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エコツーリズム)スペイン・ナバラ州の自然エネルギーと農家民宿を訪ねて
2005/12/16
屋久島の雑誌『生命の島』73号掲載予定
2006年元旦号に出る予定です。もっと写真はたくさん載るのですが、とりあえ
ずここでは2枚だけ。
島からのことづて
番外編
パッチとアルベルタの冒険――スペイン・ナバラ州の自然エネルギーと農家民
宿を訪ねて
安渓遊地・安渓貴子
スペイン・ナバラの風に吹かれて
二〇〇五年の春から秋にかけて、大学間提携のお世話役として、私たち二人は
スペインのナバラ州の州都のパンプローナ市というところに五か月暮らしました。
ヘミングウェーの小説、『日はまた昇る』で有名になったサンフェルミンの牛追
い祭り(実際は、「牛が人を追う祭」)の町です。ナバラは、フランスとの国境
のピレネー山脈の山裾に広がる、人口五十万人ほどの小さな自治州です。古くか
らナバラ王国として独自の自治法のもとで暮らしてきたことが自慢で、北の方は
ヨーロッパ最古といわれるバスク語を使う人々が多いところです。
来てみて驚いたことがあります。ここは、再生可能エネルギーのショウウイン
ドウといわれるほど、さまざまな取り組みをしています。そして、電力にしめる
再生可能エネルギーの割合は、プロジェクトを開始してわずか十二年目の二〇〇
五年でほぼ七十%。二〇一〇年には、百%再生可能エネルギーへの転換を達成で
きるだろうというのです。
風力発電の大風車群が三十三カ所あって、約二千基の風車が合計で、九百メガ
(九十万キロ)ワットの電力を供給しています。フランシスコ・サビエルが生ま
れたハビエル村(バスク語ではシャビエル村)はパンプローナからバスで一時間
です。その道沿いにも風車が山の稜線にずらっと並んでいます。青い空に緑の山
並み、その稜線に並ぶ何十という白い風車は、一幅の絵のようです。
それだけでなくハビエル村への途中の町サングエサにはバイオマス発電所があ
って、そこではなんと麦わらを発電に使っています。日本でも、里山の手入れを
兼ねて竹や木のバイオマスとしての活用に熱いまなざしが注がれ始めています。
しかし、それにしても、穀物をとった後の麦わらで発電ができるとは思ってもみ
ませんでした。やればやれるものなんですね!日本では稲わらは厄介者として田
んぼで燃やされるか、よくて田んぼにすき込むか、牛や羊の餌とばかり思ってい
ました。それが三十七メガワットの全自動化されたプラントとして堂々と稼働し
て、電力需要の六パーセントをまかなっているのです。そして、ここが大切なと
ころですが、地下資源を燃やさないので地球規模での二酸化炭素の削減にも寄与
しています。この他に、小規模水力発電や最近は太陽光発電にも力を入れていま
す。
電力だけでなく、植物油から年間三万トンのバイオディーゼル燃料を製造する
工場もあり、町中のガソリンスタンドでも給油できるようになりました。「ぼく
の車もバイオディーゼルだよ」と私たちのスペイン語の先生。四月末、畑を黄色
に染めていたあの菜の花の種が油になり車を走らせることができるのです。これ
に使う植物油を生産するために三万ヘクタールの農地を活用しています。日本に
も休耕田はたくさんあります。二酸化炭素を減らすためには原子力を増やすしか
ないという話がありますが、もっと手近で安全度の高いたくさんの取り組みが実
は可能だったんですね。
パンプローナでは市内から発電用の風車の列が見えます。環境をよごさず、再
生可能で持続的なエネルギーは安全なのでこんなにも町の近くで作れる。近けれ
ばそれだけ送電のためのエネルギーの損失も少ないのです。また、エネルギーを
