音を楽しむ)幻想即興曲__I(昭和_20_年、内モンゴルでバイオリンに出会った母)
2005/05/23
2015/09/26 改訂 地名を追加しました。
2016/03/31 訂正 年号が1年ずれていました。タイトルも交響曲にまちがえていました。
2024/01/30 訂正 ダルハン旗 → 厚和 に訂正しました。
私が物心ついたころには、毎日バイオリンの練習にあけくれていた母の日記の中に、こんな一節をみつけました。わが家のバイオリン熱のルーツが中国大陸での経験にあったことを彼女は生前語りませんでしたが、次の一節が彼女の切なる願いを示しています。
題して「幻想即興曲 I」
……ありがたう院長さま。私はもう悲しみません。貴方のそのバイオリンは、バイオリンをかなでて下さったやさしいお心は、いつでも、いつまでも、私に希望をもつことを教へていてくださるでしょう。太々(タイタイ)は言葉に出せない感謝の目を柔らかな院長の面ざしにそそぐのだ。そして十二年。芙太々は今二人の息子と共に懸命にバイオリンを習っている。慕母に悲痛した若い日の自分と、慰めてくれた常先生のやさしい心をなつかしみ乍ら。そしていつの日にか二人の子供達が音楽を味わえることの尊さを体得できることを祈り乍ら。
昭和20年、私の両親は内モンゴル、厚和(今日のフフホト)に住んでいました。母は、どうせ負けるとわかっている戦いに動員される日本での生活にいやけがさして、ひとり内モンゴルまで行ったのに、そこでもまたヒコクミンと呼ばれてしまいます。その悲しみを、僧院の院長さまがバイオリンでいやしてくださいました。院長さまの下の名前は記憶がさだかでないらしく、本文中の字が定まっていませんが、中国人の神父様で、僧院の中ではラテン語で話しておられたとのことです。ここでは初出の名前に統一してあります。全文は添付のpdfファイルをごらんください。