11/16)山本良一先生(東大)の講演会での印象に残ったお話と質疑応答の記録
2008/11/16
2008/11/16朝9時から
山口県立大学講堂にて、現代GP(環境)のシンポに参加しながら、
山本良一さん(東大)のお話と、それをききながら、安渓遊地が思ったことを勝手にききとめたもの。
ぼう大な情報があふれていて、自分の狭い専門を出れば、私もほとんど素人である。
←安渓遊地のコメント。情報がいかに生み出されるのか、もしもその現場の状況を知ることができれば、かなり分かる。例えば、研究費はどこから出ているのか。研究者たちは何をめざしているのか。
科学に多数決はなじまない。99人が正しいといっても、みんなが間違っているかもしれない。
しかし、例えば、リサイクルをするかしないか、炭素税を導入するかどうか、などの社会的選択にあたっては、多数決によるしかない。そのためには、コンセンサスが必要となる。
この3月まで4年間、文部科学省の科学監であったとき、学術会議でくりかえし発言したことは、文科・理科の垣根をとりはらうこと。それぞれの専門の議論をすることは当然ですが、人間の全体性をふまえなければならない。
←安渓コメント。まことにその通り。垣根を越えることは、しかし、なかなか具体的には大変。
学者・研究者の責任はきわめて重い。これまで、いくら研究論文を書いたか、というような基準は、いかにも時代錯誤的である。アウトリーチと呼んでいますが、自分の研究を社会的に意味あるものとして発信することがきわめて大切である、ということが文部科学省でも認識されるようになっている。
←安渓コメント。研究者のモラルの問題に碇をおろすことがそもそもの出発点でありうる。
IPCCのレポート。数万の論文をくわしく調べて、170の参加国がすべて合意する内容がサマリーに盛り込まれている。その結果は、必然的に保守的なものとなる。結論は、20世紀後半から地球温暖化している。その原因が人為起源の温室効果ガスであることが、90%以上の確からしさで言える。英文で1000ページある(温室効果ガスが原因であるという分析に83ページあてている)。無料でダウンロードできる。これを読む人がほとんどいない。
懐疑派(Sceptic)日本では、昨年ごろから温暖化は嘘だというような本がたくさんでている。これについては、たいへん心配している。
警告派(Alarmists)。例えば、James Lovelock
博士、89歳が王立科学協会で講演をして、もう温暖化は止められない、今世紀中に地球表面は4度ないし5度上がるだろう。その時北極海の周辺にしか人々は生きられないがそこでの収容人数はせいぜい5億人。したがって、60億人は死ぬことになる。
←安渓コメント。ちかごろラブロック先生は、だから原発を推進すべきだ、と主張されているのですが、地球生命の歴史と未来から考えて、その結論には賛成できません。
科学者は、自分が絶対正しい、あいては絶対まちがっている、という論を展開する。これは、一般市民にとっては、非常に迷惑。
例えば、宇宙の年齢は、138億年だ、といま言われている。これについての懐疑論者というのがいない。自分の財布とも健康ともまったく関係がないから。
例えば、二酸化炭素を80%カットすべしとなると、自家用車に乗れない、火力発電所も閉鎖というようになる。アメリカの会社が40年間かかってタバコの害については断言できない、というために大金を投じてきた。
金といのちがからむと、読まずに反対意見を繰り広げる。
市川惇信、2006『科学が進化する5つの条件』岩波科学ライブラリー146 を紹介する。
科学とは、反例が現れるまで誤りとはいえない知識を与えるものに過ぎない。
科学者は、みんな大将首をとろうとする足軽の気持ちをもっていると想像してみてください。
二つの仮説があれば、簡単な方をとるべし――オッカムのカミソリ。
メディアは、多数派と同じ重みで少数派の意見をとりあげる、という傾向がある。ディレクターは勉強していませんから、そのせいで、市民にまちがったメッセージを与える。
科学の論争は、社会の非専門家をまきこんで行われるようになっている。
意図的なデマキャンペーン、情報汚染がおこなわれている(アメリカのFred Singerなど)
日本では、公開討論とか議会証言など、論争の機会を避けているように見える。
40年前には、日本物理学会でつかみ合いの喧嘩みたいな科学論争がいくらでもあった。
日本は多神教の世界であり、矛盾を容認し、科学成立の前提を受け入れていないのでは、と市川先生は言っている。←安渓、コメント。それは、この40年でずいぶん論争が減ったという、山本先生のすぐ上の発言と矛盾するのでは。専門化という名前のたこつぼ化が進んで、ボクシングのリンクが狭くなり、理解できる観客もどんどん少なくなってきているということが真相ではあるまいか。
対策として、山本先生が考えるもののトップに「メディアを含む、社会全体の科学リテラシーを高めるべき。」
←安渓コメント、まったく異論ありません。
原子力発電が進まない、否定派が強いのもそうした科学リテラシーができていないからだと思う。
←安渓、大いに異論あります。原発建設と運転の現場でどのような人権侵害と偽装が起こっているか、そのことを十分ごぞんじないか、無視した発言だと思います。
会場での説明は簡単でしたが、配付資料から全文を引用します。
1)メディアを含む、社会全体の科学リテラシーを高める。政府、学協会、NGOは”構造化された知識”を市民に提供する様々なサイトや機会(サイエンスカフェなど)を設ける。
2)公開討論、議会証言など、あらゆる機会を設けて科学論争の現状を公正、公平に社会に伝える努力を払う。
