こどものほん・おとなのほん)そんなくべつはないぞ
2016/02/19
すぐにはなぶえをふいたりする こどもみたいなおとなにも、おとなのようなほんをよんだ くらいかこがあるのさ
ものごころついたとき、大きな造り酒屋の一画を間借りしてすんでいた。大家さんに卵を一個かりにいくようなわが家にはかえない本も手ぢかにあった。はじめてよんだのは、山川惣治さんの『少年ケニヤ』全20巻だった。でも、お腹がよわくて紙芝居のお菓子も禁止されていた幼い私は、じっさいには『こねこのぴっち』の冒険にどきどきするぐらいがせいぜいだった。小学校中学年の読書感想文ではリンドグレーンの『さすらいの孤児ラスムス』を2年連続でかいた。大人になってからアフリカやパリでくらし、大きな街で仕事をするチャンスもあったけれど、みんなおことわりして、やまぐちの山村の小さな森の大きなお家で薪をたきながらくらしているのは、たぶんラスムスやバートンさんの『ちいさいおうち』の影響。
小学校高学年の時に家
にあった人類学の父フレーザーさんの『悪魔の弁護人』をよんだ。その本はおまえにはまだ早い、と止めようとした6歳上の兄に、ふだんは穏やかな父が烈火のようにおこったのが新鮮だった。
つらいときにはやすんだらいいよ。大学教員として若者と接する時にいちばん大きな力を与えてくれるのは、5月病が慢性化して寝たきり学生になった大学1年生の時の経験。受験勉強でひからびた心をいやしてくれるのは、幼いころしたしんだ絵本だった。ほぼ1年がすぎたときには、『ミオよわたしのミオ』に涙がながせるまでになっていた。
いまでも繰り返しよむ本は、そうね。
賢治さんの「農民芸術概論綱要」かな。伊谷純一郎先生の『ゴリラとピグミーの森』かな。