留学生はいま)北スペインの春の火祭りに立ってふと自分の起源を考える RT @tiniasobu
2013/02/26
スペイン・ナバーラ州に留学中のアツキさんからメールが届きました。よく話し、
よく食べて、育っているようです。以下引用。
お久しぶりです安渓先生、
最近ようやくパンプローナも太陽が顔をのぞかせることも多くなってきました。
それでもまだ雪が降る時もあり、朝と夜はまだまだ寒い日が続いています。
山口もまだ厳しい寒さが続いているのでしょうか。
ナバーラ州立大学では後期が始まり、どの授業を受けようか悩んでいるところです。
相変わらず語学以外の授業を受けるには厳しいスペイン語ですが、興味があるものが
あれば挑戦していきたいと思います。
先月ZaragozaのSigues(uの上に点二つ、このブログでは表記できないので単にuと
表記します)という小さな祭りに、語学センターの職員さんに連れて行ってもらいま
した。その時のことについて書いてみたので、時間があれば読んでみてください。
火に導かれる人々
1月の終わり頃、語学センターの職員の方に「今度私の村で昔から伝わる祭りがあ
るんだけど来ない? 広場で大きな火を焚いて、みんな集まってご飯を食べるの」と
誘われたので行ってみることにした。シグエス(Sigues)という村はパンプローナか
ら車で30分程離れたに位置し、イネスの両親が現在も暮らしている。パンプローナで
イネスと夫のフェルミン、息子のジョンと合流し車でシグエスへと向かった。
シグエスに着いた時はまだ祭りまで時間があったので、イネスの両親の家でのんび
りさせてもらった。イネスの両親の家はとても古く、住んでいる本人たちでさえ用途
の分からない道具や相当古い型の薪ストーブが置かれていた。家にあるものに一通り
見た後、「アツキは畑にも興味があるから、ウチの畑や郊外にある畑でも見せてあげ
たら?」とイネスが両親に頼んでくれた。パンプローナは人口に対する緑地面積がヨー
ロッパの中でも高い水準にあるのだが、日本でいつも山や川に囲まれていた生活を送っ
ていた私には少々物足りない。パンプローナ市内の喧騒とは全く無縁な空気、小さな
面積にたくさんの種類の野菜や木が植えられた畑を見ているとどこかホッとした気持
ちになった。「キレイなところでしょう?」と話すイネスや村の住民たち、その隣で
例年以上の雨で増水した川が激しい音を立てていた。
18時を回る頃郊外にいた私たちは村から煙があがっているのを見て、村の中心にあ
る広場へと向かうと昼間広場に積み上げられていた薪に火がつけられていた。「今年
は雨が多くてあまり準備できなかったの。火もいつもより小さいわね。」とイネスが
私に教える。火が上がると昼間は誰もいなかった広場に続々と人が集まり始めた。火
が上がったからと特別なことが始まるわけでもなく、人々は冷たい風が吹き付けるな
か火を囲んでお喋りを楽しむ。普段はパンプローナや他の地域に暮らしている人々が
「久しぶりだなぁ、元気にやってる?」と赤ワインを片手に再会のあいさつを交わし
ている。この村も過疎化が進んでおり村にはバルが一軒あるのみ、広場にいる人々の
ほとんどが今日の祭りのために村に戻ってきたのだという。いつのまにか火を囲むよ
うにベンチが並べられ、幼い子供たちが赤ワインとおつまみを大人に配って回ってい
る。そして明らかに浮いている唯一の外国人である私にも渡され、地元の人々が木の
実の殻の割り方を私に実践してみせていった。
火が上がって1時間半ぐらい経つと、今度はベンチがよけられ食卓が次々と並べら
れていく。そしてそれぞれの食卓の上には文字通り“肉の山”が乗せられていた。前
日にイネスに「祭りの最中はお肉(carne)が出てくるから夕食の心配はいらないわ
よ。」と言われていたが、まさにこの日の夕食は“肉”であった。それらの肉はまず
焚き木の周りにある熱くなった土の上に敷かれた網に乗せ火を通し、その後パンに挟
んで食べる。量はすさまじかったが肉の種類も多かったため飽きることなく食べ続け
ることが出来た。「このモルシーリャ(豚の血にタマネギや香辛料を入れて腸詰にし
たもの)って言うのは本当においしいですね!」と地元の人に言うと、「そうだろう!