3)学協会は自らの社会的責任において、学問の発展状況を提供にレビューし、社会に伝える努力を払う。また学協会が中心になって社会に助言する(吉川弘之)。
4)政策形成のための市民と専門家の合意形成会議を制度化する。
←安渓コメント。これはちっとも問題ない、必要な提言と思いますが、市民と政府のくいちがい、二つの学会・研究会の自然保護委員をしてきた立場から、学協会。。というものの内実については、異論があります。
以下、「温暖化地獄」をめぐる、具体的な発表がありました。
その中で、温度上昇を2度C以下にするために、原発を235基(年間11基程度)新設。
パネルディスカッションのあとで、フロアから以下のような質問をしましt。
山本先生への質問です。
安渓遊地です。「地域が大学、地元が先生」というキャッチフレーズの、もうひとつの現代GPの責任者です。専門は文化人類学ですが、もともと理科系なものですから、日本生態学会の自然保護専門委員として、いろいろ社会的な発言もしています。
文科・理科の垣根をとりはらうべきこと、研究者の社会的責任という部分について、非常に大きな共感をもってお話をうかがいました。
科学リテラシーとして、誰がお金を出して研究が進められているのかを知っておくことは庶民にもわかりやすい基準として非常に大切だと考えています。どんどん公開されていくべきだと考えています。
さて、質問です。お配りいただいたパワーポイントのファイルを読ませていただいていたのですが、21頁の右下のIEAのシナリオと、22頁の右下のIPCCの例示を比べてみました。27頁の、国立環境研究所のものは、日本だけで、単位も炭素100万トン換算で数値がちがいますが、
IPCCで例示されたものの中で、エネルギー供給部門は、CCSを2050年までに実用化し、石炭からガスへの燃料転換、原子力発電、再生可能エネルギー(太陽光、風力など)、をすべて合わせて24-47億トンで、運輸・建築・産業・農業・林業・廃棄物などを合わせた全可能削減量158-310億トン/年の、15パーセント程度かと思われます。これにたいして
IEA、国際エネルギー機関のWorld Energy Outlook 2007の方は、
・CCS(Carbon Capture and Storage)を累計460基(年間31基程度)つくることでマイナス23.1億トン(21%)。
・再生可能エネルギー(水力とバイオマス発電を中心に)でマイナス20.9億トン(19%)、原子力でマイナス17.6億トン(16%)、バイオ燃料でマイナス4.4億トン(4%)、省エネでマイナス40億トン(44%)。
全部合計すると110億トン/年。
IEAの方が、エネルギー対策の方を過大に評価しているのではないか、という疑問を例えば学生に対してどのように説明すればいいのか、ということに対してご助言をお願いします。
それと、本当に、CSSという技術で、二酸化炭素を安定的に地下に貯蔵できるのか、とくに日本のような地震国でそれが実施できるのか、という疑問を感じました。
山本先生のこたえ
いろんな案が出されている現状。IPCCの提案、環境研の12の方向、スタビライゼーション、IEA(2030年までの二つの策の中で革新的な案を書いている)。ここに書いていない、政策的なものは省略されている。日立総研は、単に英文を日本語にしてまとめているだけ。原発メーカーだから原子力を強調しているということではありません。
CCSは、まだ技術的に確立していないし、コストもわからない。日本では海の底でやるようになるでしょう。十分慎重にしなければなりません。
原子力のリスクと、温室効果ガスの機構のリスクを比べると、後者の方が大きいと言われています。30年ほどの研究をへて、最終処分の技術がほぼ完成していて、航測増殖炉、核燃料サイクルの技術もできてきていますから、廃棄物の問題も人間が管理しうるところへ来ていると思っています。
二酸化炭素も、一度排出されてしまえば、1000年以上、最長では3万年も大気中に残ることがわかっております。したがって、原子力発電は、トイレなきマンションに例えられますが、二酸化炭素を排出することもまた、同様なリスクをかかえているということを指摘しておきたいと思います。
したがって、私は、中期的には原子力は不可欠の技術であると思っています。
←安渓は、これ以上質問しませんでしたが、研究室へもどってから書いている短いコメントです。
廃棄物処理の技術は、高レベル廃棄物のガラス固化のところで再開してすぐ止まったりしています。地下埋設に適した、地下水と地殻変動の影響がない候補地は日本ではみつかていません。高速増殖炉が動かないために、しかたなくプルトニウム入りのウラン燃料を燃やすことにしているものであり、日本以外の国では、高速増殖炉計画は放棄されています。
原発のライフサイクル全体で放出される二酸化炭素について、推進する側はデータやそれにもとづくきちんとした評価をしていません。「運転中は二酸化炭素を出さない」と主張しているだけです。今の所、室田武さんの『原発の経済学』朝日文庫、が唯一のものであり、そこでは、プルトニウムおよび高レベル廃棄物の保守点検を、どこまで続けるかが分かれ目になりますが、安全性を考えると、1万年では不足です。
このことのくわしいデータについては、また、ご紹介しますが、ご自分でも探してみていただきたく。
それと、昨日の講義で山本先生がいわれた、9000億ドルにも達する戦争のための経費を、環境のために使うようになる、軍産共同体の解体と、あらたな地球社会の再建を目標にすべきである、という目標には、賛意を評します。その目標と、原子力の「平和利用」の推進は、たぶん相容れない、ということも指摘しておきたいと思います。
午後は、現代GPのとりくみで、徳地へでかけることになっていますのでこのあたりで終わります。