証言)宮本常一が聞いた渋沢敬三の言葉「(幣原)首相はこれから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられる」
2016/11/07
周防大島郷土大学のfacebookから引用します。
https://www.facebook.com/suouohshimakyoudodaigaku/posts/1023330121052497:0hc_location=ufi
私どもはNPO法人ですから、
政治的な活動はしません。
以下は、事実を紹介するものです。
日本国憲法第九条の戦争と軍備の放棄は、
当時の首相であった
幣原喜重郎が最初に提唱したもので、
よく言われている
アメリカ合衆国から一方的に
押しつけられたものではありません。
それをふまえて、宮本常一の述懐を紹介します。
晩年に書かれた自伝「民俗学の旅」
(講談社学術文庫 146~147頁)
昭和21年1月、師であった
渋沢敬三のもとを訪ねた時です。
渋沢は渋沢栄一の孫。
第一銀行(現みずほ銀行)をはじめとする
渋沢財閥の総帥として財界で活躍するとともに
終戦時の日本銀行総裁、終戦後は大蔵大臣として
戦争末期と戦後の経済の正常化に努めました。
また、民俗学者でもあり、
宮本をはじめとする学者たちに
物心両面から多大な支援を行ってきました。
・・・私は東京へ出て渋沢邸へいった。
ちょうど役所(先生は当時大蔵大臣であった)
から帰ってきた先生は
「幣原さん(当時首相)は
大変なことを考えておられる。
これから戦争を一切しないために
軍備を放棄することを
提唱しようとしておられる。」
と昂奮気味に話された。
「軍備を持たないで
国家は成り立つものでしょうか」
とおたずねすると
「成り立つか成り立たないかではなく、
全く新しい試みであり行き方であり、
軍備を持たないで
どのように国家を成立させていくかを
みんなで考え、工夫し、努力することで
新しい道が拓けてくるのではないだろうか。
一見児戯に等しい考え方のようだが、
それを国民一人一人が課題として
取り組んでみることだ。
その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか。」
と言われた。
これは実にむずかしいことである。
しかし日本人として
やらなければならないことではないかと思った。
この先生のことばは
今も私の心の中になまなましく生きている。
学問をするということも、
人が人を信頼する関係をうちたてていくためであり、
どのようにすれば安んじて生活していくことができるかを
見つけていくためのものであると思う。
そしてそういうことについて、
私にできることは何であろうかと考えた。
今も考え続けている。
ただ戦争反対、軍備反対と叫んだだけで
戦争はなくなるものではない。
一人一人がそれぞれの立場で
平和のためのなさねばならぬことをなし、
お互いがどこへいってもはっきりと
自分の是とすることを主張し、
話し合えるような自主性を持つことであり、
周囲の国々の駆け引きに
下手にまきこまれないようにすることであろう。
そしてそれを農民の立場から主張してゆくには、
食料の自給をはかることではないかと考えた。
食料を自給し得ている国は
外国の干渉を排除することができる。
それは今日までの歴史を見れば
おのずから肯定できる。
農民としてなさなければならぬことは、
より高い生産性をあげ、
まず国民の食料を確保するように努力すること。
次には国民の一人一人が
安定した生活ができるような道を
見つけていくことだと考えた。
・・・