ナバーラの肉は旨いだろう?」と誇らしげにナバーラの野菜や魚料理まで私に熱心に
説明していく。並べられた肉について質問する私に地元の人々は試してみろ!と肉の
説明をしながら次々と私に火が通った肉をよそっていった。
夕食が始まってもやはり何か特別なことが始まるわけでもなく、今度は肉をつまみ
ながら初めと同じように人々はおしゃべりを楽しんでいる。その一方で子供たちは広
場にボールを持ってきてサッカーを始めた。焚き木の燃える音と大人たちの話し声、
そして子供たちの遊ぶ音が広場に響き渡った10時頃、この日一番の盛り上がりを私は
感じた。
この祭りのなかで私は何をしていたかというと、ひたすら地元の人たちと話してい
た。パンプローナとは違った古びた街並みや10世紀以上前に建てられた教会など、こ
の村は私にとっては質問のタネに満ちていた。だが一番肝心な目の前で行われている
祭りについては結局よく分からなかった。何世紀も前から続けられていることは確か
なのだが、祝っている本人たちも何を祝っているのかよく分からないというのである。
一人に質問すると質問された人間がまた別の人間に…というのを繰り返して様々な回
答を得たがどれも確信を得ることはできなかった。
一方で私も日本人がやって来るのが珍しいのか地元の人々から質問攻めにあった。
質問の内容から世代によって興味のあることや日本に対するイメージも違っている印
象を受けた。中でも日本の食事(主に海藻の話)、日本の宗教や文字は彼らの興味を
引いたようである。この広場の中で唯一の部外者であったので私自身少し緊張したの
だが、そんなことはお構いなしに地元の人々から話しかけられ、私も最後まで火にあ
たりながらおしゃべりを楽しんだ。そして11時半頃には火もすっかり小さくなり、暗
くなった広場から人が徐々に引き上げていく。祭りの始まりがそうであったように終
わりの時もまたこれといった合図もなく静かなものであった。私もしばらくイネスの
両親の家でのんびりした後、イネスの家族と共にパンプローナへと戻った。
私はあの祭りを思い出すたびに、あの広場の風景をうらやましく思う。大きな火を
焚いたからといって何か特別なことが始まるわけでもなく、都市部の祭りのように観
光客が来るわけでもない、それでも彼らは毎年郊外の山から木を集めてきて大きな火
を上げるのだ。「広場から上がった煙は町からずっと遠くからも見えるんだよ。」と
町の外に広がる平原を指しながらジョンが言っていた言葉が胸に残る。特別なことも
なく毎年行われるこの祭りは町から離れた人々にとって帰るべき場所、彼らの起源と
なっているのではないかと思う。
ふと自分の起源はどこにあるのだろうと考えるが思いつかない。スペインに来てか
ら以前と同じように自分の地元について語ることも出来なくなってしまった。
こうした自分にはないものを持つ人々からうらやましさを抱く一方、これでいいの
かと考えさせられるようなものに出会うことも多い。シグエスの祭りの景色は私にとっ
て心に残るものになったが、シグエスとパンプローナを移動していた時に車から見え
た町々も同じくらい印象に残るものであった。パンプローナからシグエスへと移動し
ていた時、今では誰も住んでいない廃れた町やかつて町があったという湖を見た。人
が住まなくなった今も形が残っているその石造りの街並みは、どこか人を待っている
ような印象を受けた。一方でパンプローナはナバーラ州の人口の大部分が集中してい
る都市だ。増築が重ねられた古く高い建物が隙間なく集まって、他の大きな都市より
も静かではあるが人々の活気に満ちている。パンプローナ郊外にある町に住みつつパ
ンプローナで働く人やパンプローナに住んで休暇に自分の町へと帰る人は多い。50年
後あるいは100年後にはシグエスの祭りはどうなっているのだろうか。