ルーツ)真渓涙骨さんの武勇談と安渓芙美子筆「淵黙五十年」
2008/04/19
『中外日報』という新聞があります。京都で長く続いている宗教専門紙です。
http://www.chugainippoh.co.jp/
創刊者は、真渓涙骨(またに・るいこつ 1869~1956)といいます。
その秘書をしていた、一時は秘書兼養女となっていたこともある女性から昔聞いた話です。
今次の大戦中のことです(イラク戦争のことではありません)。
京都の市電に、涙骨社主とおともの秘書が乗って座っていたところ、兵隊さんがずいぶん威張って乗っていたそうです。それを見て、涙骨という人はあらゆる権威が大きらいな人だったようですから、「兵隊のような人間のくずがいばっておるようでは、この国もあんまり長うないな」と聞こえよがしに言ったのです。
ききとがめた兵隊は、目の前にやってくると、佩剣を握って上下にゆすりながら、
「なにー!今なんと言うた、もう一度いうてみい!」とすごみました。
涙骨氏、「兵隊のような人間のくずがいばっておるようでは、この国もあんまり長うないな!」と
繰り返したものですから、その兵隊は、逆上して剣を抜こうとしたそうです。
その時、横にすわっていた秘書の女性は、手で兵隊を制止して、しずかに魔法の言葉を吐きました。
秘書 「尊いお方ですよ。」
とたんにバネではじかれたように兵隊は直立不動となり、
兵隊 「い、いずこの宮様か、お教えいただけないでしょうか!」
秘書 「あなたのような者に告げる必要はありません、おさがりなさい」
兵隊が引き下がったので、隣を横目で見たら、どこから見ても尊いお方とは見えない赤鼻のおじさんがみえましたとさ。
市電を降りて涙骨氏は、「いやー、今日は芙美子に助けられたなあ」
といったということです。
秘書というのは、安渓遊地の母の芙美子(昭和15年から19年ごろまで秘書をつとめていたそうです)でした。これは、母が好きだった武勇談のひとつで、よくきかされたものでした。
創刊50年にあたる昭和21年に、母が真渓涙骨さんに送った手紙が、『中外日報』の昭和21年10月16日号に載っていて、わが家にもずいぶん黄ばんだ実物がその号だけとってありました。
今日、中外日報社から資料探索の依頼とともに、そのきれいなコピーがとどきましたので、ここに掲載しておきます。