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フィールドノート)1985 年 西表島での 滞在から 主に植物と人間の部
2025/07/22
1985年 安渓貴子 のフィールドノートから
安渓貴子と安渓遊地は、同時に同じフィールドを歩いているのですが、見ているもの、書きとめているものが、ほとんどまったく違っています。
貴子は、初めての外国、初めてのアフリカで、ケニアのインド洋岸のラムの街を訪ねて、家やロバを描いていますがhttps://ankei.jp/yuji/?n=2648、西表では、植物のことや、女性たちの仕事のことを中心にノートしています。
明治半ばに西表島を訪れた博物学者の田代安定のフィールドノートをいま勉強していますが、植物リストや景観スケッチなど、100年以上の時を隔てて、フィールドノートが非常に似ているのが、面白いですね。
これは、図があるあたりの文字起こしをしてみました。
自分でも読めないところが1箇所ありました。
このノートには黒島に行ったこと、宮古島にも行ったことも書かれています。
また、田んぼの仕事のまかないの記録や、お手伝いをしながら、おばーたちと交わした会話もおもしろい。
息子の大慧はこのとき2歳です。
安渓貴子、一九八一「西表島の植生の遷移(予報)」『八重山群島の伝統的生業に関する生態人類学的研究──昭和55年度文部省科学研究費補助金(一般研究C)研究成果報告書』京都大学理学部自然人類学研究室 を書かせてもらったとき、
干立の集落内の木を地図に落としたものを作ったり、干立村の後ろを護っているカナザヤンの断面図を描いたこともありました。
ゲタキ(カラスザンショウ)など書いた記憶もあります。
あと、1974年からの写真やフィールドノートを見ればもっと思い出すでしょう。
以下は、ノートの文字起こしです。Rマツは、リュウキュウマツの略です。
3/21 p.22 横断道路? の断面図:(空中)写真を持って横断道路を見に行く。
(造成後 年)切り通しの
p.23左 A) 上の方はRマツが生え、道近くには、陽樹のアカメガシワ、Trema, タビシキャーンキ、
林床にコシダ、ススキ。
p.23右 B) Rマツが生えるが、ほかに、斜面上方にはムッチャガラ、タブノキ、イヌビワ、
下方には、チシャノキ、ギランイヌビワ、クサギ・・・こういう所ではクワズイモなど伴う。
p.24左 横断道路行き、掘れた谷のところ。シイの並木のあと、ヘゴが生えている。
アカメガシワ、ススキ、ヒリュウシダ、コシダ。コバンモチがあった。先は田んぼ。
p.24右: クサギがたくさん生えていた。
浜辺から遠いのに、上の方までフヨウがでてくる。
落葉広葉樹の下でもヒカゲヘゴがある。
田んぼ周辺:アカメガシワ、ヤマツツジ、シイ、タブ、ユキノシタ科の木(ヒイラギズイナ)、
ノボタン、ヤエヤマアブラガヤ、カキバカンコ、イリオモテシャミセンヅル、ヒリュウシダ、
ハイキビ、シンジュガヤ、ハゼノキ、チゴザサ、ボタンヅル
テツホシダ、Smilax、トベラ
p.25左: 結論は、1980年発行の環境庁の植生地図は、伝統的土地利用復原のためには荒すぎる。ただし、
十条製紙の伐採の跡の輪郭を知るには便利である。特に、水田・休耕田・ヨシクラスは、めためたの誤りあり。
ケナガエサカキースダジイ群集のメッシュは荒すぎる。サガリバナーサキシマスオウノキ群集も検討のこと。
3/22 p.25右
タカシの船で舟浮へ。(祖納ー白浜はトラック)白浜から乗船。
内離島を海からを見ていく。
p.25左 (稜線や斜面にマツの絵)比較的若いRマツなのに、広葉樹のなかにツクツク出ている程度。
今花期のセンダン、デイゴなどはない。ツル(植物)もあまり目立たない。
離れた小島はRマツがかっこいい形。下にヤマツツジの赤い花が見える。
(山頂から)3/4下の方は、広葉樹の樹冠が見えて、(樹冠が)ないところはススキが覗く。上の方は竹か?
