わが師)#ラテン語_にあけくれた水野アリツネウス先生との日々その3_#latin_RT_@tiniasobu_#水野有庸 #Arituneus_Mizuno
2008/08/07
2023/0924 世界ゴリラの日 ラテン語の長短を表記。追悼文のpdfでの添付など。
2019/02/11 永田康昭さんの追悼文のリンク切れを修正 水野先生の追悼文集のリンクを追加 誤字を修正
このシリーズ、なかなか好評につき、その3を掲載します。これで終わりです。
1 は、 http://ankei.jp/yuji/?n=550
2 は、 http://ankei.jp/yuji/?n=554 にあります。
1から3までをまとめて、水野アリツネウス先生の追悼集に投稿させていただく予定です。
全体タイトルは、以下のものを予定しています。
ラテン語で「どんぐりころころ」が歌えるか?――詩人アリツネウス先生誕生秘話
(追記 出版されました。 http://www.omup.jp/modules/tinyd1/print.php?id=57
書評のような記事もあります。http://www.medieviste.org/?p=900 )
3.アリツネウス先生のラテン詩「どんぐりころころ」の誕生について
大学2年生になって、週に2日ずつ徹夜の準備をして臨んだラテン語漬けの日々。スピーヌムだのアシュンデトンだのという聞き慣れぬ言葉がたくさん出てくる文法が2か月で終わり、カエサルの『ガッリア戦記』を経て、格調高いSallustの文章の暗唱が課せられました。家に帰って、予習のために大声で何度も唱えます。
Omnīs hominēs quī sēsē student
praestāre cēterīs animālibus
summā ope nītī decet
nē vītam silentiō trānseant veltī pecora
quae nātūra prōna atque
ventrī oboedientia finxit.
カエサルの頃の「現代文」なら、 出だしはOmnes hominis
というのですが、これは旧仮名遣いというか、擬古文なのですね。言葉は今も口をついてでますが、意味はおぼろげです。「他の動物たちに立ち勝りたいと思うすべての人は渾身の力もて努力せねばならぬ。さもないと自然の神様が従順で腹(食欲)にのみ従うものとして定めたもうた家畜どものような名もない人生をおくることになるのだ」あたりでしょうか。ラテン語を大声で怒鳴り続ける私に、同居していた叔父の尼ヶ崎徳一(田中美知太郎先生の弟子で、主にアリストテレスと取り組んでいました)は、私に水野先生のラテン語クラスを勧めたいきさつ上、苦笑いをしているだけでした。しかし、気がつけば「ラテン語のぼせ」は母にまで伝染していて、後年、脳腫瘍でなくなる前にも
「オムニースホミネース キー セーセー
スツデント プラエスターリー ケーテリース アニマ
ーリブスブス……」と口ずさんでいたのでした。
私といつも一緒に一番前に並んでアリツネウス先生の授業を受けていたのは、高校(奈良女子大附属)の同級生で京大文学部生の永田康昭君でした。後に彼は、ウェルギリウスの研究者としての道を歩み、私は伊谷純一郎先生のもとでアフリカ人類学を志すようになるのですが、アリツネウス先生の濃密な授業が終わったら、東一条の中華めし屋でチャンポン麺を食しながらぽつりぽつりと話すのが二人の楽しい決まりでした。
秋にはアリツネウス先生の授業は、歌の鑑賞と作詩の初歩というのにさしかかっていました。ウェルギリウスの農耕歌が教材です。ラテン語の母音の長短は、普通は表記されませんから、韻律にそって、朗々とラテン詩を歌うという体験は、ただ黙読しているだけでは絶対に身に付かない単語の母音の長短をたたきこまれるという意味では、得難いカリキュラムでした。農耕詩の韻律は、ダクチュルス(長短短)を基本にこれを6回繰り返すものですから、いつも唱えているうちに、あらゆるものが、長短短、タータカ、タータカにはまるかどうかが気になるようになります。例えば、「アンナカレーニナは、タータカタータカだからぴったりだな」といった具合です。
そんなおり、アリツネウス先生が、当時幼稚園児であった次男の美亜主(ビアス、ラテン語で「次郎」の意味)さんからのリクエストがその前夜にあったことを授業中に紹介されました。
「父ちゃん、何でもラテン語で言えるんか?」
「もちろん!」
「ほな、ラテン語で『どんぐりころころ』歌えるか?」
