跡の海』
166ページを参照してください)、
「海底はヘドロなので薄暗い海です」という子どものころの記憶は、どう理解した
らいいのでしょうか?
元ちとせさんの出身地の奄美大島の嘉徳(かとく)の澄み切った海が、以前は海藻
で真っ黒だった、という話を聞いたことを思い出しましたので(豪雨災害お見舞い申
し上げます)、海藻研
究所の
新井章吾 さん にお尋ねしました。
〒811-0114 福岡県粕屋郡新宮町湊坂 3-9-4
株式会社 海藻研究所 (所長)
tel:& fax: 092-963-4417
さっそく返事がきました。やはり海藻が少なくなったというのが正解のようで、以前
ヘドロがあったというのは、記憶違いのようですね。
以下引用。
SANCON Jrさんいわく、
上関町田ノ浦には小学生の頃、毎年遠足で行ってました。当時の田ノ浦の海岸
は、直径5cmぐらいの丸い石がゴロゴロ転がっていました。海底はヘドロなので薄暗
い海です。それが中電の地質調査、ボーリング工事、海岸の埋め立てなどによって今
の田ノ浦ができました。
11月20日 twiccaから
https://twitter.com/#!/sanconjr/status/5899786335031296
この疑問に新井さんが答えてくれました。
二番目の引用
20年くらい前まで、国土地理院の航空写真によると田ノ浦の砂浜の沖側にも帯状
に藻場が発達しています。2000年の写真では、私(新井)が最初に田ノ浦に行った年
の藻場の分布に近くなり、藻場が減少しています。
過去の航空写真からは田ノ浦湾の浅い方の底質の色が白いことから、きれいな砂地
だったことは明かです。
おそらく、藻場が発達していたため、砂浜のあたりは今より多少静穏で、寄り
藻が滞留しやすかったはずです。たまたま、時化の後に多量に寄り藻が集まり、それ
らが分解されつつあるときは、小さな子供たちの目には、ヘドロのように認識される
のではないかと思います。(たとえば、太平洋に面した外洋の水がきれいな地域でも、
台風後に多量に集積した寄り藻が分解されはじめると、汚く見えます。)
また、当時は今より砂浜が広がっていて、その少し下に人頭大くらいの現在見られ
る礫地が隠れていた可能性があります。5cmくらいの丸い石のことが書いてあるのは、
このためかもしれません。いずれにしても、丸い石がごろごろしていたというのは、
時化のたびにそれらが衝突や反転を繰り返すという証拠で、それより粒径がかなり小
さいヘドロが堆積することはありません。
注
寄り藻(よりも);基質から脱落して海底を漂う海藻
流れ藻;基質から脱落して海面を漂う海藻
打ち上げ藻;浜に打ち上げられた寄り藻と流れ藻
以上で引用を終わります。なんでも聞いてみてください。わからないことも多いの
ですが。
安渓遊地