逃がさない家の構造や素材、さらに節電の工夫など、実に多様な取り組みがあり
ます。EU全体でもこれらを強力に推進しています。
持続可能な観光と農家民宿
ナバラは、五百年前にあのフランシスコ・サビエルが生誕した土地です。その
生地、ハビエル城の近くのサングエサの町で「持続可能なエネルギーを持続可能
な観光に生かすために」という催しがありました。ようやく少しはスペイン語が
話せるようになった六月末のことでした。
ナバラの自然エネルギーのすばらしい現状と省エネが進まないという問題点や、
ナバラに五百軒もあるという農家民宿・農家ホテルに対して、EUの基準で「環
境に配慮した宿」として認証する新しい制度の話などの勉強会のあと、ワインの
試飲教室、郷土料理、町並み探訪とプログラムは続きました。参会者一同、食卓
をかこんでわいわいやっているとき、向かいの席にいたのが、パッチでした。髪
の毛が長い、目がくりくりした男性。家づくりと風水のことをしきり語ってくれ
た面白そうな人。意気投合していろいろ話していたら、去年開業したばかりとい
う農家民宿の案内の葉書をくれて、「パンプローナから三十五キロしか離れてな
いから、ぜひ泊まりに来てね」といってくれたのでした。
遊地が習っていた初級バスク語(語順が日本語と同じで面白い!)のフアン・
マリ先生に案内されてナバラ州観光局を訪ね、そこからの紹介で、農家民宿・農
家ホテルによる村おこしに二十年かかわってきたハビエル・ブリエバさん(ナバ
ラ州農業局)にお会いして、ナバラ州内の優良な宿の案内をしていただけるとい
う幸運に恵まれました。ブリエバさんが二日目の案内をしてくださった時、私た
ちのリクエストに応じて、「エネルギー自給の農家民宿と農家ホテル」を訪ねる
ことになりました。農家ホテルの方は、庭に太陽発電パネルをすえたもので、売
電もできるタイプでした。太陽を自動追随する回転装置の上に載っているのが目
新しいと思いました。
その次に案内されたのは、本格的な(送電線から離れた)自立型のエネルギー
自給の宿でした。谷沿いの一車線の道を車でたどり、教会の塔が見えて、白い壁
赤い屋根の石造りの三階建ての農家が集まっている小さい村に出ました。アララ
ツ村です。畑がところどころにあり井戸がある。どの家にも薪がたくさんつんで
あります。砂利道に入って、ナラや雑木の林をしばらく行くと、牛や羊たちが草
をはむ牧場がひらけ、その向こうに丘を背にした赤い壁の家がぽつんと一軒見え
ました。風車のプロペラがまわっているのが見えます。人なつっこい犬が二頭走
ってきて出迎えてくれました。
アルベルタとパッチの宿
驚いたことに、そこがパッチの宿だったのです。パッチはパンプローナに出か
けていて留守でしたが、奥さんのアルベルタが迎えてくれました。アルベルタの
お母さんと五歳になる息子もいました。お客の多い夏場なのでお手伝いの女性二
人に来てもらっています。ところがお手伝いの女性の一人がにこにこしながら
「あなたたちパンプローナのサンフェルミン祭の時、バスクの歌を聴きに来てい
たでしょう」というのです。「東洋人にバスク語がわかるのかしら、ふしぎふし
ぎ」と思って、コンサートのあとで私たちにバスク語で質問に来た数人の人たち
がいましたが、その中の一人だったというのです。あんなに大勢の八日間も続く
祭のなかの出会いと思いがけない再会に、なんて世界は小さいんでしょうといっ
て大笑いをしました。
一階はホールになっていて薪ストーブの前にソファがある。大きな木の机があ
って、カボチャやトマトがさりげなく盛ってある。古い木の食器戸棚には華やか
な色の皿が並べてあって、古いものを美しく生かしてなかなかおしゃれです。家
造りのことや電気のことはパッチでないと説明できないと言いながら、家の中を
案内してくれました。部屋ごとに特色がだしてあり、カーテン、ベットカバーや