「…………」
アリツネウス先生は、この無邪気な挑発に答えるために徹夜することになったとのことでした。そのまま歌えて、意味もとおるというところに苦心があったよしで、できたてのほやほやを歌って下さいました。
この冬、ラテン語の最終試験は、学内のストライキを避けて、先生のご自宅で行われました。始めは50人もいたクラスでしたが、永田君を含め、生き残りの5人で受けた試験には、「イアンビックペンタミター(タター×5回)の韻律で次の意味の詩を書きなさい」というような驚くべきものも含まれていました。そして、アリツネウス先生は、学部が違うため卒業単位としては認められない私のラテン語の成績を学籍簿に書きこむように、理学部の事務に強力に働きかけてくださいました。かっこ付きで記されたその数字は、他のどの科目よりも高いものでした。
その後、先生からは、ラテン詩の年賀状をいただくようになるのですが、初めていただいた作品は、北原白秋の「からまつの林を過ぎて……」の翻訳でした。その後、自作の詩を次々に世に送り、ついには、ウェルギリウスはかく書くべきであったという、我が国で言えば万葉集の改訂版のような本を出版して、世界をあっといわせることになった詩人・アリツネウスの誕生の前史には、おさな心のリクエストに応えるための夜を徹した知的格闘があったのだ、ということをここに証言しておきたいと思います。
小文中に登場した、我が師アリツネウス先生の思い出をともに語るべき人は、みな世を去っています。ともにチャンポン麺をすすって、ラテン訳「どんぐりころころ」誕生の奇瑞に立ち会った永田康昭君も、筑波大の助教授として英語を教えていた1999年4月7日に夭折しました。
アリツネウス先生とその学びの仲間たちが授けてくれた、新たな言語に取り組む時は、普通の人の7倍の努力を覚悟して全精力を傾けるという若い日の習慣は、その後、ヨーロッパやアフリカやアジアの、アリツネウス先生のおっしゃる「俗語」や書かれたことのない少数言語を学ぶ時に、どれほど大きな支えと励ましになったか計り知れないものがあります。先生のユニークなお人柄と学風をしのぶ文集に書く機会を与えていただいたことを感謝します。
[チェルノブイリ紀元23年8月9日稿]
北原白秋 「落葉松」
http://2style.net/misa/fuguruma/kita/kita_s04.html
永田康昭さん(横田幸三氏による追悼文 リンク修正のうえ、添付)
https://ci.nii.ac.jp/naid/110000426076
紹介記事http://www.medieviste.org/?p=900
エウパリノス・プロジェクト, 古典語・古典学系
奇矯と偉大
2009 年 4 月 29 日
普通なら関係者だけで共有される本という感じだけれど、一般販売されているのがとても嬉しい『ラテン詩人水野有庸の軌跡』(大阪公立大学共同出版会、2009)。昨年春に鬼籍に入った日本随一の「ラテン詩人」。大学でのそのラテン語授業も超弩級の激しいものだったといい、その学恩に与った人々を中心に、様々な思い出を綴っているなんとも刺激に満ちた追悼文集だ。そこから浮かび上がる「ラテン語一代記」。そして弟子の方々の分厚い層。うーん、圧倒される。古典学の学会で、水野氏があたりの人にラテン語で話しかけまくり、皆が逃げたなんていうエピソードも。奇矯さ(というかある種の狂気というか)は偉大さの裏返しみたいなものなのだろうけれど、でも、ラテン語会話を受け止める人がいなかった(らしい)というのもちょっと問題よね(笑)。どの古典語だろうと言葉なのだから、文献を読む(黙読的に)だけでなく、音読し書けて話せて聞けるというのはやはり基本……だよなあ。学問としてはそこまでしなくても、というコメントも誰か寄せているけれど、でも自由に使いこなすというのは無上の楽しみなはず。というわけで、まあ、あまり激しくはできないけれど(苦笑)、自分も「エウパリノス・プロジェクト」に向けて少しづつ前進しようと改めて思ったりする。
その水野氏の『古典ラテン詩の精』は現在は入手不可のようだけれど、機会があればぜひ見てみたいところ。ちなみに、「Nux mea uoluitur; en nucula / in stagnum incidit: hac quid fit?」と始まる「どんぐりころころ」ほかいくつかのラテン語訳は同文集に収録されている。ちゃんと歌として歌えてしまうこの見事さ!
永田くん追悼7.pdf (221KB)