文化で戦争をほろぼす)金森徳次郎を知っていますか――クビになった法制局長官と日本国憲法(東京新聞社説)
2013/11/05
東京新聞の社説。いろいろ教えられます。
「週のはじめに考える 『文一道』の精神に立つ」
(東京新聞 2013年11月3日)
きょう「文化の日」は、六十七年前に日本国憲法が公布された日です。憲法改正な
どが公然と論議される現代こそ、その原点をみつめたいと思います。
気に入らないから、内閣法制局長官の首をすげ替える-。安倍晋三政権のみならず、
実は戦前にも、同じような荒っぽい出来事がありました。
有名な美濃部達吉博士の天皇機関説事件のときでした。一九三五年のことです。天
皇は法人たる国家の元首の地位にあるという憲法学説に対し、議員らが猛然と攻撃を
始めました。「天皇は統治権の主体であり、国体に反する」などと非難を繰り返した
のです。
◆首になった法制局長官
法制局長官であった金森徳次郎は議会で「学問のことは政治の舞台で論じないのが
よい」という趣旨の答弁をしました。自らの著書にも機関説的な記述がありました。
そのため、つるし上げを受け、金森は三六年に退官に追い込まれてしまったのです。
名古屋市出身で、旧制愛知一中、一高、東京帝大卒というエリート官僚でしたが、
それからは一切の公職に就けませんでした。“晴読雨読”の生活です。野草を育てた
り、高浜虚子の会で俳句をつくったりもしました。それでも警察官や憲兵が視察に来
ます。
戦争では家を焼かれ、東京・世田谷の小屋で、大勢の家族が雑居しました。でも、
終戦により、身辺はがらりと変わります。まず、金森は貴族院議員に勅任されます。
退職した法制局長官の慣例に従ったようです。
四六年には第一次吉田茂内閣で、国務大臣となりました。役目は新憲法制定です。
「この憲法には一つも欠点がない」というほど、ほれ込みました。議会での答弁も、
ほぼ一人で行いました。その数や、百日あまりで、千数百回…。一回で一時間半も語
り続けたことがあります。」
◆文化で戦争を滅ぼす
新憲法公布の朝です。破れガラスの表戸を開けると、見知らぬ老人が立っていまし
た。ビール一本とスルメ一枚を差し出し、涙声で喜びを述べました。物資不足の時代
のことです。そして、「引き揚げ者の一人」とだけ告げて、老人は立ち去りました。
金森は「生まれてから初めての興奮」を覚えたそうです。
その朝の中部日本新聞(中日新聞)で、金森は「国民全体が国の政治の舵(かじ)
をとるという精神が一貫して流れている」と憲法観を語っています。さらに平和主義
について「戦争を放棄した世界最初の憲法、そのこと自体非常にレベルの高い文化性
を物語るものだ」とも述べました。
四七年には「戦争は文化を滅ぼすものであって、(中略)文化をして戦争を滅ぼさ
しめるべきが至当である」という一文を発表しています。でも、日本一国が戦争放棄
をしても、意味をなさないという反論が考えられます。金森は、次のように論じまし
た。
<正しいことを行うのに、ひとより先に着手すれば損をするという考え方をもつな
らば、永久にその正しいことは実現されない>
<歴史の書物を読んでみれば、結局、武力で国を大成したものはない(中略)およ
そ武力の上にまた更(さら)に強い武力が現れないということを誰が保証しよう>
文武両道といいますが、日本は「文一道」が好ましいと、金森は主張します。戦争
放棄を「じつに美しい企て」とも考えました。
今の政治状況を翻ってみます。「知る権利」を脅かす特定秘密保護法案や国家安全
保障会議設置法案が提出されています。その先には集団的自衛権の行使容認が見えま
す。安倍政権が憲法改正を公約していることは忘れてなりません。
戦前は「軍事」、現在は「安全保障」の言葉が、かつかつと靴音を響かせ、威張っ
ています。
金森の憲法論集を編んだ鈴木正名古屋経済大学名誉教授(85)は「今でいうリベラ
ルで、自制心を持っていた人です」と評します。「明治時代には自由民権運動があり
ました。金森は大正デモクラシーの空気も吸っていました。だから、新憲法は民主主
義的傾向の復活でもあり、侵略を受けたアジア諸国をも寛容にさせたのです」
安倍政権は自制心というブレーキを持っているでしょうか。隣国との融和に熱心で
しょうか。大事なのは、政治の舵を握るのは、国民であることです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013110302000121.html
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