シーツ、タオル、絨毯などの色が統一されています。材木の多くは古いものの再
利用です。スペインでは宿のタンスやランプ、椅子といった家具も古いほど値打
ちがあるとされていることがわかります。
アルベルタは、「あなたたちのことは、パッチから聞かされていました。以前
から日本には興味をもっているの」といいます。そして「そうだ、ぜひ今度は泊
まりにきてください」と招待されました。私たちも泊まりたかったので、ゆっく
り話ができるように、客の少ない九月に泊めてもらうことにしました。
ナバラ州内での移動はなかなか大変で、別の農家民宿に泊まった時、平日は一
日三便のバスが、日曜日は運休だというのです。あわててレンタカー屋に電話し
ましたが、すべて休みで動きがとれませんでした。 初めての右側通行・左ハン
ドルでしたが、レンタカーを借りてこわごわ走りました。地図を見ながら気の向
くまま横道に入って、行き当たりばったりに走りました。
九月に入って帰国のための荷造りを始めた私たちは、レンタカーを借りてアル
ベルタのパッチの家に向かいました。例によって寄り道をしつつ二人の家に夕方
たどりつきました。今度はパッチがひとりでした。足をくじいて下に降りるのが
つらいからと、最上階である三階の、家族の居室で話し込むと、なんだか昔から
の友達のような気持ちがしました。……ここのところ曇天続きで風も少なく、エ
ネルギー自給の家もお手上げで、今日の夜は電気が心配だからと、発電機にガソ
リンを入れてくることを頼まれました。風力発電と太陽光発電をしている丘へあ
がりました。大きなバッテリーが並んでいます。風はあるのだけれど、電灯だけ
でなく二つの冷蔵庫やテレビ、パソコンなどもあるから消費電力も大きいのでし
ょう。
九時を過ぎて暗くなるころ。やがてパンプローナに用事や買い物に出ていたア
ルベルタが子どもと帰ってきて、夕食の準備の始まりです。「何か手伝いましょ
うか」「手伝って」。こうして夕食が始まりました。スペインの夕食は九時以降
が標準です。滞在中のアルベルタの食卓を、メニュー形式でご紹介しておきまし
ょう。
アルベルタの夏の食卓
一日目の夕食
・サラダ(レタス・到来物のトマト・タマネキのみじん切り・ツナ缶 塩少々
たっぷりのオリーブ油)
・野菜スープ(自家菜園のサヤインゲンとフダンソウ・ブルーチーズ少々)
・マグロのステーキ(マグロ切り身・オリーブ油・香辛料)
・パンとナバラ州のワイン
・デザート(しぼりたての牛乳の手作りヨーグルト・村のハシバミの実入り)
アルベルタの食卓では、何にでも好みで「たまり醤油」をかけます。
次いで2日目の食卓をご紹介します
朝食
・コーヒー、紅茶、ココア
・パン
・ジャムとオリーブ油
・チーズ
・果物
パンにオリーブ油を付けるのはアンダルシア風です。
昼食(豆腐料理は貴子が担当)
・トマトサラダ(トマトスライス・タマネギのみじん切り・オリーブ油)
・沖縄風揚げ豆腐(玄米正食の店の堅い豆腐・オリーブ油・たまり)
・ステーキ(ナバラの牛肉・香辛料)
・焼きピーマン(ナバラ名物の大ピーマン・オリーブ油)
・パンとワイン
ゆっくり三時ころまでかけて食べて、そのあとは夕方まで昼寝。
自然の中で
二日目の朝、足が痛いパッチを残して私たちはアルベルタの車で村へ。「畑の
夏野菜を採りに来ないかといわれているの。冬野菜に畑を切り替えたいから欲し
いだけ採っていいって。」「わあ、行きたい」。
車を村の集会場の広場に止めて野菜をいただきに少しあるいた。子ども達が珍
しそうにこちらを見ています。野菜はもう収穫してあって袋ごといただきました。
石造りのサイロは今は薪の倉庫になっていてナラの薪が投げ入れてありました。
畑を見せていただいたらスイカよりまだ大きいカボチャがありました。
