またきた山口)10/2本日、フルブライト奨学金で日本とアフリカの関係を勉強にきたジム君のお話があります #africa #YPU RT @tiniasobu
2012/10/02
さあ、今日から新学期!
どんな風にはじまるか、どんな学生や留学生や地域のみなさんがこられるか、わく
わくしますね。
地域公開講義・アフリカ社会文化論a(日本語クラス、14:30から、山口県立大学C12
教室)
英語ゼミ・African Societies and Cultures b(英語でおこなうゼミ。12:50から
本館3階、安渓研究室)
に1回目からお客さんを招くことになりましたよ。
こんな感じのプレゼンを、30分ほどしてもらいます。プレゼンの日本語が届きまし
たのでシェアさせてください。
皆様今日は、
初めまして
私はランズデル・ジムと申します、どうぞよろしくお願いいたします。
安渓先生のすすめで「私がアフリカと恋に落ちた理由」というお話をさせていただき
ます。
最初に少し自己紹介をいたします。
私はアメリカ人です、ケンタッキー州のルイビル市出身です。
ルイビルは競馬やバーボンウイスキーやルイビルスラッガー社の野球バットで有名で
す。
私は2009年の秋から2010年の冬まで山口県立大学に留学して、その時に安渓
先生のアフリカ研究の授業を取りました。
安渓先生のアフリカ社会文化論の授業でうけた影響については後でまた話しますが、
このプレゼンテーションにおいて大事な質問は「どうして私はアフリカと恋に落ちた
か」です。
私は最初、アフリカに興味がありませんでした。実は、アフリカと恋に落ちたのは最
近のことです。
残念なことですが、私は長らくアフリカを無視していました。少年の時に私はアメリ
カやヨーロッパに関する本をたくさん持っていました。アジアや南アメリカについて
の本もちょっとありましたけれども、アフリカについての本はあんまりありませんで
した。アメリカで、この状態はかなり一般的だと思います。
私がアフリカに興味をもつように奨励する人が周りに誰もいなかったので、中学時代
まで、アフリカに興味はありませんでした。
しかし、例外が一つありました。歴史の勉強は最も好きな教科でしたので、中学時代
にエジプトの歴史の勉強を始めたら、私はここで初めて、アフリカに興味をもつよう
になりました。エジプトのファラオやピラミッドなどは非常に面白かったです!
古代エジプト人について勉強しながら、エジプトにもっともっと惹かれていきました。
ファラオとピラミッド以外にも、私たちは学校でエジプトの昔の象形文字や軍隊を勉
強して、夏休みに私はルイビル市の公民館で他のエジプトの授業を取りました。私は
名前を昔の象形文字で書くのを習って、エジプトの手工芸品を作って、エジプトの王
家の呪いを勉強しました。エジプトは本当にすごかった!!
しかし、学校で私はエジプトの勉強を止めて、またヨーロッパやアメリカの勉強を始
めました。それで、私がせっかくもったエジプトへの興味はだんだんだんだん小さく
なりました。残念ですが、学校での歴史の授業はまた西洋史になりました。
私たちは学校の歴史の授業でギリシャもローマもヨーロッパも、英国とフランスの1
00年戦争も、ドイツと第二次世界大戦も、アメリカの独立戦争も勉強しましたけど、
その中で時々アフリカが出てきました。たとえば、第二次世界大戦を勉強した時に、
私たちはドイツの北アフリカで戦ったアフリカ軍団と言う軍団を勉強しました。また、
アフリカ・アメリカ奴隷貿易についても勉強しましたけれども、実はその話題は皆ヨー
ロッパやアメリカの昔の国際関係の方から勉強しました。その時に勉強した内容は表
面的なものでしたが、アフリカ研究はあまりありませんでした。
その状態は高校時代まで続きました。小学校でも中学校でもスポーツと演劇以外、ク
ラブやサークルはあんまりありませんでしたけど、高校では色んなクラブやサークル
が一杯ありましたから、高校時代にアフリカに関するサークルに入る機会が初めてあ
りました!
最初のサークルは「Jungle Drummers」というサークルです。日本語でジャングルド
ラマーと言うのです。ちょっと恥ずかしいですけど、どこかで、女性は音楽が上手な
男性が好きだと聞いたから、私はギターを試みましたけれども、残念ですが、音痴だ
から、ギターを弾くのは無理でした。しかし、転機は早く訪れました!
ギターはちょっと複雑で難しい楽器だと思ったから、他の易しい楽器を探しました。
それで、新しいサークルを見つけました。それがジャングルドラマーというサークル
だったのです。サークルの人は皆やさしい人で、サークルの人がアフリカから持って
来た楽器はもっと簡単で、そのサークルに直ぐ入りました。
そのサークルで私たちは「Djembe」と言う太鼓を使いました。本当に楽しい楽器です!
さあ、その太鼓で女性に会うチャンスはありませんでしたが、太鼓のリズムは本当に
凄くて、そのサークルでアフリカの音楽と恋に落ちました!
