留学生はいま)パンプローナからの便り・日本人へのいらだち・自分への怒り #Hiroshima #Spain RT @tiniasobu
2012/12/16
スペイン・パンプローナに住んでいるゼミ生の かどの・あつき さんからレポー
トが届きました。うちの学部では「遠隔指導」ともうしますけれど、ゼミ生への突っ
込みの例として、公開書簡風にしておきます。
以下引用です。
安渓先生
お久しぶりです、山口も今頃すっかり寒くなってきたのではないしょうか?
パンプローナではまだ雪こそ見ていませんが、建物から一歩外にでれば冷たい風が吹
きつけてきます。
最近ハビエルさんに連れられてナバラの北にある農家民宿やワイナリー、オーガニッ
クな牧場などを見学しています。
他の学生や家族から何を勉強しに行ったんだ?と聞かれることも多いです.....
ナバラの田舎を見ていると思っていた以上に山口の田舎と違いがあって面白いです。
その辺は今度報告書として送りますね。
報告書とはまた別に最近気が付いてきたことを少しまとめてみました。
読みにくい文章ですが時間がある時にでも読んでいただければ嬉しいです。
ゼミ生たちが卒論で苦しんでいるであろうなか、私はのんびりと今までやってきたこ
とを振り返っているところです。
門野淳記
レポート
Ⅰ.パンプローナで得た“怒り”
パンプローナにきてはや4か月目、これまでの生活で何を得てきたか?と問われる
と今の私なら“怒り”だと迷わず答える。ナバラで力強く生きている人々の持つ、“
生きる力”を知るために日本から来たが、未だその答えは見つけられない。だが私が
今言っている“怒り”はそうした焦りから来ているのではない。この“怒り”は成果
が上がらない自分に対するものもあるが、最近は自分を取り囲む環境、社会に対する
怒りが内面からふつふつとわき出てくるようである。
パンプローナに住む人々と交流し、ナバラの農家民宿を見学し、そして他の国から
の留学生と話しているうちに多少視野が広がったかのように思う時はある。だがここ
で何かを学んでいるといつも日本のことが頭をよぎる。「これを日本で活かせないだ
ろうか」と考え始めると、日本にいる時以上に考えが止まらなくなる。せっかくナバ
ラにいるのだからナバラを知ることに専念して、帰国後ここで得たものを活用する方
法を探す方がいいとは思う。だが最近は日本について、今まで関心を持ってこなかっ
たものについて調べたいという欲求が日に日に強くなってきている。
「外国に住んでいるうちに、やっぱり日本が好きだということに気が付いた。」と
見えるかもしれないがそれは決してない。確かに驚いてばかりいた留学当初と比べて、
嫌な習慣に対してはっきりと嫌だと思えるようにはなった。しかしだからといって「
やはり地元が一番だ。」とは思わない。むしろ日本、地元に対する不満は以前の比で
はないほどに膨れ上がっている。
ナバラに来るまで「問題は山ほどあるが、それでも地元に勝るものなどない」と考
えていた。ナバラも一年の間で地元と思えるようになればいいな、などと考えていた
が実際はそう簡単にはいかない。それどころか今では地元だと思っていたものを失っ
たような気さえするのだ。友人に日本について説明していると時々話していることが
本当かどうか気になってしょうがない。日本人の性格について話す機会も多いが、自
分が話していることは自分の理想なのではないかと感じることもある。「日本人は人
に優しい、礼儀正しく共同意識が高い」ということはよく聞かれる話だが、今の私に
はとても信じられない。少なくとも「知らない人について行ってはダメ」と子供に教
え、自分の住んでいるまちにすら関心がない人々が優しいだなんて私には思えない。
それどころか日本の世の中はますます弱者にとって生きづらいものになっているよう
にさえ思える。枯葉剤耐性のある遺伝子組み換えの大豆・トウモロコシが承認された
というニュースを見たが、日本ではどのように報道されているのだろうか?私たちは
自分の食べている物に何が使用されているかさえ分からくなっている。流通が認めら
れてしまえば、知らないうちに私たちはそれを食べてしまう。食べる者を選べないも
のたちにとって、いくら危険性があっても避けられないものになってしまう。「危険
そうなものは避ければいいじゃないか」という一言で済ませてしまう社会が弱者にとっ
て優しい社会であるはずがない。弱者を犠牲に経済を優先させても、その利益は犠牲
になった人たちに還元されていない。何故こんなことに今まで気づいていなかったの
か。
Ⅱ.原爆の罪
1.ヒロシマを知らない広島人
11月にパンプローナ市内にある山口図書館で、日本について市民の方々と交流する
機会があった。参加者は毎月日本に関する本や映画を通じて勉強しているだけあって、
日本についても詳しかった。この日のテーマとなったのは『lluvia negra』(『黒い
雨』)『La operació;n muerte』(水木しげる氏のマンガ『総員玉砕せよ!』の
西訳版)という本であった。軽い気持ちで誘いを引き受けたが、テーマが戦争だと知
ると正直気が重くなった。もちろん広島出身の自分が海外に原爆について伝えられる
なら、それはとても意義のあることではないかとも考えた。だが当日の準備をしてい
る間、自分が話したいことを考えるだけでも苦痛を感じた。戦争について調べている
