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超能力)使えなくなるための修行をしたお坊さんの話
2008/04/21
『ゲド戦記』(岩波書店、映画は未見です)の第一巻に、いろいろな魔法が使える少年ゲドが、修行するにつれて、宇宙全体のバランスのことを考えるようになり、人間としての普通の能力でできることを、魔法や超能力でやるのは愚かしいことだ、という気づきに達するという考え方が、繰り返しあらわれます。
その意味で、忘れたころにやってきたゲド戦記の第4巻 『帰還』 は、私にとっては、とても実感のわくお話しでした。
さて、戦前のお話です。ある小さな新聞社がありました。宗教関係の新聞社なのですが、ボーナスなんかなかなか払えません。
その時、ピカりーん、と社主が思いついた方法は、町中にある名刹を訪ねて、その住職に、お得意の揮毫かなんかをしていただき、それをもらってくる。表装して名士やお金持ちに買っていただき、それをボーナスに回す。
物々交換めいた錬金術ですが、いつもその役割を担っていた、秘書だった女性から聞いた話です。
ある名刹の、名のある和尚様のところへある朝うかがいました。おみやげとてもないので、その朝刷ったばかりの新聞をもっています。
すると、和尚さんがふすまの向こうから
「おー、ふみちゃんか。そこで新聞ちょっとひろげてみー」
とおっしゃって、
「ふーん、今日のニュースは、なにやらとなにやらか。こまかいところまではみえんけれどもな」
といいながら、襖をからりと開けたというのです。
いわゆる透視術ですな。
その時、
ふみちゃんと言われた女性(当時20歳そこそこ)は、
「いやー、和尚さん、狐か狸みたい力もってはるんですね!」
というたそうです。
それから1年か、または数年して、また同じ御用でうかがったとき、
ふみちゃんはなにげなく、
「和尚さん、まだ見えますか?」と聞いたら
和尚様の返事
「憎たらしい娘やな、苦しい修行を大分して、ようやく見えんようになったところや」
ということでした。
めでたしめでたし。
ふみちゃんは、生前、寺の名前も、和尚さんの名前も言っていましたが、
「名のあるお寺の、名のあるお坊さんやさかい、名前を出して人に言わんといてあげてや」
と口止めしていましたので、ここは匿名のまま。