さらに、アルベルタの友だちで有機農業をやっている女性の畑に案内されまし
た。大柄な赤いシャツの女性に迎えられたのはイラクサが生い茂る畑です。土は
黒くてふかふかです。ここでは、イラクサをつぶして水に入れ、大型のポリ容器
で腐らせたものが、殺虫剤としても、ウドンコ病などの病気にもいいし、肥料に
もしているそうです。これ以外のものは使わないとのことです。なるほど、ズッ
キーニはウドンコ病にかかって葉には白い粉が吹いているけれど、大きな実をつ
けています。イラクサが入った容器の中の液は、黒ずんだ緑色で特有の臭いがし
ます。用途によってこれを水で薄めて使います。畑の端のニワトコのたわわな黒
い実ではジャムを作るしアルコールに漬けてお酒も造れると聞きました。畑には
大きなキャベツ、ズッキニー、トマト、ナス、フダンソウ、トマト、ピーマン、
カボチャ、三種類のレタス、イチゴ、タマネギ、ニンジン……なんでもできてい
ます。畑の一角にはミツバチの巣箱もありました。
畑の山側の斜面は無農薬リンゴの果樹園になっています。リンゴの木の下では
鶏が雑草を食べていました。卵を産むときは小屋に入って産卵場所で生むように
なっているので、そこへ卵を集めに行きます。鶏たちは夜は小屋で眠ります。赤
く色づいてきたリンゴをもいでエプロンでふいてくださったのをさっそくかじる
と、小さいのに甘くて酸っぱい豊かな味でした。日本のリンゴ農家の友人の話で
は、農薬散布回数はふつう十数回、減農薬で努力して減らして七回と聞いていま
す。日本ではリンゴを皮ごと食べない私たちでしたが、このリンゴは皮ごとすっ
かり食べてしまいました。この人は別の仕事のかたわらの趣味としての農業では
ありますが、リンゴも卵も有機農産物として登録して少しずつ出荷しているそう
です。
農家民宿の舞台裏
二日目の午後は、昼寝から起きるとパッチに頼まれた仕事が待っていました。
足をくじいているパッチの代わりに民宿の水事情を証明する写真を撮影するので
す。水源地は、カラマツの人工林を抜けて谷道を細い川ぞいに上がった所で、ブ
ナ林の谷間にかなり大きな水槽があります。しかしその水槽からではなく、その
横にたまる水を、別のパッチが作った水槽にためて使っているのです。いったい
なぜ?上の水槽はパッチ一家より先にこの辺りに別荘を建てた四軒の家のもので、
パッチ一家は仲間に入れてもらえなかったのだそうです。
インターネットで紹介するための、家の各部分の写真もデジカメで撮影したり
したあと、その夜はよもやまの話に花が咲きました。
翌朝目覚めて窓を開けると谷は霧に包まれていました。戸口で呼ばわる声に出
てみると、全身霧雨に濡れた男の人が立っています。なにやらたいへん怒ってい
るようです。実は、隣り(といっても二キロ先)の家の八十歳のおじいさんで、
パッチの家の二頭の犬が彼の羊たちを追いかけ回したというのです。たしかに犬
がいません。アルベルタとパッチであやまったり、なだめたりしましたが、大変
な剣幕で、自動車で送ろうという私たちの申し出も断って、遠い山道を歩いて帰
っていかれました。「はやく犬たちを捕まえないと、銃で撃たれてしまうわ」と
言い残して、アルベルタが犬を探しに出ました。
アルベルタが犬を探す間、足が痛いので留守番をしていたパッチとともに残さ
れた私たちは、薪ストーブにあたりながら、農家民宿のできるまでのこと、パッ
チのこれまでのこと、エネルギー自給にこぎつけるまでのこと、などの自分史の
続きを聞きました。そうするうちに、こんどは、別の年配の男性が訪ねてきまし
た。日本人が来ていると聞いたので見に来たらしいのです。ベルツォアというバ
スクの民謡の名手だと紹介されたので、まず私たちが一曲だけなんとか覚えたバ
スク語の民謡を歌ってみました。すると、「おお、バスク語を勉強したのか。そ