p.25右 タカシによると(竹は)シノルだろう。(図では描き分けてある)
学校の裏に近いところは
Rマツ、ヤンバルアカメガシワ、ススキ、ムッチャガラ、さらに下はブーブーギ(ハスノハギリ)。
p.27左 3/22夜 貴子BS 模式図
地形的に見て土壌が出ている所はRマツ、そうで何ところはススキのなかにアカメガシワやヤンバルアカメガシワなどがススキの丈をこえているように見える。(チガヤも混じっているだろう)
空中写真:1963年 写真白黒
1972年 復帰の年
1977年 カラー写真
p.27右 横断道路と、船浮のトウバルの観察から、
1963年の山腹の模式図 高所はRマツ、
その下方になだらかに下がる地形:広葉樹の木が地形の窪地にぽつんぽつんとあり、その間はススキとチガヤの草原。
1977年の山腹の模式図 広葉樹の間にRマツ・アカメガシワ・Trema・ヤンバルアカメガシワが混成する。タブノキやムッチャガラも生えてくる。
p.29左 3/23 サーチャヌサキの崖側の観察「シパユキカーラ」
(図あり)崖になっている。上に、生きた折れたRマツ。崖の斜面に若いRマツ、アダン。上方にヒイラギズイナ(ユキノシタ科)、ツル植物のムクナ、アダン。
半ばより下に、センダン、オオバイヌビワ、ヤンバルアカメガシワ、アカメガシワ、ブブギ(ハスノハギリ)、ハマイヌビワ。
一番道側に、ギンネム、アカメガシワ、ススキ、センダングサ。
p.29右 ほぼ同じ場所の断面図(崖の上から下への植物の分布図)
上から、センダン、ムッチャガラ、Rマツ、ススキ、アダン、シャリンバイ、アデク、ヒイラギズイナ。
崖は赤い砂岩のむきだし。下方にアダン、ブブギ、アカメガシワ、ススキ、(道路わき)ギンネム、ススキ、(側溝、道)
p.30左 アーラの景観(図)
稜線にRマツ。古い(老木のこと、大きい)。老松の下に広葉樹。
山腹にはタブノキ、イヌビワの仲間(Ficus spp.)、センダン、アカメガシワなどの樹冠が見える。中腹にはセンダンの樹冠が多い(花が咲いていて目立つこともあるだろう)。
下方には、ヒイラギズイナ、ムッチャガラ、ススキ、クバも見える。すそに一部タケの仲間、イトバショウも。
コンロンカの苞葉の白い色。田の縁にはヤエヤマアブラガヤ、チガヤ、ススキ。
p.30右上 3/23午後 Utataru (地名 おそらく祖納の小学校あたり)(図あり)
山の斜面に、高度に沿って帯状に、広葉樹とRマツの老マツ、広葉樹、若いマツ、広葉樹、
アカメガシワ、ススキ、田んぼという図。
p.30右下 小学校前 アーリスネ田(図)
稜線にRマツ。山腹は広葉樹は多い。Rマツも見える。細いけれどすけている。マツなかばわれ(?)。
畑が見える。下方に枯れマツ。裾の方にはツルアダンやクロツグがのぞく。その下は田んぼ。
p.31左 道沿いの木々の観察? 図あり
アーリスネ田の運動場の前から星立のカナザヤンを臨む。
p.32左 アーリスネ田の上、ゲートボール場バック(図あり。なだらかな山が連なる)
Rマツが散在する。広葉樹二次林。老マツが枯れて残るものあり。アカテツなど。シイ、イヌビワの仲間が所々、センダン少し。
与那田橋の上、中程。ゾーカシ??カーラ辺の田近く、タケが多い。これより左は、祖納岳と比べて樹冠が大きい。マツはほとんど見えない。
p.32右 与那田橋の背後の景観図:(図)
右側は祖納岳。山頂付近にテレビ塔が見える。裾野は田んぼ。
左側は、山腹、広葉樹林のなかにわずかにマツの樹冠。シイが多い場所があるが樹冠の大きさはあまり大きくない。
裾はマツ、タケの仲間が多い。荒れ地、右側は田んぼだが、左側はプシキ(マングローブ林)。浦内川河口部。
p.33左 与那田橋の上流、(山側は)プシキヤン(マングローブ林)、手前の干立側は船着き場で、マングローブはない。
ユウナ、ヤラブ(テリハボク)、ガジュマル、センダン、Casuarina(モクマオウ)、 ネコノシタ、シマスベリヒユ。
屋敷跡や、屋敷跡を畑にした所、畑を放ってあるところには必ずチガヤ。
p.33右 (図)ノヤシがあるカナザヤン
稜線に老松、山腹に広葉樹のなかにノヤシが混じる。稜線には老松、手前の低い山は、少ないが若いRマツ。手前は干立の田んぼ。右手の低い山には若いRマツ。
P.34左 (図)(干立の裏山、ノヤシの山の向かって左側?)。田のすぐ上の畑跡(クワ畑)ピサッサーの2すじうしろ。チガヤではなく、クリノイガ、ノゲシ、ツユクサ、メヒシバ、コウゾリナ、ヒヨドリバナモドキ、ツルソバなどの草。湿度の関係かと思う。
ノヤシの山下に田、そのの手前に突き出た場所:クバデーサー(モモタマナ)、ヤラブ(テリハボク)、センダン、イヌビワ、アカギ、オル???
p.34右 (図)稜線に、右側ノヤシ、中程からRマツ。左に下がった端は田んぼ。
山腹に、シイ、ノヤシ、センダン、クスノキ、Rガキ、ヤラブ、アダン、タケ
P.35左 干立海岸 ヤラブ、モモタマナ、ココヤシ、下にヤウティア(アメリカサトイモ)、Alocasia(クワズイモ)。
図なし。
3/24(日)の予定 「クシヨイ」各公民館。夜、西村、城間、ひこ で「掘り起こす会」の発表。