間何を調べても頭に入ってこない、どこか空っぽな気持ちのまま当日を迎えた。
当日参加者から広島について様々な質問を受け、大部分は事前に用意しておいたノー
トを見ながら答えた。だが「あなたはこの本を読んでどう思った?」と質問された時、
思わず言葉に詰まった。質問されることは事前に予測はついていたはずだがどうも口
が回らない。次々と頭から溢れ出る日本語にスペイン語が圧迫されているような感覚
であった。もっともらしい返答をしていても、「違う!」という声が自分から聞こえ
てくるようであった。終わり際に「あなたの家族はどうやって助かったのか?」と聞
かれた時は、「何も知らない」と答えるのが精いっぱいであった。
家に帰る頃には空っぽな感情は無力感へと変わっていた。何故自分は地元に起こっ
たことについて何も知らないのだろうかと考えた。会場にいた人たちは広島出身であ
る私を“HIBAKUSHA”と関わりを持つ当事者だと期待し私に質問をしてきたのだろう。
だが実際はヒロシマだけでなく祖父母の若い頃すら知らない、ただ広島で生まれ育っ
ただけの人間だったのである。
だが戦争に関することを祖父母から聞くのが難しいのは事実だと思う。広島市には
平和公園以外に原爆を思い出させるようなものを見られる場所は少ない。戦時中、戦
後を懸命に生きたという昔話を祖父母の世代から聞かされることは学校の行事を覗い
てほとんどない。山口では知り合って間もないような他県の若者に、自分の若い頃を
話したがるお年寄りとたくさん出会ったのだが。これらの理由としては「思い出した
くない」という気持ちと、「話していいかどうか分からない」という気持ちがあるの
ではないか。私の知る戦争に関する祖母の話は母から聞いたもののみである。母にこ
の違和感について尋ねても「思い出したくないのだろう」としか返ってこない。その
背景としては戦争に関する話を孫にしても煙たがられるだけかもしれないと思ってい
ることもあるかもしれないが。
2.広島を包む不自然な空気
-ぜんたい この街の人々は不自然だ-(『夕凪の見える街』こうの史代2004)
留学前に読んで心に響いたことば、今改めて自分自身にのしかかってくる。2か月
前にピソ(アパート)の同居人の両親と広島について話していた時、「広島には今も
平和記念公園以外にも原爆を見学できる建物は残っているのかい?」と聞かれたこと
があった。そしてその時自分の身の回りにある不自然な空気を初めてなんとなく意識
したのであった(そして図書館での話し合いの後やっと正体が分かる)。戦争の話を
日常に持ち込んではいけない、そんな空気が確かに私の周りにはあると確信している。
そしてその空気を私も支えてきたことも確かである。
だが私は自分の祖父母が若い頃何をしていたか知りたい。誰だって自分の家族が若
い頃何をしていたか気になることはあるだろう、これは人として普通のことだ。だが
こんな普通のことが出来ない若者が広島には大勢いる。もちろん話を聞こうとしない、
戦争に関する本を読もうとしてこなかった自分にも原因はある。
しかし今私が知りたいのは原爆直後の光景や戦争に対する考え方などといったもの
ではない。そういったものも重要だとは思うが今私が知りたいのは、「若い頃どんな
物を食べていたのか」、「昔住んでた家はどうだった」「家事はどうだった」といっ
た本人とっての“日常”の姿である。私が祖父母の幼い頃を想像する時、どうしても
“被爆者”としての意識ばかりが先行する。何も間違ってはいないのだが、そのせい
で祖父母がどのような顔をして生活を送っていたのかまるで想像がつかないのだ。だ
が本来ならこんな他愛ない昔話を聞くのもためらわれる不自然な空気が、認識すらさ
れぬほどに私の周囲には浸透していた。
3.終わらない原爆の被害
自分を取り囲む不自然な空気に気づいた頃には、図書館から持ち帰った無力感は自
分に対する怒りへと変わっていた。それは自分が無意識のうちに被爆者を差別してい
ることに気づいたからである。少しでも原爆に関する記憶を腫れ物のように扱い、触
れてはならぬと自分に言い聞かせる。原爆について話させれば必ず傷つけるから触れ
てはならない、この考え方は一見正しそうに見えるが、今では被爆者を一個人として
みることを放棄しているように私には見える。被爆者なのだから当然辛い人生を送っ
てきたに違いない、この個人の顔を見ようとしない姿勢こそ差別なのだとはっきりと
言える。
そして自分が差別をしていることに気づくとともに、原爆の問題はちっとも終わっ
てなどいないという結論に達した。後遺症に苦しむ人々や原爆症の認定に関する問題
ももちろんだが、この目に見えない不自然な空気が残っている限り何も終わらない。
原爆は落とした瞬間だけの問題ではない、半世紀以上にわたって苦しみを生み出し続
けている。今まで何度も聞いてきたことだがようやく理解できてきた。
Ⅲ.怒りを実践の場へ
この不自然な空気というのは戦争に限ったものではない。増税や原発の再稼働、瓦
礫処理の問題など決して受け入れたくないものを、他の理由を挙げて仕方ないと諦め
てしまっている日本人は多いのではないか。「そりゃあ無いほうがいいにきまってる、
だが現実をみろ」という人々もいる。だが自分たちの生活、健康以上に優先させるべ
きことがあるのだろうか?