れは五十年も前のなつメロだよ。実は私も大人になってから勉強して歌えるよう
になったのさ」とバスクの歌をさびた声で次々に歌っては、スペイン語でその意
味を説明してくださいました。長く禁止されていたバスク語が解禁になって、た
くさんの民謡がまたおおっぴらに歌えるようになったことの楽しさとほこらしさ
がこめられていました。
犬を探しに行ったアルベルタは牧場や山の中を探し回って、昼過ぎに疲れ果て
て帰ってきました。「こんなに帰ってこないのは、羊を追いかけまわして殺して
しまったのかもしれないわ。羊は農家の大切な財産なのだから、そんなことをし
た犬は殺されても文句はいえないの……。」
バスク語教育を受けて
僕の名前は、パッチ ゴンサレス マルチン ルイスだ。スペイン人は姓とし
て、父方と母方の両方を名乗るからどうしても名前が長くなるんだよ。一九六四
年にバスク地方のギプスコア県アンドアインという村に生まれた。父はナバラ州
の人、母は南のアンダルシアのグラナダの人だよ。
スペインで初めてできた、バスク語で教える小学校に入って、四、五年かよっ
たな。スペイン語だけが公用語で、バスク語やカタルーニア語といった地方語は、
長いフランコ独裁の時代(一九三九~一九七五年)ずっと公の場で使うことを禁
止されていたんだ。友だちがバスク州のサンセバスチアンの大学に行って、その
帰りにバスク語をしゃべっていたというので、警察にひっぱられたことがあった
なあ。
そんなわけで、どこからも支援はこないから、親たちが金を出し合って先生を
雇い、校舎といっても名ばかりで、普通の家の一階が牛小屋兼物置だから、その
壁にペンキを塗った程度のことで、別の「教室」に移るときは通りを横切って別
の家にいったんだよ。生徒は三十人近くいたと思うよ。両親は、自分はバスク語
ができなかったけれど、バスク語を主に話す地域の人たちに僕をとけ込ませたい
と思って、バスク語を使う学校に通わせたんだとおもうな。フランコが死んでか
らは憲法も変わって、バスク語で教育が受けられる公立学校もちゃんとした私立
学校もできたんだよ。
十三歳の時、父の仕事の都合で、フネスというナバラ中部の村に引っ越した。
そこは、バスク語使用圏じゃなかったので、僕は上手に話せない。今、ここに住
んだら近所の人たちはみなバスク語ができるから、息子にはなるべくバスク語で
話そうとしているんだよ。やっぱり言葉は大切だから。
つれあいのアルベルタは、お母さんがイタリアのフィレンツェの人だけれど、
ナバラの人と結婚して、フランスとの国境の海岸の町、オンダリビアに住んでた。
彼女はそこで生まれたから、イタリア語もバスク語もできるんだよ。お母さんと
は毎日イタリア語で電話しているし、息子にもイタリア語とスペイン語をまぜて
話している。バスク語とあわせてうちは三つの言葉のまぜこぜだな。
地球に良いことは自分にもいい
ここに農家民宿を作るときに、「エネルギー自給の宿」ということを考えたの
は、二十五歳のとき、「ヘア(ガイアのスペイン語)」という千人ほど会員がい
る雑誌の編集にかかわるようになったせいかな。自然住宅とか自然農法(パーマ
カルチャー)とか、バスク州の原発計画を止めたり、アストゥリアス州の熊を救
えとか、いろいろな環境問題についての取り組みを雑誌で取り上げたし、バスク
支部で年に五回ぐらい発表会をやったりしたよ。そうする中で、こんな暮らしを
していたら、あと五十年もしないうちに地球の破局が来る、ということを確信す
るようになった。地球にいいことは、必ず自分にもいいんだ、と納得するように
もなってきた。それで、地球にいい生活を自分でも実現してみたいと思って、土
地を探し始めた。ところがどっこい、ここらでは長子相続で、土地を分割するこ
