わが師わが友)奄美の人たちが 畏れ敬い守って残して伝えていきたい ものを掘り起こし続けた中山清美さんの長逝を惜しむ
2016/07/12
奄美で島々の宝 を掘り起こし続けてこられた 中山清美さんが亡くなられました。近頃は、奄美に年に2回ぐらいおうかがいして、案内をしていただいたり、食事をしながらいろいろ啓発されたりしておりましただけに、残念です。
いつも早口で言われるので、覚えきれなかった 島遺産をきちんと伝えます。写真は、facebookからいただきました。
奄美群島では集落のことを島といいます。
島の人達が
畏れ
敬い、
守って
残して
伝えて
いきたいものを、
地域の人達が自分たちの遺産として、島遺産から奄美遺産にしよう、
奄美遺産を観光に活かしましょうよという取り組みなんです。
http://www.tfm.co.jp/forest/?itemid=94540
久岡学記者の記事『南海日日新聞』に掲載
7.10 尊敬する先輩がまた一人、逝った。写真を探し、原稿も僕が書いた。
つらい闘病生活にも「やり残したことがある」と耐えたそうだ。夫人に告げた言葉。「最後は笑ってさよならしたい」。人の和を重んじる先輩らしい。
◎奄美考古学の第一人者
奄美の考古学研究に尽力した中山清美(なかやま・きよみ)氏が10日午前7時3分、前立腺がんのため、奄美市名瀬の病院で死去した。65歳。龍郷町大勝出身。自宅は奄美市笠利町万屋2022の1。告別式は12日午前11時から同市名瀬末広町17の3、青葉会館で。喪主は妻の美智代(みちよ)さん。
法政大学卒。旧笠利町役場に採用され、文化行政を担当した。瀬戸内町の嘉徳遺跡や宇宿貝塚(奄美市笠利町)など数多くの発掘調査に携わった。「奄美考古学」を定着させた功労者だ。熊本大学大学院で博士号も取得。近年は住民とともに「シマ(集落)学」に取り組み、「奄美遺産」づくりに力を入れていた。
奄美博物館長、奄美郷土研究会長、奄美群島文化財保護対策連絡協議会長、宇検村誌編纂委員長などを務めた。「掘り出された奄美諸島」「日琉交易の黎明―ヤマトからの衝撃」(共著)、「小妖怪ケンムンと奄美遺産」など著書、論文も多数。2014年、南海文化賞(教育・文化部門)を受賞した。