新聞投稿)八重山から見た奄美――沖縄島では失われたものを求めて
2006/09/05
奄美で出ている日刊紙の「南海日々新聞」の2006年9月5日版に掲載された記
事です。
八重山から見た奄美――沖縄島では失われたものを求めて
安渓 遊地(あんけい・ゆうじ)
この夏、祖父の生まれた加計呂麻島を二二年ぶりに訪ねた。三〇年来、沖縄の西表
(いりおもて)島やアフリカで「人と自然のかかわりの歴史」を研究してきた私だが、
西阿室の親戚たちは、「なぜあんな遠い島を研究して、自分の島を調べないのか」と
いつもしかってくれた。
私は、植物学者である妻とともに、西表島では主に農耕の技術と文化について調べ
てきたのだが、遠く離れた八重山と奄美の島々にだけ残された、意外な共通点がある
ことに気づいた。
例えば、稲穂からモミを取り外すための道具である「こき箸」。沖縄島や久米島で
は、食事の箸より長い二本の竹にはさんで落とす。一方、八重山と奄美の島々では、
掌に入るほどの短い竹を藁しべでつなぎ合わせたものを使った。
また、熱帯のヤマノイモの一種、ダイジョを奄美大島や加計呂間島ではコーシャと
いう。これに類する名前は、沖縄では聞かれないが、唯一、西表島の古い品種の中に、
コーサーとかコーシャーという明らかに奄美と共通の呼称が発見されるのである。
おそらく、これらは、一四世紀以降沖縄島を中心として農業の大きな変化が起こっ
た結果、より古風な要素が奄美と八重山に残った例ではないか、と考えている。
自然の利用について、西表島では、オキナワウラジロガシをカシキといい、その実
をアディンガという。スダジイ(椎)の木はシーキだが、実はフグと呼ぶ。つまり、
木とその実にまったく異なる別の名を付けて呼んでいるのだ。それは、これらの種子
が食糧として重要だったためだろうと考えている。さて、このフグの語源については、
何も分かっていないのだが、奄美大島では椎の実で作るお菓子にフングというものが
ある。西表島のフグと奄美大島のフングが結びつくのではないか、などと想像をたく
ましくしている。
現在、奄美の村々を巡る旅を続けている。いろいろお教えをいただければ幸いであ
る。
筆者紹介
一九五一年生まれ。京都大学理学博士。現在、山口県立大学国際文化学部教授。文
化人類学担当。
著書に、貴子夫人との共著で『島からのことづて――聞き書き・琉球弧の旅』(葦
書房)、『西表島に生きる』(ひるぎ社)など。
総合地球環境学研究所の日本列島の人と自然の歴史の解明プロジェクトの中で奄美・
沖縄研究班の班長を引き受けている。