アフリカ論)FGMとウスマンセンベーヌの「母たちの村」
2011/12/13
FGM ってご存じですか。
FGMとはFemale Genital Mutilation(女性性器切除)の頭文字を取った略語で、女
性外性器の一部あるいは全部の切除、時には切除してから外性器を縫合してしまう慣
習のこと。アフリカを中心に様々な民族の伝統的な通過儀礼として、2000年以上も続
いていると言われている。
以前は「女子割礼」と呼ばれていたが、NGO『インター・アフリカン・コミッティ
(IAC)』が1990年に開いた総会において、アフリカの女性たちが「女子割礼ではな
く女性性器切除(FGM)という言葉を使う」ことを決めた。「女子割礼」では男子割
礼と同一視され、FGMの実態や女性の心身に与える被害を見え難くするからである。
行われている理由
地域によって異なるが主な理由としては、「伝統的慣習だから」「宗教的な儀式だ
から」「女性の処女性と貞節を守るため(FGMを受けていないと結婚できない)」「
クリトリスは男性的特徴(ペニス)だから女性には適切でない」「女性の外性器は不潔
で見苦しいから」「多産と安全な出産のため」といったことが挙げられる。
受けている女性の数と年齢
WHOによれば、世界で1億から1億4千万人の女児・女性がFGMを受けている。アフリ
カでは毎年約300万人の女児・女性が受けていると推測される。(ユニセフ・イノチェ
ンティレポートより) FGMの対象になるのは、主に生後1週間の赤ん坊から初潮前の
少女だが、時には結婚直前や分娩直後の女性も含まれる。
以上は、次のサイトからの引用でした。
http://www.jca.apc.org/~waaf/pages/FGM/FGM.html
男子割礼 シアトルに住んでいる女性の子育てエッセーから
http://www.junglecity.com/essay/kazuyo/9.htm
文化相対主義についての池田光穂さんの説明
他者に対して、自己とは異なった存在であることを容認し、自分たちの価値や見解
(=自文化)において問われていないことがらを問い直し、他者に対する理解と対話
をめざす倫理的態度のことをいう。
;
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000316crelat.html
FGMをめぐって学生からの質問と池田光穂さんの解説
現在の文化相対主義に対して試練を与えているのは、FGM(女性割礼)やさまざ
まな宗教における原理主義から、他国への直接武力介入によって民主主義を根付かせ
ることは果たして可能なのか(「政治的実践としての民主主義は文化的に多様なのか?
」)などの問題を考えたり、ささいな文化の違いが、なぜ過酷な人種差別を生み出す
のか、ことなどです。つまり、倫理的態度としての文化相対主義というのは、現在の
グローバル化した現実の政治世界(リアル・ポリティーク)には、ほどんど影響力を
与えないほどに縮小してしまっていることにあります。
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030702CL.html
当事者主権という言葉をしっていますか。
ウスマン・センベーヌ作 「Moolaade 母たちの村」
紹介 http://www.alcine-terran.com/main/moolaade.htm
センベーヌは20世紀が終わる直前に「Faat Kine」 (2000)というアフリカ人女性の闘
いを描いた作品を製作。
;そして今、本作「母たちの村」(2004)で、21世紀
をスタートさせたのである。
■ウスマン・センベーヌ フィルモグラフィー■
;
1963 ボロム・サレット BorromSarret
;
1964 ニアイユ Niaye

;1966 黒人女 La Noire de…
;
1968 郵便為替 Mandabi
;
1969 一夫多妻 POLYGAMIE

;1970 タウ (長男) TAUW
;
1971 エミタイ(雷神) EMITAI

;1972 ミュンヘン・オリンピックにおけるアフリカのバスケット B
ASKET AFRICAIN AUX J.O. DE MUNICH

;1972 ミュンヘン・オリンピック L’AFRIQUE AUX OLMPIADES
;
1974 ハラ(不能者) XALA

;1976 チェド(抵抗者) CEDDO
;
1988 ティアロユ基地 CAMPS DE THIAROYE
;
1992 GUELWAAR
;
2000 FAATKINE

;2004 母たちの村 Moolaade