わが師)あとは君たちの番だ――伊谷先生にいただいた希望
2005/05/28
伊谷先生が亡くなられたという知らせを聞いたのは、アフリカから招いた友人たち
とともに屋久島へ向かう旅の途中だった。ご病状が篤いことは知らされていたのだが、
大きな衝撃をうけた。ひとり家の前の浜辺に出、はだしで渚を歩いた。おだやかな海
のむこうに桜島がぼんやりと浮かんで、海をわたってくる風がからだをなでていく。
くだけた波が砂とともに足もとをくすぐる……。なぜか先生がすぐ近くにいらっしゃ
るような気がした。
台風で鹿児島に足留めされた旅の道連れは、4人のアフリカの人たちと山極寿一さ
ん。内戦と貧困という想像を絶するような困難の中で、大地にしがみつくようにして、
森を、自然を守る努力を地道に続けてきた仲間だ。これらの人たちとともに過ごして
いる折りに、先生の逝ってしまわれる時を迎えた。夫と二人だけだったら、途方にく
れていただろう。みんなでなら先生のメッセージを受け止めることができるのでは、
と思った。
君たちが行く所は一か所しかない。そこはアフリカの緑の心臓だよ。飛行機から見
たら美しい森が広がっていた。美しい森には、今も伝統が生きていて、美しい暮らし
があることだろう……。1978年の6月、初めて海外に旅立つ夫と私に、研究室のアフ
リカの大地図を前にした伊谷先生はこうおっしゃった。先生の目に狂いはなく、ザイー
ルの人と大地は、私たちの生き方をゆさぶり、根元から変えてくれた。1年余りの滞
在だったが、あの時から私の中にはアフリカが住みついてしまった。
屋久島では全国の若者と地元の高校生とともに屋久島フィールドワーク講座が始まっ
ていた。参加する若者たちの目がきらきらしている。屋久島のもつ力と地元の方々の
おかげだろう。研究させていただいたお返しをと願う屋久島研究者が講師となって伝
えるフィールドワークの魅力も大きい。フィールドワークは辛いことも多いのに、講
座が終わるころにはひとりひとりがはじけ、表情も輝いてくる。こんな場に参加でき
てうれしい。そしてここに至るレールを引いてくださったのは伊谷先生なんだ、とつ
い思ってしまう。
「僕は、ここまでやってきたんだが、あとは君たちの番だ。頼んだよ。」――これ
が、錦江湾に立つ私が感じとった、先生からのメッセージだったのだ。伊谷先生、先
生が「アグレッシブな」学問と後進のための研究拠点の建設に挑み続けながら、肩で
風を切って前のめりに歩んで来られた道はとぎれることはありません。皆でしっかり
うけとめて、次の世代、新しい千年紀へ希望を手渡していきます。日本にもアフリカ
にも世界の各地にいる、伊谷先生がつないでくださったたくさんの人々、友、仲間と
ともに。
No.7 生態人類学会ニュースレター [別冊] 特集 伊谷純一郎氏追悼
2002年3月23日 (発行日本生態人類学会)より転載しました。
全文は、http://www.africa.kyoto-u.ac.jp/~eco/html/news_letter_back.html
をごらんください。