奇跡の海)瀬戸内海・上関の生物多様性をめぐって
2020/10/15
瀬戸内海の上関町では、中国電力がまたぞろ 原発の新規立地をもくろんで、大規模なトンネル工事をするなど、政府がゴーサインを出したらいつでも建設にかかれるように、海のボーリングをする許可を山口県知事に提出したりしています。
広島KJ法研究会の機関誌『地平線』37号に「瀬戸内海がよみがえる日――上関原子力発電所計画と周防灘の未来」というエッセーを書かせていただいたのは、2004
年10月のことでした。
その後の動きをご紹介して、上関原発ができるとその温排水の影響で、広島のカキ養殖などへの影響も危惧されることを指摘しておきたいとおもいます。
2010年に出た『奇跡の海』に収録した内容です。南方新社から いまでも2割引送料無料でお送りできます。 info◎nanpou.com へ安渓の紹介と書いてお申し込みください。
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◎奇跡の海
白砂青松の瀬戸内海が開発によって失われて何十年かの年月が流れました。ところが,瀬戸内海の西の端の周防灘(すおうなだ)には失われたはずの生き物たちが生きのびている奇跡の海が今もあったのです。それが山口県の上関の海です。そしてここに原子力発電所の計画が浮上してやがて30年の歳月がたちます。
原子力発電所建設を進めることを前提として事業者がつくった環境影響評価書の審査に妻の安渓貴子が関わったことから、そのずさんな内容を知った私たちは、日本生態学
に呼びかけて、きちんとした調査をするように求める要望書を決議するとともに、たくさんの研究者が手弁当での現地調査を重ねました。その結果、このままではこのすばらしい海が失われてしまうことに気づきました。私たちは今、子や孫の世代に、瀬戸内海がよみがえる喜びの日を迎えることができるかどうかの瀬戸際にあるのです。
私たちの研究の結果を踏まえて、日本生態学会・日本ベントス(底生生物)学会・日本鳥学会が学会として公式にこの原子力発電所計画への異議を申し立ててきました。とくに、4000人の会員がいる日本生態学会では、自然保護専門委員会をもうけて大切な自然を守るための活動の一環として、「要望書」という形で学会の意見をまとめています。こうした要望や実地調査に関わった研究者が中心となって、この9月に新しい本を出版しました。このエッセーのタイトルと同じ題の本で、鹿児島の南方新社の発行です。この本の執筆者の多くは、上関原子力発電所にかかわる要望書が実際の効力をもって生き生きと働くようにするための「日本生態学会上関要望書アフターケア委員会」のメンバーで、私はそのお世話役をさせて
いただいています。
この本には、第4章として、それぞれの学会の公式見解としての意見書なども収録しています。
この本の執筆者たちは、原子力政策に学会として反対するという立場ではありません。すばらしい日本の自然とその生物多様性を将来に手渡すために、いまこそ研究者としての社会的責任を自覚して、研究の成果を広く社会に向けて発信していかなければならないという責任感に基づいて筆を執ったもので、それが、ボランティアでこの「もうひとつの環境影響評価書」をつくった原動力となっています。この本では、いろいろな分野の専門家が、できるだけ難しい言葉を使わないで身近な自然のすばらしさを具体的に紹介しています。
◎学問領域に橋をかける連続シンポジウム
A5サイズの240頁ほどの本ですから、そう大きな本ではないのですが、投稿の呼びかけを始めたのが、昨年11月末で、その後、2010年1月10日の広島市平和公園の国際会議場を皮切りに、日本生態学会・日本鳥学会・日本ベントス学会のそれぞれの自然保護の委員会が合同で公開シンポジウム「上関(かみのせき):瀬戸内海の豊かさが残る最後の場所」を開催し始めました。第1回では、地元を中心に500人もの市民が参加して下さり、大きな反響を呼びました。その結果、連続開催してほしいという希望が寄せられて、3月に東京、5月に山口県光市、7月に京都、9月には名古屋と3学会のシンポジウムを続けることになりました。その間に、日本魚類学会自然保護委員会が後援に加わり、さらに日本地理学会自然保護委員会との連携も
始まって、実質5学会
の取り組みになってきたのです。こうした経緯で、本の企画はどこへやら、シンポジウムの準備に奔走する日々が続きました。
7月25日に、京都大学で開催した第4回のシンポジウムの場で、全体の要となる基調講演をずっと引き受けて下さっている、加藤真さん(岩波新書『日本の渚』の著者)から、2010年10月に名古屋で開催される第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)までに出版できなければ、埋め立て工事への準備が進む中、本を出す意味が薄いのではないか、と強い説得を受けました。