とを極端にいやがるんだな。ひどい過疎なのに、譲ってもらえるような土地や家
はめったなことでは見つからない。それが現実だった。
この家との出会い
ようやく見つけたこの家は、もとは小作人の宿舎だったのを四十年も放ってあ
ったという荒れ果てた家で、電気も来ていない、水もないというところだから、
なんとか売ってもらえたんだ。
まず第一に考えたのは、風水(フェンシュイ)だったな。方位と色と形、いろ
いろ考えるべきことがあるけれど、入り口の方位が特に大事なので、これを南側
から東側に移したんだ。それから、小さかった窓を大きくするために、その部分
の石壁を下から上まで全部取りのけて積み直しさ。大きな石で一個三百キロのが
あったりして、そりゃ大変だった。それから、屋根裏を住める高さにするために、
屋根を一メートルほど上げたんだ。暖房のため、湯が通るポリプロピレンの管を
家中の壁に二千メートルも埋め込んであるんだよ。
本体工事に一年半かかったな。客間は五つあって、下から順にウラ・ルラ・エ
グラ・スア・アイセアと名付けてあるんだけれど、バスク語で水・土・木・火・
風という意味なんだよ。そして、ここらの習慣に従って、玄関の入り口の上には
エグスキロレの花を飾る。これは、花は太陽をあらわし、とげとげの葉が魔よけ
になるんだ。
エネルギーは、電気については、二・四キロワットの太陽光発電パネルと、小
型風車だ。二十七メートルの塔を建てて、三キロワットの風車を載せてある。ひ
とつの重さが二百四十キロのバッテリーを十個並べているけれど、これが高かっ
た。太陽温水器もあるんだけれど、隣地の植林されたカラマツが陰になって思う
ように暖まらないね。ここは不在地主が伐らしてくれないんだよ。料理と給湯は、
一番空気を汚染しない天然ガスを使っているよ。風呂やトイレの水もわずかな谷
水をためて使うんだけれど、夏場しか帰ってこないご近所の人たちが、使わして
くれないんで、絶対量がたりなくてものすごく苦労しているよ。明日は、ここか
ら二百キロ南のアラゴン州のサラゴサの町にある河川局まで出頭して、水源利用
の許可をもらいに行くので、あなたたちに現場の写真をとってもらったんだよ。
アルベルタの言葉
ここで、犬探しから帰ってきたアルベルタが割って入りました。
もともと私は、電柱を立ててもらって電気を引くつもりだったのよ。ところが、
パッチときたら、自然エネルギーで自家発電するっていうじゃない。最初から喧
嘩よ。塩化ビニールは使わないで極力自然に配慮した素材を使うとか、クレーン
を借りないで人海戦術でやるとか、環境を大事にする理想はいいんだけれど、余
分に経費がかかる話ばっかりなのよね。財布を預かる側としてはたまったもんじ
ゃないわよ。パッチときたら、夢がいっぱいで――そこが良いところなんだけれ
ど――なんでもやりっぱなし。後始末はみんな私なのよ。今日だって、雨の山の
中を声を枯らして走り回ってきたのは私。
好きで結婚はしたんだけれど、だいたい、パッチと違って、町育ちなのよ、私。
でもねえ、この家ができ上がってみたら、まだ二年ほどにしかならなくて、水の
こともバッテリーのこともまだまだ大変なことが多いんだけれど、ここの暮らし
がすっかり気にいってしまって……。今度は友だちを連れてまたきっといらっし
ゃいね。きっとよ。
ケニアで聞いたレンタカー屋の老主人の知恵の言葉「女こそ一家の柱だ。屋根
を支える柱、すべての土台だ。女が家を支えているんだよ。」(本誌五十五号、
「男を支配できるのは女だけ」)という言葉をしみじみ思い出しながら過ごした、
なかなかに起伏の多い三日間でした。再会を約し、抱き合ってわかれました。そ
れにしてもあの犬たちはどうなったのでしょうか。
(あんけいゆうじ、大学教員
あんけいたかこ、大学パート教員)