ナバラの田舎道を車で通っていた時、「GAROÑA-FUKUSHIMA」と書かれた看板
を見つけた。ガローニャにはサンタマリア・デ・ガローニャ原子力発電所がある。ま
た各国の留学生やスペイン人と話していると、FUKUSHIMA、TSUNAMI、HIROSHIMA、NAG
ASAKIについてよく聞かれる。FUKUSHIMAを知らないという学生など見たことがない。
津波や地震、原発の位置を教えると「お前の家は大丈夫なのか?」などとよく聞かれ
る。他の人たちならどう答えるのだろうか。
外国からみてこれほどまでに危険な日本であるが、当然真っ向からこの危険な状況
にNOを突き付けている日本人は大勢いる。だがあの不自然な空気にすっかり慣れてい
る人たちには“夢物語を謳っているおめでたい連中”に写っているのだろうか。私も
身近で叫ばれている“不自然な空気に対する怒り”に向き合おうとしてこなかった。
今更になって他人事とは思えなくなってきたが、何の行動を起こしてない自分が何を
言っても説得力もないだろう。「戦争はしたくない、経済にばかり心が依存するよう
な社会はいやだ、自分が食べている物がどんなものか分からない社会はいやだ」、こ
んな当たり前のことを胸を張って言えるような生き方をしてみたい。
そしてそれは今まで自分が徳地での活動を通じて思い描いてきた「かおのみえるま
ちづくり」の先にあると思う。私は今まで「相手の顔が見える付き合い・足元からの
活動・無理はしない」ということを心掛けて徳地でのまちづくりに参加させてもらっ
た。もちろん私のやってきたまちづくりには馬力がないという決定的な問題があるも
のの、それでもヨソモノの私の生活にさえすっかり馴染んでみせている。このまちづ
くりの行き先をあの不自然な空気を打ち破るものにしたいと強く思う。残りの約6か
月、スペインで私は何を学んでくるのだろうか。
(引用おわり)
あつきさま
山口もずいぶん寒くなり、夏向きに建っている仁保の山荘では、薪ストーブにかじ
りついています。今日は、うちの先祖になる(母方のひいばあちゃん)が育った、宍
戸家のルーツ探訪の旅を、柳井郷談会の方々につきそっていただいて、熊毛の徳修館
や、宍戸家代々のお墓に詣でてきました。
レポートへのお返事です。
読ませてもらいました。いいぞー! いまの現状に怒りを感じない方がむしろおか
しい。「怒りの実践:スペインで出会ったヒロシマ」なんて、卒論のタイトルとして
はステキじゃないか?
もっとも、屋久島の詩人・山尾三省さんの友人のゲイリー・スナイダーさんの The
Practice of the wild 『野生の実践』
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-4fb6.html
と J・スタインベックさんの The Grapes of Wrath『怒りの葡萄』をくっつけた
だけなんですけどね。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/Grapes.html
外国にくらすことについての サイードさんの意見も参照してください。
http://ankei.jp/yuji/?n=940
フクシマ と書くことへの批判(安渓は、世界的かつ歴史に長く残ることが避けられ
ない事故であることからカタカナ表記となっていくことはある種の必然と思いますが)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1312571935
4年生のなかに、大学院をめざす人が二人いて、卒論の添削や研究計画書の推敲な
ので、私も、夜中におきて昼寝してという日々です。
ごきげんよう、ハビエルさんや農家民宿のみなさんに、よろしくお伝えください。
安渓遊地