◎奇跡の本
私たちは、この日からあらためて本の編集と出版へむけてスウィッチを入れ直しました。「みなさーん、無茶苦茶ですけれど1週間後の7月末までに原稿をくださーい!」というメールを送り直しました。口説かれて本気になると、無理を承知でやっちゃう癖が出たのです。
執筆予定者は、日本生態学会の上関要望書アフターケア委員のみなさんが中心で、この10年間の現地調査で協力していただいている長島の自然を守る会と高木仁三郎市民科学基金にも寄稿をお願いしました。8月末には印刷所にわたせる完全な版下が仕上がらなければ、10月中旬にに名古屋で開催される会議には間に合わないと出版社から言われました。正味1ヵ月で、学術的に妥協せず、一般市民にも読みやすい本が、はたしてできるでしょうか。
「早く行きたいなら一人で行きなさい、遠くまで行きたいなら大勢で行きなさい」というアフリカのことわざがあります。10人以上の執筆者のチームワークをうまくとって、間に合うように本を出す方法はあるでしょうか。それには、そのまま印刷可能な版下を、プロに頼らず編集者である自分自身で造るしかないでしょう。こんな重い宿題を抱えて、それでも7月末から10日間沖縄にフィールドワークに出かけた私たちは、久高島での勉強のかたわら、研究仲間の当山昌直さんから二晩だけ深夜におよんで版下づくりのソフトInDesignの手ほどきをうけました。
沖縄から山口にもどって8月7日から版下づくりに挑戦し始めました。自分の原稿も書けていないので、執筆・編集・版下づくりの同時進行です。遅れに遅れた原稿は8月20日を過ぎて最終版が届くという状態で、この時点で10月上旬の出版を信じていた人は、誰もいなかったかもしれません。
この、通常ではとうてい実現不可能なスケジュールを達成するため、ボランティア編集者を募りました。その結果、貝類研究者の山下博由さんとゴカイ類研究者の佐藤正典さんが献身的に働いて下さいました。安渓遊地はかなりの程度初めてのソフトでの版下づくりに専心できることになりました。執筆者は、電子メールを利用して、お互いがきびしい査読者になったつもりでの編集と校正をつみ重ね、全体の編集方針についても随時相談に乗ってもらいながら編集を進めました。原稿をばっさり半分に削ったり、書き上がっていないのに送られてきてしまった原稿に大幅に手を入れて仕上げたり、通常はありえない編集作業も重ねつつ、本文・図・表・注・カラー口絵など、プロの使う版下ソフトの機能をひとつずつこなしながらの
作業でした。
原稿の修正がメールで届くのがだいたい夜10時過ぎてからですから、それに対応していると、たちまち朝の4時や5時になる日々です。夜も寝ないで昼寝してという日々がほぼ3週間続いて、この本の最終版下が印刷所にわたったのが、9月3日でした(図1)。
出版不況の中で、地域に根ざした志ある出版活動をめざしておられる鹿児島の南方新社の向原さんの決断と、多くの人々の献身的な努力で実際の出版にこぎつけられたのでしたが、その経緯を知る加藤真さんは、この本を「奇跡の本」と呼んでくれました。
◎『奇跡の海』の構成
それでは、目次にそって、この本の内容をごく簡単に紹介しておきましょう。
序章は、加藤真さんの「瀬戸内海の原風景と生物多様性」です。
第1章が「奇跡の海の生物たち」で、カサシャミセン(加藤真)、海産貝類(山下博由)、多毛類相(佐藤正典)、イボカギナマコ(今岡亨)、ナメクジウオ(佐藤正典)、ミミズハゼ類の聖地(加藤真)、カンムリウミスズメとオオミズナギドリ(飯田知彦)、瀬戸内海のスナメリの現状と保全(粕谷俊雄)となっています
第2章は、「海をはぐくむ山の豊かさ」ということで視点を陸上に移します。カラスバトとハヤブサ(野間直彦・飯田知彦)、植物(安渓貴子・野間直彦)、哺乳類(金井塚務)、昆虫(加藤真)、 ヒトハリザトウムシ(鶴崎展巨)、ベンケイガニ類(佐藤正典)、長島田ノ浦付近の地形・地質(小泉武栄)という構成にです。
第3章は、「市民科学者の時代へ」というタイトルで、科学技術と学問研究のあり方そのものを問う内容です。上関原子力発電所の環境影響評価の問題点(安渓貴子)、入会地の利用を証明する(野間直彦)、生き物たちの声に耳を澄まして(高島美登里)、高木仁三郎市民科学基金がめざすもの(菅波完)、瀬戸内海がよみがえる日(安渓遊地)で、以前に『地平線』に掲載させていただいた私の文章のその後の変化に対応したバージョンも載せました。
