たねをまもる)生きていくためのあたりまえのこと_世話人の思い #tane_#Yamaguchi_RT_@tiniasobu
2021/09/30
たねをまいて育てる。生きていくためのあたりまえのこと。
食べ物を自分で育てて収穫し、食べる、ということ。
その種子を食べつないでいくということ。
そのことによって生まれてくる食の多様性。
季節により、作物の生育により、とれてくるものが変化する。
(農業だけでなく、採集も狩猟も漁労も同じことだろう。)
自らが生きる営みのなかから生まれてくる多様性なのだ。
ヒト(=私やあなた)がえらんでいる多様性ではない。
じつは自然のめぐりのなかで、手に入るものを食べつないでいくことが、生きて行くという営みそのものなのだ。
そうだとすれば、人間のくらしにあうようにdomesticate(栽培化・家畜化)した植物たち・動物たち・微生物たちと、ヒトは共進化してきたのだし、この生き物たちとともに命をつなぎながら生きること、それこそが、この星に生きる人々のつむぎ続けてきた「食文化」ではないだろうか?
イネの種(たねもみ)を播く、大豆を播くキュウリやカボチャを播く、トマトやナスを播く。たねはないけれど、里芋(おやいも)を植える、半分に切ったりして芽のあるジャガイモを植える。ネギやタマネギは、苗をとっておいて植えることも、たねを播くこともある。播いたたねや埋めたたねいもの芽がでるのを待って、やがていただいた収穫に感謝して、それを日々の食事に活かす。何年か先まで食べられるようにラッキョウやウメを漬けること。お腹の足しにはならなくても、ハーブや花を育てることも。
このようにしてめぐっていく「いとなみ」こそ、私たちが、アフリカの心臓といわれるコンゴ盆地の深い森で、ソンゴーラ人の女性たちの日々のくらしから学んだこと。ゆうべには、火をかこんで、きらきらした笑顔で語り合っていた彼女たちの姿。人類が、太古の昔からあたりまえに続けてきたいとなみだろう。
いつのまにか、わたしも植え継いでいくことを広げ始めている。これは山口で土地を求めて暮らして初めてするようになったこと。でもまわりの人々がやってきたことだし、いま教えていただきながら、暮らしていることなのだ。
2021年夏 安渓貴子
やまぐちの種子を守る会 世話人 安渓貴子