次のサークルは「Light the Night」と言うサークルです。日本語で「夜を点す」 と
言うのです。実は私と友達が四年生の時にこのサークルを始めました。
私は、カフェで座って、友達と話している時にこの考えを思いつきました。友達はカ
フェでコーヒーを飲むのが大好きですけど、本当は、私はコーヒーが嫌いです。お茶
が好きですが、コーヒーはあまり飲めません。だから、友達が飲んでいる間、私はい
つもテーブルの上に置いてあるものを読みます。アメリカで、普通のカフェはカフェ
で売っているコーヒーの案内がテーブルの上に置いてあるので、私はその日カフェが
最近買ったコーヒーの案内を読みました。そのカフェは、いつもはコーヒーを南アメ
リカから買って来ていたけど、あの日はウガンダからコーヒーの知らせがありました。
それはちょっと珍しかったので、家に帰った後で、ウガンダに関する記事をちょっと
読みました。次の日、学校で、私たちはウガンダに関する映画を見ました。Invisibl
e Childrenと言う映画でした。それで、私と友達は食堂で食べながら、ウガンダにつ
いて話し合いました。皆他の人々を助けたいんですけれども、どうすればいいのかは
良く分かりませんでした。私はジャングルドラマーのサークルで、慈善音楽会を開く
ことを提案しました。私たちは、その日からウガンダのためにコンサートする予定を
たて始めました。
たくさん話し合った後で、ルイビル市の公園でコンサートをすることにしました。色
んな高校からバンドを招待して、一ヶ月間準備して、コンサートの日を決めました。
皆本当に頑張ったので、コンサートは良かったです。夜を点すと言うコンサートだか
ら、夜7時から朝6時まで続けました。少し募金をして貰って、ウガンダに届けまし
たが、一番大事な事は社会意識向上なのです。それが一番の希望でした。
ですから、一番うれしかったのは私が高校を卒業した後の四年生が、またそのイベン
トを開いてくれたことです。
しかし、私はセンター大学に入学した時にちょっと心配なことがありました?
私の高校の卒業生を見ると、頭が良い人ほど、いつも金持ちになりたいように見えま
す。夜を点すというイベントを引き継いだ人もそのように見える。残念ですが、その
人にとってアフリカ支援などはただの趣味です。しかし、私もアフリカに興味をもっ
ていましたが、その時はまだアフリカが良く分かっていませんでした。
入学した直後に、自分のアドバイザーに会って、アフリカの勉強をし続ける機会が来
ました!アドバイザーに「私は色んな外国語の勉強が好きで、中学生時代にスペイン
語を勉強して、高校生時代にドイツ語を勉強して、大学生時代に日本語を勉強したい
です。」と言いました。アドバイザーは私のために、授業を登録して、それで、他の
興味について尋ねました。私はアフリカと言うと、アドバイザーはアフリカに関する
研究を始めていて、私にその手伝いを勧めました。研究のタイトルは1930年前の
日本・アフリカ関係です。
最初、私はそのタイトルの意味がちょっと良く分かりませんでしたが、アドバイザー
が良く説明してくれました。実はその説明を受ける前、私はそんなに早い時期にアフ
リカ・日本関係があるのは全然知りませんでした。しかし、私はその日から先生とア
フリカ研究を始めました。それで、私はアフリカと日本の歴史と恋に落ちました。
その後一年間私は山口県立大学で留学をしました。その時に、私は安渓先生のアフリ
カ研究と言う授業を取りました。日本でアフリカの話題を勉強するのは予想外なこと
でしたけど、その授業で、私はフィンランドからの留学生と日本人と一緒にアフリカ
の文化を勉強しました。私たちはアフリカの野生動物やアフリカでしている人道的援
助や他の現代的なアフリカに関する話題を勉強しました。その授業でアフリカの文化
を見つけました。安渓先生のアフリカについての情熱は人から人へ広がりやすいから、
その授業で私は最後にアフリカの文化と恋に落ちました。
私は高校時代と大学時代にアフリカの音楽や歴史や文化と恋に落ちましたけど、セン
ター大学に戻った後で私はアフリカについて途方に暮れました。たくさん考えて、と
うとうアメリカのフルブライト奨学金プログラムに申し込むの方法を決めました。私
は確かに日本の歴史と文化に興味があるのだから、このプログラムでアフリカと日本
について勉強できるのは最も良い機会です。
ニュースを聞く人はアフリカで色んな問題があるのをやっぱり知っていますけど、私
はいつもアフリカ人の前向きな姿勢に感動します。日本国際協力機構ジャイカやJVC
ジャパンボランティアセンターで働く人々は、そのアフリカ人の姿勢を一番良く理解
していると思います。ですから、私は来年の8月まで、その方たちにインタビューす
るために日本に帰ってきました。
先週、マダガスカルで二年間働いた人と話す機会があって、とっても良かったです。
非常に良い心がある人でした。彼女はマダガスカルの子供の病院で働いて、最近日本
に帰国しましたけど、またアフリカに戻りたいと言いました。25才ですが、本当に
すごい人です。
この人の経験を他の人と分け合うのは大事だと思います。この経験を分け合って、もっ
とたくさんの人がアフリカに恋と落ちるのは希望です。それで、私の目的は、色んな
技能がある人に、もっと草の根援助運動に興味を持ってもらえるように働きかけたり、
その一人一人と交流したり、あるいはその直接の営業に携わったりすることです。私
は、政治的な手伝いも、個々人の手伝いも、アフリカへの大事な手伝いだと思います。
皆様、わたしの小さなプレゼンテーションを聞いてくれてどうも有難うございました。
最後に、私は一ページのアンケートがありますので、よろしかったら少しお付き合い
してください。