最後は、第4章「学会の要望書」で、12回にのぼる3つの学会の取り組みがしだいに共同歩調となってくるようすが分かります。上関原子力発電所建設計画への学会の取組(安渓遊地・佐藤正典)、
日本生態学会関係、日本鳥学会関係、日本ベントス学会関係、三学会合同という順で紹介されます。
事業者である中国電力の環境影響評価書に欠落している生物リストを補うために、希少種・絶滅危惧種を中心にした主要生物リストもごらんいただけます。
◎温排水の影響を懸念する
本の内容は以上のように多岐にわたっていますし、きれいなカラー口絵などもありますから、実際に手に取って下さることを希望します。ただ、まだよく理解されていない、原子力発電所の温排水の問題について、加藤真さんが序章で書いていますので、その部分を抜粋でお届けして、広島のカキ養殖業への悪影響の懸念を紹介しておきたいと思います。引用文献などは、本に記載されていますのでここでは省略し、温排水程度の塩素によってカキの幼生がほぼ死滅するという衝撃的な結果を中心に引用しておきます。なお、上関原発の温排水の量は、2号炉まで完成した時には1秒間に190トンに達する予定で、広島湾に流れこむ太田川2本分の水量を超えるものです。瀬戸内海に電力会社が放出している26ヵ所の火力発電所と1ヵ所の
伊方原発を合わせた全温排水量の1割を上回る莫大な量となります(同書、安渓貴子論文参照)。
原子力発電所の温排水の問題は、放射性物質が環境中に放たれる危険性がつきまとうことだけではない。冷却水として取り入れた海水が炉心近くの復水器を通過するとき、水温は40℃以上にも達する。大量に放出される温排水は、内海という閉鎖海域で、広範囲の水温の上昇を導くことは明らかである。イカナゴやカンムリウミスズメに代表されるように、瀬戸内海には冷水性の生物が多いという特徴があり、温排水はこれらの生物の生存に深刻な影響をもたらすと考えられる。
温排水が海の生態系にどのような影響を与えるのか、日本では論文としてほとんど公表されることがないが、カリフォルニアのディアブロ原子力発電所の温排水が海の生態系を劇的に変化させたという論文が出ている(Schiel
et al.,
2004)。コンブ類などの大型藻類が繁茂していたこの海域では、原子力発電所の稼働後、温排水の影響によって、コンブ類の藻場の消失、藻類組成の不可逆的変化、藻食性巻貝類の減少といった大きな変化が観察された。
原子力発電所の温排水の放水口付近では、魚類相が著しく貧困になり、汚染に強い一部の種しか生息していないという報告もある(Teixeira et
al.,
2009)。次亜塩素酸ソーダは海水中の化学反応の結果、より有毒なさまざまな塩素化合物(例えばダイオキシンも)を作ることも懸念される。温排水の放水口付近でしばしば漁獲される奇形魚の由来は、放射性物質に加えて、このような塩素化合物の可能性もある。
冷却水の配管中にフジツボなどの付着生物がつかないようにするために、冷却水中には多量の殺生物剤(次亜塩素酸ソーダ)が投入される。次亜塩素酸ソーダは除菌効果のある漂白剤として使われていて、それが手につくと皮膚表面が溶けることからもわかるように、タンパク質を溶かす力が強い。細胞がほとんど裸で存在しているような、多くのプランクトンや微生物にとって、それがいかに危険な物質であるかは言うまでもない。
次亜塩素酸ソーダはマガキの幼生に強い致死効果を持つことが実験で証明されている(Taylor,
2006)。大量の温排水が内海に恒常的に放出され続けると、その影響は広島湾のカキに及ぶ可能性もないとは言えない。次亜塩素酸ソーダによる殺生物作用は水温上昇によって相乗効果が現れることも知られており、例えばシタビラメの稚魚の死亡率が数度の水温上昇によって劇的に上昇するという報告もある(図2)。
周防灘に残された貴重な生物には、そこが清浄な海域ゆえに生き残ってきたものが多い。その海域で毎秒大量の海水が採取され、殺生物剤で処理され、熱せられて海に放たれる状況下では、そのような生物のプランクトン幼生は大きな打撃を被ることになる。ましてや、海水が滞留しやすい内海では、温排水が海域の生物多様性に与える影響ははかりしれない。そして、中国電力によって行われた環境アセスメントでは、温排水が内海の生物多様性に与えるこのような影響についてほとんど全く検討されていないのである(以上、加藤真、2010より引用)。
この本を読まれて、ぜひ現地を訪れてみたいという方は、「上関の自然を守る会」主催の現地観察会に参加されることをお勧めします。http://kaminosekimamoru.seesaa.net/ に随時ニュースが掲載されます。
上関の「奇跡の海」でお会いできることを楽しみにしています。
安渓遊地