「墨は知ってモノ知らぬ人間」に成るなよ!!――仲松弥秀先生にいただいた言葉
2005/05/23
「墨は知ってモノ知らぬ人間」に成るなよ!!――仲松弥秀先生にいただいた言葉
というタイトルで
安渓遊地 2005年秋にも刊行予定の『南島の地名』第6集に収録の予定です。
以下本文
はじめて仲松弥秀先生にお会いしたのは、一九七七年の六月、私が京大の大学院の
三年目で、琉球大の地理学教室を訪ねた時でした。西表島の廃村の生活復原というエ
スノアーケオロジーをめざす修士論文を、島の方々にお返しするために、島袋伸三先
生の研究室で増刷していただく、というとんでもないお願いをした時でした。訪ねて
みると定年を迎えられた直後の仲松先生は、そこにあった私の修士論文を手にして、
これはなかなかいい論文だと誉めておられるところでした。島袋先生が私を紹介して
くださると、仲松先生は、「しまった、本人の居るところで誉めるんじゃなかった!」
と茶目っ気たっぷりに笑われました。
時は流れて、私と妻の安渓貴子が共著の形で福岡の葦書房から出した『島からのこ
とづて――琉球弧聞き書きの旅』を仲松先生にお送りしたところ、早速お礼の手紙を
先生は下さいました。「2000年5月5日(子供の日)」と先生は書いておられます。直
接誉めないとおっしゃっていた先生の習慣はだいぶ緩和されたもようです。
「……安渓遊地さん思い出します。年、月、日も忘れていますが、偶然首里城(ぐ
すく)前の守礼門の処で、全く思いがけ無くも西表出身の貴方に会い、三人で首里城
(ぐすく)内の神の居処(真玉杜グスク)である『京の内』に行き、若い元気の貴方
が、自然洞窟に、そして下方に抜け出て来られた処が、これまた『クンダグスク』で
あることを実証なされたことを!!このこと、私は全然忘れていません。」
先生、あれは1989年4月3日のことでした。1978年から足かけ2年アフリカの森に暮
らし、1981年4月からわずか1年だけでしたが、沖縄大学の教員になって首里・赤平
の古い家に住みました。その後も西表島通いは続きました。あの時は西表島経由で与
論島に行った帰りに、仲松先生と久手堅憲夫先生の首里城の地名巡検に加えていただ
く果報をいただいたのでした。その時に狭い洞窟が見つかったので、向こう見ずにも
ぐり込んだら、向こうに抜けてしまいました。このことは、大きな発見だったらしい
のです。
そのあと、龍潭のほとりの喫茶点で、両先生の楽しいお話を伺い、与論島の地名に
ついても情報交換ができました。耳に残っている両先生の言葉の中でも次のものは、
私に音楽のもつ力と、言葉の力について実感させてくれました。
仲松「沖縄戦であそこまで破壊されたのに、ウチナーンチュは、拾った空き缶と木
ぎれとパラシュートのひもでカンカラ三線(サンシン)を作って、歌って踊りながら
そこから復興して行ったものなあ……。」
久手堅「フェニックス(不死鳥)のようによみがえりましたからね。」
仲松「沖縄の現状を見ると、フェニックスじゃなくてフェーヌクス(蝿の糞)だけ
れど(笑い)」
亀の島(俗称「北アメリカ」)の先住民族運動の指導者デニス・バンクスさんが、
のちに沖縄を訪れて「エイサーを見ると琉球民族が勝利した民族であることがよくわ
かる」と感心したことも思いおこされます。また、西表島の島びとたちの中には、「
西表の人間はな、口は悪いけれど、心はもっと汚いぞ(笑い)」と言うような冗談を
平気でいくらでも言える人たちがいることも、琉球弧の島びとたちの本当の底力(ス
クヂカラ)なんだと痛感させられます。
先ほどの手紙の中で、先生は勢いのある筆で次のように書いてくださいました。
「私が小学校二年か三年生の時、字の知らない御媼さんから言われました。
『弥秀よ!“墨は知って、モノ知らぬ人間”に成るなよ!!』(昔は毛筆、墨は文字の
意味)
私は『墨知ったらモノわかる人間に成る』のに変な言をいう御媼だなとその時は思
いました。
今になって判りました。学問する者が『モノ』の判らぬ人間が満々と世界中に広がっ
て居ることを。安渓両氏の『島からのことづて』は『現代の墨知っている者』に対し
ての無意識ながらの金言と思っています。流石『文明の劣って(?)いる島育ち』の
安渓様です。まことに心身が洗われるような著書です。
私は今まで、安渓様御二人は、山口県出身とのみ思いこんで居ました。貴子先生が
愛知県のお生まれには驚きました。私も愛知県の高校に、敗戦で朝鮮から引き揚げて
数年(約十年間)勤務しました。三女は渥美半島で生まれました。知多半島、渥美半
島、特に岡崎市に長らく居ました。
とにかく、安渓両先生、全く感謝致しています。私は字が書け無い老人に成ってし
まいました。お許し下さい。何時までもお元気で!!」
机の上での学問だけでなく、「足で、耳で、目で、身と心を使って体得」せよ、と
いうのが、仲松先生からいただき続けている暖かい励ましのお言葉です。
先生のカジマヤー(数えで97歳のお祝い)万歳!先生こそいつまでもお元気で!!