映画『祝の島』を見て9)上関原子力発電所計画を知らないすべての人たちに
2010/08/14
つづきます。
◎日本に住むすべての人へ
今、とある自然豊かな小さな島で大きな変化が起ころうとしています。豊かな自然
の恩恵を受け、魚を獲ったり作物を育ててきた島の人たちは、今真っ二つに分かれて
います。もちろん島の人の誰もが争いや対立など求めていません。では何が島を二つ
に分けているのでしょうか。原因はたどっていけばたくさんあります。「原発」が悪
いという人もいるでしょう。しかし、その原因の根っこの根っこの根っこにあるのは
私たち人間の生活の変化です。「原発」が作られる原因は何でしょうか。それは私た
ちが「原発」が必要になってしまうような生活をしているからです。
だからといって豊かな生活を手放すことは簡単なことではありません。私たち人間
は自分が一番大事な自己中心的な生き物です。もし人間が自己中心的でないのならば、
2割の人が8割の富を持ち、8割の人が2割の富を持つなんていう世界が成り立つで
しょうか。私たちは認めなければいけません、私たちが自分のことを何より大事にす
る生き物だということを。
しかしそれを認めることは、同時に小さな島を見捨てることではありません。豊か
な生活を手放すことはできませんが、私たちは今本当に「豊かな生活」をしているの
でしょうか。考えなければいけないのは、そこです。私たちは今、お金に頼り、たく
さんの物に囲まれ、時間に追われ、自然と離れ、人と離れて生きています。本当にこ
れが豊かな生活なのでしょうか。本当にこれが私たちの求める幸せなのでしょうか。
私はそうではないと考えています。そして今、世界で多くの人たちがそのことに気
付き始めているのです。ヨーロッパで、アメリカで、ブータンで、日本で、世界各地
で人は声を上げ始めています。もっと豊かな自然を楽しもうと。もっとゆっくり時間
を過ごそうと。もっとつながりを大切にしようと。もっと自分の手でものを作ろうと。
もっと、もっともっと、幸せになろうと。
豊かな生活をするために必要なのは、小さな島の原発なのでしょうか。それとも、
本当に幸せな暮らしをするために必要なのは、昔の日本にあったような、小さな島に
あったような、笑顔のつながる、自然とつながる、そういった雰囲気を大切にする「
価値観」や「文化」なのでしょうか。もしもその答えが後者なら、人間が自己中心的
であっても、私たちが「何をかっこいいと思うか」、「何を幸せと感じるか」、その
価値観さえ変えることができたら小さな島の原発なんてだれも必要としなくなるんじゃ
ないでしょうか。
いきなりお金に頼らない生活を始めるなんて誰にもできません。でも、明日の朝起
きた時、本当に幸せかなって考え始めることができたら、案外いつの間にか、自分が、
そして世界が変わっていくんじゃないでしょうか。私たちみんなで一緒に、新しい価
値観を、かっこいい文化を創っていきませんか。”
◎拝啓 他県の貴方様
梅雨による連日の大雨で、あまり快くない日々が続いておりますがいかがお過ごし
でしょうか。
さてこのたびは、先日授業内で「祝の島」という山口県上関市の原発問題を題材に
した映画を拝見したことのご報告に筆を取らせていただきました。お恥ずかしながら
私自身、これまで同じ山口県内でこのような問題が起こっているとは全く知りません
でした。映画を見て、その地域に住んでいる人々がどんな生活を送っているか、どん
なこと想いで生きているかを垣間見ることが出来ました。島の皆が家族のような関係
を築いており、それはとても羨ましく思う光景であります。私の住む山口市は、田舎
と言われてもやはり便利なものに溢れ、さほど不自由なく過ごすことが出来ます。し
かし、この島には私たちの周りにはない自然や生き方があります。
しかし、この場所、この暮らしを守りたいと思ってもやはり無知なものです、私に
は何が出来るのかまだわからないのです。何か出来ることがあるなら私に教えていた
だきたい。この問題は「山口県の原発」ではなく全国的に原子力発電所を持つ地域す
べての問題だと思うのです。
おこがましいお便りになってしまったかもしれませんが、この辺りで筆を置こうと
思います。これから暑さもさらに厳しいものになると思いますが、くれぐれも御身体
にお気をつけて下さい。
敬具
山口県のある学生
◎原子力発電を深く考えていなかった人へ
あなたは山口県上関町の祝島で起こっている原子力発電所問題をご存知ですか?
祝島は、瀬戸内海周防灘に浮かぶ小さな島です。そこには、多くの手つかずの自然が
残っており、他の地域では絶滅あるいは絶滅危惧種である多くの希少生物たちが暮ら
しています。島は、台風が多く、岩だらけで確保できる真水も限られており、人が暮
らしやすい環境であるとはいえません。しかし祝島の人々は、海の恵みに支えられ漁
業を営み、岩や山を切り開いて田畑を作って農業を行いながら、互いに助け合い、分
かち合いながら暮らしてきました。
そんな中、1982年に祝島の対岸3.5キロにある田ノ浦に上関原子力発電所建設計画
が持ち上がります。島では住民の9割が反対し、28年がたった今でも、原発建設に反
対し続けています。しかし、過激な反対派や推進派、原発自体は反対であるが、その
反対運動のやり方に疑問を持つ人たち(推進派)に分かれてしまっているのです。そ
の結果、祝島は反対派と推進派に二分され、対立するという悲しい状況にあります。
そのため、伝統の「神舞」は2度中止になり、お互いに助け合って生きてきた人たち
が、今は対立し、互いにいがみ合いながら暮らしているのです。
あなたはこのような現状をどう思いますか?本当にそこまでして原発を建設する必
要があると思いますか?
確かに原発力発電は必要かもしれません。しかし、必要なのは都心部であり、地方
ではないように思います。それなのになぜ、地方がそこまで負担しなければならない
のでしょうか?
もしここに原子力発電所が建設されることになれば、祝島の島民は常に危険と隣り
合わせで暮らさなくてはなりません。今まで通りの生活もできなくなるのです。しか
も万が一事故が起きれば、チェルノブイリのように取り返しのつかないことになるの
です。どうしてこのように危ない原子力発電所を人が住んでいる所に作らなくてはな
らないのでしょうか?
ぜひ、あなたも「祝の島」を見て原子力発電について深く考えてみて下さい。”